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三島由紀夫『仮面の告白』

 最初読んでよくわからなかったものが後から読んでみると驚くほどよく分かることがある。私にとっては三島の『仮面の告白』がいい例で再読してまさかこんなにわかりやすいとは思わなかったので本当にびっくりした。最初読んだときは三島のデコラティブな文体と夥しい文学や芸術への言及と三島自身を投影していると思われる性倒錯者の主人公の特殊な性癖にに惑わされて小説の本質が見えていなかった。

 まぁ読みながらたんになんだかよくわからないけど凄い事書いてるな、あと主人公リアルにキモいなとかそんな事を読んでいたのだが、私は最初読んだ時多分他の読者と同じようにこの小説のテーマは前半の部分だと思っていた。つまり三島自身であるかも知れない異端者の告白だと思って読んでいた。だから後半に園子なる女性が出てきたところの部分は完全に流し読みで読んでいた。

 そして読み終わってから小説を振り返って見て結局作者の三島はこの小説で何やりたかったんだと思ってしまった。人に言えぬ倒錯を仮面を外して告白したのか。世間から異端者である事を隠そうと仮面を被って生きた青年の記録なのか。どれを考えてもあまりピッタリくるものはなく結局私にはノーベル文学賞の候補に選ばれるほどの作家の高邁な思想はわからんとしばらく小説の事を忘れていたが、最近たまたま再読して私は上記の感想のどれもが間違っている事に気づいた。

 改めて読み返して気づいたのはこの小説は後半の園子との部分が一番面白いのだという事だった。この小説は言って見れば自意識過剰で異端者気取りの青年が園子という存在にひたすら振り回される小説だった。私はこの事に気づいてページを戻してもう一度最初の部分を読んだのだが、以前読んだ時にあれほどおどろおどろしく感じたセバスチャンだのサド気取りの妄想が急に幼稚なおもちゃの舞台に見えてきた。主人公はこういう妄想で真の自意識を鎧みたいに覆い隠していただけなんだという事がハッキリとわかった。

 ついでに言えばこの小説自体どこかハッタリめいておりかつての天才少年作家であった三島がもう一度世間の注目を集めるためにあえて倒錯者で変態で異常な作家なんだとこの鎧で自己アピールして再び世間の注目を集めるために書いた節もある。結局その三島の戦略は大成功して彼はアンファンテリプルの若手作家として再び注目を集める事に成功するのだが、同時に三島自身とその彼が演出した倒錯者のイメージは深く結びついてしまい、彼自身もいつの間にか鎧を自分だと思い込むようになり、ついにあの市ヶ谷の割腹自殺に到るのだが、その事はここでは別に書かない。

 まぁしかしそれにしても園子との恋愛というか微妙にそれ未満を書いた部分は面白い。主人公が己を守るために必死で妄想で作り上げていた鎧が園子によって一騎に剥がされていく所とその鎧を剥がされまいと妄想の鎧で必死に自意識を守ろうとする主人公を書いた部分は他の人が書けば立派なコメディだ。今読んでみると全体的に生気のないこの小説でこの部分だけ微妙に熱いのだ。なんかの情報で知ったが、この園子の部分はまんま三島がある女性と体験した事らしいのでこれを知って妙に納得してしまった。世間ではこれが三島由紀夫文学の全て、ここにあの自決に至るまでの三島の思想の全てが書かれているとやや大袈裟に言われているこの『仮面の告白』だけど、私にとってこの小説は自意識過剰のオタク青年のリアル大失恋物語です。

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