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九月は夏の残滓

 残り滓、残り滓。と青年は海辺を歩きながらつぶやいた。今年の夏は何もなかった。ただ無駄に時を費やしただけだった。クーラー、扇風機、水道代、ガス代、来月に待っている地獄が恐ろしくなるぐらい全てを無駄に費やした。夏の海は他人の幸福と悲劇を産んでいったが青年はそのおこぼれに預かる事はなかった。しかし考えてみれば毎年の事だ。彼の周りにはは突然の幸福や悲劇などなく、ただ一日中まとわりつく蚊だけが死んでいた。

 生ぬるくも熱を帯びた陽光を避けて青年は浜辺の崖下に逃げ込む。今日の気温は今年何度目かの真夏日らしい。海岸ではすでにクラゲが出始めているのにまだ海水浴をしている連中がいた。ああ!八月と共に海は死に、そうして海は我々の前からしばらくの間消え去るだろう。九月は夏の残滓。残り滓。青年は立ち上がり海を見る。死んだ海。死んだ世界。世界が我が身と共にあるのならそれは全て死だ。目の前で誰かが幸福になろうが誰かが不幸になろうが自分の知った事ではない。目に突き刺す陽光は全て他人の上に降り注いでおり、決して自分に向かって照らされたものではないからだ。

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