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探偵槇原泰治最後の事件

 どんな夢にもいずれ終わりは来る。スリリングな冒険、数しれぬアバンチュール、我々はいずれそれらの幕を下さねばならない。老いた探偵槇原泰治は事務所で夕闇のなかタバコを咥えて自らの過去を振り返っていた。

「もう潮時か……」

 こう呟いた瞬間槇原はこれで何度目かと自分を叱咤した。最近槇原はこの言葉ばかり呟いている。そう呟くたびに彼は昔の輝かしい自分の姿と今の老いた自分を比べて歯痒くなるのだ。確かに昔のように頭が働かなくなった。体も動かなくなった。今の老いた自分では尾行すらできない。昔は違かった。ターゲットを絞り込んだら推理を働かせて時に相手を先回りしていた。これが名探偵槇原泰治の成れの果てか。しかし老いは誰にでも平等に訪れる。このあらゆる難事件を解決してきた槇原泰治も例外ではないのだろう。槇原は夕闇に立ち上る煙草の煙を見ながら我が身の行く末を考える。自分はやるべき事はやった。もうこの探偵事務所を閉鎖してもいいだろう。

 その時机の電話が鳴った。槇原は電話に表示された番号を見て驚いた。旧友からの電話。ずっと連絡など取り合っていなかったのに。槇原は電話を取った。電話の相手は老いた声で星野だと繰り返した。「おい、お前俺のこと覚えているだろ?」槇原は星野と聞いてやはりと思った。電話の相手の星野孔明には大学時代にミステリーサークルで知り合った。読者傾向が似ていたので妙に波長があい友達になったのだ。星野は大学卒業後ベンチャー企業を立ち上げ、今や誰も知らぬものもない有名人だ。そんな男が何故こんなしがない探偵稼業なんかやっている自分に電話なんかしてくるのか。

「お前にしか頼めない依頼なんだ。決して他の奴には頼めない。だから俺の依頼を引き受けてくれ」

 古い友人の悲痛な声を聞いて槇原は胸が痛くなった。だが自分は探偵稼業はもう……

「おい、何を口籠もっているんだ。イヤならイヤとハッキリ言ってくれ。俺は別に無理強いしているわけじゃないんだ」

 槇原はこの友人の言葉を聞いて思った。この男は俺に助けを求めている。かつて俺と時を分かち合った友。この探偵稼業をコイツの仕事で終わらせるも悪くない。彼は長い熟考の果てに言った。

「とりあえず話をしよう。時間はいつ取れる?」

 星野は槇原の返答を聞いて急に声が明るくなった。結局二人は明後日に会う事になりその際に依頼の件を伝えると言って電話を終えた。

 受話器を置いて槇原は星野の依頼について考えた。星野は依頼は電話では話せないから明後日直に話すと言っていた。だが直でなければ話せない依頼とはなんであろう。世界各国に跨る彼の会社が国際的な陰謀に巻き込まれたのか。あるいは彼の命を狙う輩から身を守ってもらいたいという依頼なのだろうか。俺はそいつらから友人を守り、事件を解決出来るだろうか。いや、しなくてはならないのだ。きっとこの最後の仕事は我が探偵人生史上最大の事件になる。

 それから日は経ち槇原泰治はタバコを手に今待ち合わせ場所の喫茶店で友人であり探偵稼業最後の依頼者でもある星野孔明を待っていた。待っている間も妙な緊張が走る。この立て付けのやたら悪い喫茶店は人が歩くたびに床がおうむの鳴き声のような音を立てる。いつもらそんな雑音など気にしないが、今日はやたら耳に入る。でかいやまをまえに緊張しているからなのだろうか。俺としたことがすっかり弱くなっちまったぜ。槇原は吸いかけのタバコを灰皿に投げ捨て体を伸ばした。すると喫茶店のドアが開いて一人の老いた男が入ってきた。その男は年老い顔形は変わってもその立ち振る舞いはまるであの頃と変わらなかった。槇原は立ち上がって友人の星野を出迎えた。星野はしばしの抱擁の後涙ながらに槇原に訴えた。

「実は二年前に結婚した妻が浮気をしている可能性が大アリなんだよぉ〜!それで離婚しようと思ってるんだけど証拠がなかなか見つからない。だからお前に証拠を掴んでもらいたいんだ!証拠だったらなんでもいい!とにかく掴んでくれ!そうすれば慰謝料払わずに離婚できるから!」

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