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人情商店街

 僕は生まれ育ったあの人情商店街で過ごした日々を死ぬまで忘れることはないだろう。人情商店街の人たちは僕に人生の全てを教えてくれた。彼らは厳しく時には優しく迷える僕を正しい道へと導いてくれたのだ。人情商店街で彼らと過ごしたあの時代。それはあまりにも濃厚な日々だった。人が生きているうちに体験する出来事の全てをギュッと濃縮したように。

「おい坊主、何があっても生きるんや!人は六十にならんと男にならへんで!」
 とは近所の呑助のまっさんが、自殺しようと家を飛び出した少年の頃の僕に殴りながら説教して言ってくれた言葉だ。僕はその言葉を励みに今まで生きてきたが、そのまっさんは翌日にヤクザと乱闘して刃物で刺されて死んだ。思い起こせば我が故郷の人情商店街では若くして死んだ人間があまりにも多い。宇宙人の哲学と壮大なタイトルの宇宙論を書いた木版を自宅の玄関に置いていたはっつぁんは根っからのポン中で、ある朝木版を抱きしめて死んでいるのが見つかった。近所の人の話ではクスリの打ちすぎて発作を起こしたのだろうという事だった。あと八百屋のおかちん夫婦は、おかちんが近所の風俗街で病気をもらったのがバレて夫婦喧嘩になってその最中におかちんは奥さんに刺されて死んだ。また同級生のモリポンは生まれてからずっとポン中で、おそらくはっつぁんあたりから買ったであろうクスリを毎日打っていたが、ある日クスリの量を打ち間違えて死んだ。また同級生のこうすけはクスリとは無縁であったがバイクに夢中で、ある日ポリ公のバイクを盗んで走り出してそれから事故って死んだ。僕は中学の頃、同級生の女の子に恋をしていたが、その女の子は同級生のまさしが好きだったらしく、そのうちに二人は付き合いはじめたが、まさしがおかちんと同じように風俗街で病気をもらっていたのが女の子にバレて喧嘩になり、その最中にまさしは女の子に刺されて死んだ。

 今も目を閉じればみんなの笑顔が浮かんでくる。あの頃のように僕に向かって微笑んでいる。みんな、僕は人情商店街で過ごした日々を忘れない。もう商店街のみんなは事故や事件で亡くなって、今や商店街には誰もいないけど、記憶の中に残るあの人情溢れる商店街は永遠に消えはしないし、消させはしないよ。もうこの世にいないまっさんもはっつぁんもおかちんもモリポンもこうすけもまさしも、その他大勢の事故や事件で死んだ人たちもみんな笑顔で笑ってる。僕はみんなの笑顔を忘れずに生きていくよ。この東京で!


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