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ナメクジとかたつむり

 時はナメクジ全盛時代。突如大増殖したナメクジたちは永遠とも思われるほどの繁栄を謳歌しているように思われた。

 しかしそれはあくまで外側からそう見えるだけであった。実際には大増殖したナメクジたちは紫陽花を求めて血まみれの争いを繰り広げていた。ナメクジたちにとって紫陽花は食料であると同時に住まいであった。強いナメクジは腕力で弱いナメクジを追い出し生きのいい紫陽花を独占したのであった。

 紫陽花から追放されたナメクジはそこらに生えている雑草で飢えと寒さを凌ぐしかなかった。弱いナメクジは雑草の下で息絶える。これは紀元前よりナメクジ学者たちに語り継がれた言葉である。

 今一匹の弱いナメクジが息絶えようとしていた。かつては家族で紫陽花に住んでいたこのナメクジもある日強いナメクジに襲われてヤリマンの妻ごと紫陽花を奪われたのだった。ナメクジは二匹の息子と共に屈辱に耐えながら雑草で飢えを凌いだ。だがどんなに耐えても結局逆境から脱出することは出来なかった。彼は自分を看取る息子たちの前で黒く干からびた体を震わせて泣き叫んだ。

「ああ〜!なんて惨めなナメクジぶりだ。紫陽花から追い出され、しかも妻さえ奪われて結局こんな雑草で息絶えるなんて!いいかお前ら俺みたいな負けナメクジになるなよ!」

 負けナメクジの父は息子たちにこの遺言となった言葉を語ると黒く干からびた体を滑らせて根元から滑り落ちて行った。全く若かりし頃はそのヌメヌメと瑞々しすぎる体で他の生き物に迷惑をかけていたナメクジがここまで惨めに干からびるとは運命の無情とはまさにこの事である。だが息子たちは地に落ちた父ナメクジの遺骸に涙を流さずただ冷たく見ていた。しばらくの沈黙の後兄が父の遺骸に舌打ちしてこう言った。

「全くロクでもない親父だ。結局死ぬまで負け犬だった。やっぱりひ弱じゃダメなんだよ。この弱肉強食の野生を生きるのは腕力なんだ。親父は腕力がないから負けナメクジとして一生を終えた。俺は親父のようにならんぞ。みろ俺のこの逞しくヌメヌメしたボディを。俺はこのボディで世界中の紫陽花を我が物にしてやる。そして王族みたいに一生遊んで暮らすんだ。ああ、俺は紫陽花の中でメスを取っ替え引っ替えしてガキをたんまりと作るだろう。お前にも適当な紫陽花住まわせてやるから」

 この兄の言葉に弟は静かに首を振った。そして兄に向かって諭すように言った。

「兄さん。確かに親父は腕力がないせいで紫陽花も妻も奪われた負けナメクジとして一生を終えた。でも兄さんみたいにいくら腕力があったってそんなに都合よく何でも手に入れられるものじゃないと思うよ。確かに兄さんだったら紫陽花の一本や日本は軽く手に入るかもしれない。だけどそれをいつまでも保持できるかは分からないよ。だってナメクジだっていつかは衰えるし、そのうちに兄さんより強いナメクジがやってきて兄さんが手に入れた紫陽花や彼女を奪っていくかもしれないんだ。僕はそれよりも自分の住処を作る方法を考えたい。僕は思うんだよ。父さんは確かに腕力が足りなかったけど、それ以上に頭が足りなかったんだ。紫陽花がないならそれに代わるものを作る方法を考えればいい。僕はこの体で自分を家を作ろうと思ってるんだ。兄さんも自分の力に奢ってないでもっと堅実に自分の住まいを手に入れる方法を考えようよ」

「なんだお前俺に説教するのか?いつも俺の後ろにナメクジのヌメヌメみたいについてきたお前が偉そうに!わかったよ。お前には何もやんねえよ!俺は世界中の紫陽花を手に入れて全ナメクジの雌どもとやりまくってやる!お前は精々角を噛んで俺をうらやましがってろ!」

 この兄弟ナメクジはそれっきり互いに別々の道を歩むことになった。兄ナメクジはその腕力で手あたり次第紫陽花を舐めまくった。そして弟に宣言した通りナメクジのメスたちを片っ端からやりまくった。一時期はナメクジ界にこの雄ありといわれるほど有名になった。だが、いつか弟ナメクジが言ったようにナメクジにも衰えが来る。兄ナメクジは自分よりも若くて強いナメクジに一瞬にして紫陽花もメスも栄光も奪われてしまったのであった。

 兄はヌメヌメと鳴きながら父の墓地であり弟と別れた場所であるあの雑草の根元へと向かった。根元のあったあたりに来た兄はそこにいときわ輝く紫陽花を見たのであった。ああ!こんな所に紫陽花が生えているとは。彼はおいた体をヌメヌメと這わせて紫陽花に着きそこにナメクジらしきものがいないのを見て早速紫陽花に登ろうとした。しかしその彼に向かって子供が叱った。

「おじちゃん、ここは僕たちの家だよ。無断侵入したらおじいちゃんに訴えるからね!」

 老ナメクジは子供の説教に屈辱を感じなにくそとばかりに声の方を睨みつけた。しかし彼は子供を見た途端その異様な格好に驚いて固まってしまったのだ。その子供は自分たちと同じナメクジのようだが、なんと貝のようなものを身に着けているのである。

「な、なんだ。そんなヤドカリのような貝なんかつけおって。それでもナメクジなのか?」

「ナメクジ?そうだね。たしかおじいちゃんの頃はそう呼ばれていたかもしれない。だけどおじいちゃんは自分の体で雨風から身を守ろうとこの貝を自分で作ったんだ。おじいちゃんのおかげで僕らはナメクジからカタツムリへと進化したのさ。おじいちゃんはよく言ってるんだよ。自分の力に奢ってはダメだ。僕らみたいな生物はいくら腕力があっても裸で生きていちゃダメだ。自分の身を守るために積もる程固い貝を作らなきゃいかんとね。
お前たちも負けナメクジにならないように自分の貝を積もる程固く鍛えるんだってね」

 老ナメクジはここまで聞いておじいちゃんが誰だかはっきりとわかった。ああ!その爺さんとは間違いなく自分の弟だ。んなんて事だ。俺が腕力で人様の紫陽花と女を奪ってこの世の春を謳歌していた時に弟はカタツムリに進化していたとは。兄は自分の愚かしさにむせび泣いた。ひょっとしたらこの紫陽花も親父が死んだときに種を植え付けられていたのかもしれない。兄はどうしていいかわからずただ泣いた。その誰かが子供のカタツムリを呼んだ。兄は泣くのをやめてはっとして顔を上げた。そこには立派なカタツムリとなった弟がいた。




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