大人の純愛
満員電車の優先席に中年のデブの男女が並んで座っていた。二人の前には老人が杖を振わせて立っていた。だが二人は彼らの存在など眼中になくひたすらスマホに文字を打ち込んでいた。二人が席を譲らないのを見て二人の隣に座っていた老婆が席を譲るために立ち上がった。それを見た乗客は優先席にも関わらず席を譲ろうともしない二人に冷たい視線を投げた。それでも二人は微動だにせず熱心にスマホに文字を打ち込んでいた。
二人はスマホで同じ画面を開いていた。最近人気急上昇中のマッチングアプリである。だが二人ともそれを全く知らなかった。二人のスマホには高速でこんなメッセージが飛び交った。
『君に会うのが待ちきれないよ。君はどんな人なんだろう。きっと素敵な大人の女性なんだろうな』
『ご想像にお任せするわ。私こそ早くあなたに逢いたい。あなたってなんかロマネコンティが似合うイメージがするの』
『ふっ、僕の行きつけのバーにとっておきのボトルキープしてあるんだ。今夜はそこに行ってそれを開けよう。飲んだ後は……わかるだろ?』
「いやだぁ〜!」と突然デブの女が声を上げた。すると隣の同じぐデブの男が舌打ちして女を睨みつけた。女はその男の汚らしい顔に腹が立ち同じように睨みつけ思いっきり顔を背けた。
『ねぇ聞いて。今隣に座っている男がキモい目で私をガン見していたの。なんかいかにもヲタクって感じのデブがさ。ああ!早くあなたに会ってこんなキモ男のことなんか忘れてしまいたい。なんか私ワインなんか飲んでないのに体が熱ってきてる。ねぇ、ロマネコンティはそこそこにして……いやだ女から恥ずかしいこと言わせないで』
男はこれを読んで照れるあまり思わず激しく頭を掻いた。フケや小さな瘡蓋が思いっきり女に降りかかった。女は自分にかかってきた男のフケや瘡蓋に吐き気がするほどの怒りを覚え男を怒鳴りつけてやろうとしたが、寸前で耐えた。今からロマネコンティのあの人と会いに行くんだからこんなキモ男なんか相手にしている暇はないわ。女はジャケットのポケットから出したティッシュの袋からペーパーを引き抜いて男に見せつけるように思いっきり音を立ててジャケットやスカートを払った。男は女の行動を見てすぐに自分に対する当てつけだと分かったが彼も文句は言わず言葉を飲み込んだ。ったくデブのババアのくせに気取ってんじゃねえよ。ああ!もう少ししたらあの人に会える。あの人に会えばこんなババアのことなんか一瞬で忘れるさ。
男と女はそれから駅に着くまでずっと隣同士で座ってきた。相変わらず二人はチャットに夢中になって妊婦や老人やケガで歩けない人を無視しひたすらチャットで盛り上がっていた。
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