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雑煮

 季節外れの雑煮なんて特に美味しものじゃない。だけど僕は毎年この時期になると雑煮を食べている。そして食べている最中に毎回思う。やっぱり雑煮は正月に食べるものだって。これはいかにも日本人的なものが染みついているせいだろう。季節外れの雑煮なんてもちの入ったすいとんに過ぎない。だけど僕はそれでも食べる。

 彼女は月が好きだった。月を見てウサギさんがお餅をこねているよなんて言っていた。僕は彼女のそんな子供じみた妄想を笑った。もういい大人なんだからそんな夢見る少女みたいな事言うなよ。僕らは学生時代に出会い、そして卒業したころから付き合い始め、社会人として自立した時に結婚した。だけど彼女はいつまで経っても学生時代のままだった。同世代に比べて少し幼く見えた。僕はそんな子供じみた彼女を自分が一生守っていこうと思ってプロポーズしたのだ。「君を一人っきりにしたら危ないから僕がずっとついていてあげる。僕がボケて互いの存在すら覚えられなくなるまで君をずっと守り続けるよ」と僕はプロポーズの時そう言ったのだ。

 だけど僕はその約束を守る事は出来なかった。運命って奴は人の事情など平気で無視して現れる。彼女は結婚三年目に家で倒れた。救急車で搬送された病院で診断を受けたところすでにステージ4のガンに侵されていた。

 彼女は月と同じように雑煮も好きだった。彼女は一年中雑煮を作っていた。仕事から帰ったら彼女の笑顔と共に雑煮が出された。僕はそんな彼女に呆れて正月でもないのになんで雑煮出すんだよと愚痴った。すると彼女は膨れっ面で「うさぎさんがこねてくれたおもちが食べられないの」と怒った。だから僕は仕方なしに雑煮を食べた。

 ガンを宣告された時彼女が一番悲しんだのがもう雑煮が食べられなくなることだった。

「あなたと月のウサギさんがこねてくれたおもちで作った雑煮が食べられなくなるのが一番つらい」と彼女は泣いた。僕はそんな彼女に何も言えなかった。

 彼女は死ぬ間際にこんな事を言った。

「私、死んだらうさぎさんになってお月さんに行くんだ。そしてあなたのためにずっとおもちをこねるの。お願いだから私の作ったおもちで雑煮食べてね。私お月さんからずっとあなたを見ているから」

 それが彼女の最期の言葉だった。この彼女らしいあまりに子供じみた願いは僕の生涯の枷となった。それから僕は毎日じゃあまりにも辛いから無理だけどこの十月には集中的に雑煮をたべる事にしている。この九月から十月にかけては月がより美しく輝く。今ハッキリと月のうさが見える。多分それは彼女なのだろう。僕は窓を開けて月に雑煮を向けた。そして言った、

「雑煮ちゃんと食べているよ」

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