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マーメイド

 今年も海で大量に人が死に、そしてクラゲの餌になった。八月の終わりの夕暮れの海、人間の死体を求めてクラゲが大量に浜を漂っているよ。

 八月の終わりの夕暮れの海。毎日昼間には三十度を余裕で超えるのに秋の予感ってやつが漂っている。

 クジラは陸に還ろうとして乾き死ぬ。人間は海に還ろうとして海で溺れ死ぬ。生物の非対称性。死の近似性。

 僕は夕暮れの砂浜を彷徨っていた。砂浜には誰もいない。昼間に海水浴に来ていた連中は去り、さっきまでイチャついていたバカップルさえ立ち去った。僕は当て所もなく砂浜を歩き、時々浜辺に足を入れて海の感触を味わう。裸の足を包む水と匂ってくる塩の香り。母の子宮ってのはこんなんなのか。誰かが言っていたよ。海は巨大な子宮なんだって。

 ならば子宮に帰ろう。僕は元々永遠の海に生きる人間。この地上は僕にはキツすぎる。海には合わず陸上に天国を見出そうとするクジラ。僕の代わりになってくれないか。僕は海でマーメイドたちと一緒に暮らすさ。地上に取り残された君たちを憐れみながらね。

 僕は浜辺に入ったりでたりして砂浜を彷徨った。夜になれば砂浜は満潮になって塩水で覆いつくされるだろう。そうなったら僕も海に還るだろう。永遠に地上とはおさらばさ。

 とそんな事を考えながら砂浜を歩いていたら視線の先に砂浜に横たわるマーメイドを見たのであった。僕はその信じ難い光景に心臓が止まりそうになった。まさかマーメイドが実在するなんて!しかし何度目を擦ってみてもそこにいるのは紛れもないマーメイドだった。僕は心臓をバクバクさせながらゆっくりと彼女に近づいた。こんなのは所詮幻想だと思いながら。でも幻想なら幻想でそれでいい、むしろ永遠に幻想に囚われていたいと思いながら。

 だがそこにいた、いやあったのは誰かが砂で作ったマーメイドだった。しかもマーメイドの横にはイケメンの男の裸まで作られていた。きっとさっきのバカップルが作ったに違いない。僕は頭に来てマーメイドとイケメンの男を蹴ってやった。したらなんとマーメイドとイケメン野郎がいきなり立ち上がってきたのだった。

「コラお前俺らがキンモチよく寝ているとこなにしとんねん!覗きか?俺ら覗いて何しとったんや!一人でキンモチええことしとったんか!」

「あんたこんなチー牛にかかわんのやめとき!はよう海かえらんとウチおとうに叱らるやろ!ホラもうすぐカメのオッさんくるから!」

 誰もいない夜の海。僕は海水に腰まで浸かった状態でこう叫んだ。

「海なんか大っ嫌いだぁ〜!」


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