見出し画像

家族との会話から気づいた自分の傾向

最近の家族との会話で、気づきがありました。私は自分に近い家族との会話では、ジャッジしまくりで、きちんと話を聞いていないということです。

「カリース、それ前にも言ったよ!」って思っている方もいるかもしれません。そうなんです。これは、8月13日にここに書いた通り、私の課題になっていて、まだまだ進歩中だということです。

ちょっと凹んでしまいそうですが、まぁ、そんな現在進行中の自分もジャッジせずに笑い受け入れながら、少しずつ進んで行こうと思っています。

本当は、カッコよく「進歩中」と言ったところも、厳しく「進歩なし」と言おうと思いましたが、そこは、教育者らしく、キャロル・ドゥエックさんの提唱する「しなやかマインドセット(growth mindset)」を思い出して、言葉の脳に与えるパワーを信じていきますよ〜!

ジャッジすること

「これは良いけど、あれはダメ」など、私たちは物事に良し悪しをつけて判断しがちです。ジャッジすることは、不幸の元です。実際には、物事に良いも悪いもなく、私たちの思考がそんな判断をつくっているんです。このことについては、詳しく下の記事で書きました。

ジャッジするマインドから解放されるために

ジャッジするマインドから解放されるための1番の方法は、瞑想だと思います。瞑想とは浮かんできた自分の思考に対して良し悪しを判断せず、ただそれらを流していく練習をするものだと思います。

瞑想では、「マントラ」と呼ばれる短い祈りの言葉や呼吸などに意識を向けて集中を高めていくことが多いです。

意識が他に向いてしまったと気づいた時は、そんな自分に対して「ダメだ!」とか「あー、またやっちゃった!」などの判断をせずに、ただ淡々とまた意識を元のフォーカスに戻していきます。それを繰り返していくんですね。

瞑想で身につけたスキルを日常生活に活かす

画像1

瞑想をしながら、自分の思考を判断なしにスルーする練習を繰り返すことで、日常生活においても、だんだんと自分の考えていることについてジャッジをしなくなってきました

エモーショナル・ディスタンス(その人の感情によって自分が動かされすぎない距離感があること)が保てる他の人に対しても、ジャッジせずに流せれるようになったような気がします。「いい意味でカリースって空気読まないよね」って言われるのは、その証拠です。昔は、もっと八方美人で、人から好かれたいと努力していました。


家族との会話がきっかけ

せっかく瞑想やヨガを通して色々学んでいるんです。「学びをマットの上だけではなく、もっと日常生活に活かせるようになりたい!」と強く思えるようなきっかけが家族との会話でありました。

1つ目は、父との電話で、コロナの影響が私のビジネスにあると思って心配して聞いてきた時です。その会話はこんな感じでした。

父:「今、生徒数はどのぐらいいるんだ?」
私:「やめた人もいるけど、新しく入ってきた生徒もいて、コロナの前とちょうど同じぐらいだよ!やっぱり経済的に打撃を受けている人が多い現在の時世を考慮したらさぁ、『同じぐらい』っていうのも悪くないと思うよ!」
父:「田舎なんだから、人口はこれからもドンドン減っていくんだよ!そんなノンビリ構えてないで、やれることをもっとやった方が良いんじゃないか?」
私:「(ちょっとイラッとして)そんなことわかっているし、色々考えたり取り組んだりもしているって。正直、私だって不安もあるし、ちょっと焦りも感じている!でも、そんな不安な気持ちでいても、生徒が来るかどうかみたいなことは自分の力だけではどうにもならないと思うから、なるべくポジティブに考えているんだよ。本当に私のためを思っているのなら、そんな不安を煽るような「心配」という自分の恐れを私に送らないで信じて見守って欲しい。」

っていう嫌な雰囲気を残して、電話をすぐに切りました。後でメッセージを送って謝りましたが…

2つ目は、夫が最近また胃が不調になり、彼はガンになった経験もあるので、再発という恐怖を感じて、精密検査前に不安になっている時の会話でした。

私:「今日は何食べたい?」
夫:「ステーキとか肉が食べたいな」
私:「数日前は、肉とか食べれなかったから良くなってきてるね!」
夫:「良くなってなんかないよ!」
私:その言葉に反応して、強い口調になってこう言う。「いつもそうやってネガティブに考えるのはやめた方が良いよ。言葉にはパワーがあるからね。ステーキが食べられるんなら、絶対良くなってるって。」
夫:「自分の身体のことは自分が一番わかるんだ。体重が減ってきているから、食べたくなくても、無理やり食べてるんだ。」と言って、ため息つきながら、会話から立ち去る。
私:「なんでいっつもそんなにネガティブなの!」と思ってイラッとする。


会話を振り返って感じること

画像2

父との会話では、自分が不安を感じている時に、それをわかってくれるように寄り添うどころではなく、煽るようにもっと不安をぶつけられて嫌な感じがしました

夫との会話では、夫が不安を感じている時に、それをわかってあげるように寄り添わずに、そんな風に感じている彼の気持ちをシャットアウトして、全く聞いてあげていませんでした。父にされて嫌だと思ったことを、夫に返してしまったんですね。

たとえ家族が自分が大切に思っている価値観とは異なる意見を持っていても、たとえ家族がネガティブでウザいと感じられても、たとえ家族が自分では選ばないような選択をしようとしていても、まずは話を聞いてあげるようになりたいです。

不安や悩みを打ち明けている時は、相手にそれを解決してもらおうとは思っていないことが多いです。きっと相手にも自分にも簡単に解決ができないことだから、悩みなんですよね。

大抵のことは、しっかりと聞いてさえもらえたら、それで「わかってもらえた!」と思えるし、自分の中にある不安やモヤモヤを外に吐き出せるのでスッキリします

さえぎらずに最後まできちんと聞いた後に、それでもその人を思って、自分が言いたいことがあるならば、「相手がその意見を受けとるか受けとらないかに執着しないでいられる」という条件をクリアしていれば、言っても良いかもしれません。

でも「自分が正しい」と思いこんでいて、頼んでもいないのに、きちんと話を聞かないままに、上から目線で一方的で攻撃的なアドバイスや説教をされることは大抵の人にとって迷惑です。

自分でもわかっていて、それなりに取り組んでいることもあるだろうし、心配かけないように一人で恐怖や不安を抱えながら頑張っていることもあると思います。そんなことを全く考慮せずに決めつけるように、ただ自分の意見を押し付けられたら嫌な感じがします。


ジャッジがでているサイン

画像3

感情が大きく動く時が、ジャッジを感じているサインだと思います。ジャッジがない時は、穏やかに物事を見れたり、全てを受け入れられるように感情が落ち着いています。

実際に私もどちらの会話においても、大きく反応してイラッと怒りを感じました。他の人の言葉にむかついたり、悲しくなったりするのはわかりやすいけれど、興奮していたり、嬉しかったりポジティブな感情を感じている時もジャッジが入っているんです。

「自分が正しい」という自己中心的な狭い視点から出て、激しい感情を感じながらも、それを俯瞰したり、他の人の感情を包みこめるような余裕をもちたいなぁと思っています。この記事を書くことで、自分の傾向に気づくことができ、大きな学びになっていることを嬉しく感じています(これもジャッジですか?)!

他の人に喜びを与えるアナタは、きっともっともっと与えられるはずだわん💕