見出し画像

歴史のIF:モーツァルトとサリエリ

 モーツァルトはサリエリの度重なるいぢめに遭っていた。彼の仕事はたびたびサリエリに妨害され、ついにモーツァルトは音楽で食べてゆく事が出来なくなってしまった。しかし彼はサリエリのいぢめに負けず綺羅星のような傑作を次から次へと書いていった。世間はそのモーツァルトに同情し、ついにモーツァルトいぢめのサリエリを楽壇から追放しようという運動が起こった。こうしてサリエリは楽壇から追放され、そして誰にも見放されついに飢え死にするという悲惨な最後を遂げた。

 一方サリエリの軛から逃れたモーツァルトは瞬く間にドイツ音楽界の重鎮となった。音楽界はモーツァルトのロココ調の曲が基準となり、そうでないものはことごとく排斥された。そんなある日彼の元に髪をくしゃくしゃにした青年が現れた。モーツァルトはどうせ売り込みでしょ、でもせっかくだから聴いてやるかと思って青年がピアノで自作のピアノソナタを演奏するのを聴いたが、ソナタの出だしを聴いた瞬間モーツァルトはたちまちのうちにその曲の迸る天才性と構成の斬新さに気づき目の前の青年が恐ろしくなった。もしかしたらこの貧乏くさい青年は自分をとっくに超えてしまったのか。彼はこの青年をどうしたらよいか考えたが答えは一つしか出なかった。

『このガキ、ぜってえ潰す!』

 彼はこの将来大楽聖ベートーヴェンとなるはずだった青年をあらゆる方法でいぢめ抜いた。彼をひたすら能無しと罵倒したり、彼の両耳にねり飴を入れたり、ピアノを破壊したり、ついには楽譜に書かせまいと紙とペンまで奪った。こうされたら流石の未来の大作曲家もどうしようもなく。若くして亡くなってしまった。それからモーツァルトは才能のかけらもない孫たちに看取られながら百歳で没したがそれは同時にクラシック音楽の死でもあった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?