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ハードボイルドカフェ

 全く呆れたもんだ。俺がカフェに入った途端客どもは一斉に端っこに逃げやがった。女は勿論男もだ。だが、まあこの風体なら逃げられても仕方がないのだろう。汚れの染み付いたコート。その下のヨレヨレのスーツ。マスクなしの無精髭に、フケが降りかかった髪。誰だってこんな人間と近づきたくないはずだ。おまけにこの野獣のような鋭い目で睨まれたら……きっと奴らは俺を裏の世界の人間だと思ってるかもしれない。探偵なのかと勘ぐってるかもしれない。社会を全て知りつくした男。自分の知らない世界を全て知っている男。興味はあるが絶対に関わりたくない危険な匂いを放つそんな男。だが、悪いが俺はそんなタマじゃない。ただの安月給のサラリーマンさ。お前らと同じ夢を見ることしか出来ないチンケな奴さ。

 俺は毎日このカフェに来ている。コーヒーいっぱいで四時間ぐらい見果てぬ夢に耽る。他のこのつまらない日常に浸りきったバカな客どもを心の底で嘲笑しながら時を過ごす。このスリルのまるでない退屈な世界で一人悶々として過ごすんだ。日常に対する嫌悪とスリルへの憧れ。見知らぬファムファタールが突然このカフェに現れてエレガントな足取りで俺に近寄って来るような。

 だがそんな事は決してありえない。ハードボイルドじゃあるまいし、こんなやさぐれたアルコールが血液の50%を占めているような男には誰も声をかけないだろう。俺は吐き捨てるように息を吐くとコートからタバコを取り出した。一口吸うごとに立ち上るタバコの煙が怪しい夜のムードを醸し出した。ふっただの幻影さ。さっさとタバコを消して現実に帰ろう。俺はそう思ってタバコをコートに押し当てて消そうとした。するといつの間にかカウンターに座っていたらしい女が立ち上がって俺の所にゆっくりと歩いてきたんだ。俺は女を見て思わず唾を飲み込んだ。なんて女だ。コイツは俺が毎晩夢見ていたファムファタールじゃないか。女はどこか熱を帯びた目で俺を見ている。お前も危険に憧れているのか?もしかしてお前は俺を危険へと誘っているのか?夜の幻想、闇の戯れに。構わないさ、今すぐ俺と共に行こう。果てしなき夜へと、男と女の夜のハードボイルドへと。俺は消しかけたタバコ再び口に咥えて女を見つめる。女は激しく俺を見つめて語りかけてくる。

「あのさ、あなたなんで店の中でタバコ吸ってるのよ!店の張り紙見てないの?この店禁煙って書いてあるでしょ!あなた他のお客さんの迷惑考えたことあるの?そんな汚いカッコしてお店の人もあなたを嫌がってるのわかんないわけ?あの、警察に電話してもいいんだよ?東京都の受動喫煙防止条例に思いっきり違反してるわけだしさ。ねえ、どうすんのよ。今すぐこの店をでるか、ここままいて罰金支払うか。さっさと決めなさいよ!」


 


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