あなたにとっての優しさが、わたしの傷になっていく
あなたは、ある時突然、なんの前触れもなく、涙が止まらなくなったことはありますか?
わたしはあります。今です。
今、泣きながら、この文章を書いています。
去年のちょうどこの時期、初めてメンタルクリニックを受診した。躁うつ、強迫性障害との診断を受けた。親には話せなかったので、自分のバイト代で通院していたが、処方された薬のおかげで少し気持ちが落ち着いてくると、決して大きい額じゃないバイト代が勿体ないと感じ、半年ほどで通うのをやめてしまった。
そして現在。多分だけど、去年より悪化しているような気がする。
具体的な症状は、無気力、疲労感、手足のしびれ、集中力の低下、肩凝り、不眠、胃痛、腹痛、頭痛、希死念慮、突然何も考えられなくなる、 涙が止まらなくなる、など。
それに加えて、最近、わたしをめちゃくちゃに困らせる出来事が起こった。簡単に説明すると、文章が読めなくなってしまったのである。
説明が難しいのだが、文字を一つ一つ目で追っていっても、単語単語でしか頭に入ってこない感覚…みたいな。というのも、ゼミの課題で出された論文の内容が、びっくりするくらい頭に入ってこなくて。最初は「私の理解力が無さすぎるのかな…」と思いつつ、何度読んでみても、文字だけがスルッと滑っていくような、今までにない現象。
気分転換でもしようと、大好きなレシピ本を開いてみた。食材も作り方も「ここに書いてあるんだな」ってのは分かるんだけど、どんなに丁寧に読み込んでもやっぱり頭に入らず、単語ひとつひとつを頭に入れて、「これは何だっけ」「これは何だっけ」という風に、噛み砕いていくので精一杯。
今まで当たり前にできていたことが、急にできなくなるという恐怖を初めて感じた。
去年も、今も、どうして自分がこんなことになってしまったのか。さすがに向き合わないとまずいと強く感じ、まずはメンクリを予約。
そして、久しぶりにメンクリに行く前に、素直に、正直に、今のわたしの気持ちを再確認してみようと思い立った。ちょっと怖いけど。
それでは、いきます。
わたしは、母親を嫌いになりたくない。(唐突)
いやいや、嫌いに「なりたくない」って時点で、もう嫌いじゃん、認めなよ、と思われる方もいると思う。だけど、母はわたしのことが大好きで、心から愛してくれて、何不自由ない生活を送らせてくれて。
母をよく知る友達からも、小学生の頃から「なつきのお母さん、美人だしノリいいし優しいし、ほんと羨ましい!」など、大袈裟なくらいよく言われてきた。嬉しいことのはずなのに、誇らしいことのはずなのに、母が褒められれば褒められるほど、母を否定したい自分が、どんどん追い詰められ、息苦しくなっていった。
そこそこマザコンだった私が、母に対する感情の変化に気付いたのは、中学2年の秋頃。クラスでのイジメが酷くなり、誰にも相談できなかった私がついに限界を迎えたとき。
教室のすみでクラスメイトの男子数人に囲まれ、「おいブス、なんで生きてるの?」と吐き捨てられたその瞬間、私は膝から崩れ落ち、顔を覆って泣き叫んだ。その後の記憶はあまり無いけれど、担任の先生が私を支え、職員室に連れて行こうとしたときにチラッと見えた、イジメっ子達が私を指差し爆笑している姿は、私の脳裏にベッタリと張り付いて離れない。何年も掃除していない中華料理屋の換気扇の油汚れ並みに離れない。とにかく、一生忘れることはないと思う。
その出来事は、すぐに両親に伝えられた。クラスメイトの証言から、私がイジメを受けていたことも、この時に発覚した。
両親は、泣きながら私のために怒ってくれた。
「どうしてなつきがこんな目に合わなきゃいけないの」と母が言い、「なつきは何も悪くないからな」と父が言った。私が信用できるのはもうこの2人しかいない、ボロボロになった心でそう感じた。
その翌日だか翌々日、私は普通に登校した。行きたくないと両親に懇願してみたが、「今日一日だけ頑張ってみよう、それで本当にもう無理だと思ったらまた考えよう」と言われたからである。
結果的に、その日は終始生きた心地がしなかった。教室に入った瞬間から自分に向けられる視線、腫れ物に触るような扱い。極め付けは、給食の配膳のためにおぼんを持って列に並ぼうとした時、先生の目を盗んで私に近付いてきたイジメっ子に「ざけんな、さっさと死ね」と耳元でボソッと呟かれたこと。
グッと涙を堪えた。怖いけど、辛いけど、これさえ乗り越えて家に帰れば、きっともう大丈夫。パパとママが守ってくれる、もう行かないでいいよ、頑張ったねって言ってくれる。
なんとか一日耐えて家に帰り、玄関で膝から崩れ落ちた。膝から崩れ落ちたのは人生で2回目だったけど、今回は安堵から力が抜けたような、教室とは違う感覚だった。
その夜、両親は「家族でキャンプでも行こうか」と言ってくれた。学校なんて休んじゃって、平日の空いてるいい時期に、楽しいことしようぜ!という、とても魅力的な提案。すごく、すごく嬉しかった。嬉しかったけど、それ以上に「このキャンプが終わったら、また学校に行かなきゃいけないのかな」という不安の方が大きかった。
予感は的中した。二泊三日の弾丸キャンプは本当に楽しかったし、良い思い出になったけど、帰ってきて母が笑顔で放った一言は「よし、もうこれで頑張れるかな!?」だった。私も必死に笑顔を作り、「うん」と答えた。
幸い(?)、私は持病の入院のため、もともと3学期の途中で、みんなより一足先に2年生を終える予定だった。勉強や部活のこともあるし、何とかそれまでは乗り切って欲しい、と両親は思っていたのかもしれない。
しかし、どんなに限りがあると分かっていても、やっぱり辛いものは辛いし、苦しいものは苦しかった。クラスはおろか、学年中から、先生たちからも「死ね」「学校来んな」「なんでまだ生きてんだよ」などと思われているのではないか、なんて被害妄想が止まらなかった。
そんな調子だったから、毎日家に帰っては一人でベソベソ泣いていた。ただ、なるべく両親に気付かれないように、部屋のベッドで枕に顔を埋めたり、風呂場で湯船に顔を付けて声が漏れないようにして泣いていた。とにかく、これ以上心配させたくないという思いから、バレないように必死だった。
ある日の夜、いつものように風呂場で泣いていると、洗面所から「ちょっと、さすがにそろそろ出てきなさい」と母の呼ぶ声が聞こえた。
風呂に入ってから1時間は余裕で超えていたので、ああ、こんなに長時間入ってたから心配させちゃったのかな、と少し焦った。
もう涙と鼻水で顔はグシャグシャ。どうしようかと一瞬悩んだが、ママに色々話して慰めてもらったら、ちょっとは落ち着くかもしれない。なんとなくそう思い、風呂を出て、パジャマに着替え、髪を乾かして母の元に向かった。
母はリビングで洗濯物を畳んでいた。私はその隣に座り、母が畳んでいる様子をジッと見ていた。
すると、
「ちょっとさぁ、さすがにお風呂長すぎだからさ」と、少し冷たく母が言った。私のこの顔を見て何も思わないのかな、と感じつつ、「だって泣いてたんだもん…」と答えた。
「どうして泣いてたの?」と聞くので「学校が辛いし、怖い」と答えた。すると、母は洗濯物を畳む手を止め、私に向き直り、私の目を真っ直ぐに見て、こう言った。
「でもさ、なつきも悪かったよね、自分からクラスに馴染もうとしなかったよね。信用できる友達なんかいないって言ったけど、そもそも作る努力もしてなかったよね。そうじゃない?」
決して怒鳴られたわけじゃない。強く言われたわけでもない。
諭すように、言い聞かせるように、わたしを真っ直ぐに見て母はそう言った。
涙で母の顔がボヤけ、何も言えなくなった。
わたしが悪かったのか。そうか。
わたしがクラスで本ばかり読んで、友達を作ろうとしなかったから、
わたしがどこのグループにも入る努力をしなかったから、
わたしがちょっとやそっとのイジリを流すことができないから、
なんだ、そうか
わたしが悪いんだ
ただボンヤリとそう思った。
そして、涙を堪えながら、
そもそも辛いことを相談して慰めてもらおうという精神が甘ったれてる
期待した言葉をもらえなかったくらいで勝手に落ち込むな
母だって余裕が無いんだからこれ以上迷惑かけようとするな
そう自分自身に何度も何度も言い聞かせた。
その後、母から「どうすれば人を信頼出来るようになるのか」について、意気揚々とレクチャーされた。彼女曰く、「まずは自分から心を開くこと!」らしい。それが出来たら娘はここまで苦労してないよ、母。
かなり長くなってしまったが、この出来事は、私の人生の大部分を占めるトラウマになった。ここから、母との様々な価値観や意見のすれ違いによる、わたしの長い長い戦いが幕を開けるのである。
母と自分は違う人間のはずなのに、私は私にとっての価値観や理想があって良いはずなのに、
''母の存在''と''自分の存在''を分断するのに、何年もかかってしまった。正確に言うならば、今もまだ完全に分け切れていない気もするけれど。
最近、毒親をテーマにした漫画をよく目にする。漫画アプリで無料版の作品を色々読んでみると、どれも壮絶すぎる内容で、わたしなんかが母親に悩んでいるのが申し訳なくなってしまう。
実際、わたしは自分の母親を毒親だと思ったことは1度もない。これはガチ。
あまりにも人間性が真逆すぎるから、それぞれの価値観や大切にしていることが違いすぎるから、しょっちゅうぶつかってしまう、それだけのこと。ただ、ここで厄介なのが、これが「親」と「子」の関係であったこと。
なぜかいつも自信に満ち溢れている母は、まさか自分の考え方が娘にハマらないなんて思うはずもなく、事あるごとにわたしの選択や意見に口を出す。だって「親」だから。大切な娘が恥をかかないように、道を間違えないように、親がきちんと導いてあげなくちゃ。多分、彼女はこんなマインドなのではないか。
例えば、わたしのファッションに口を出すのは、幼い頃から日常茶飯事。否定というか、意見というか。もちろん良いことを言ってくれるときも、褒めてくれるときもある。ただ、あまりにもわたしのファッションセンスが皆無すぎたのか、はたまた敏感になり過ぎているのか、やっぱり否定的な意見ばかり頭に残ってしまう。「そのトップスはめいに似合わないよ」「なんか違うんだよねー」「うわ、それはちょっと…」「えっ、ほんとにそれで外出るの?(笑)」など、息を吐くようにわたしの自尊心をズタズタに刻んでいく。でも、あくまで母は親としての一意見を言っているだけだし、そもそもこのくらいでメンタルをやられる私が弱いことはよく分かっている。
でも最近は、バイト代で自分で買っているのに、なんでここまで言われなければならないんだ、という悔しさから「私が気に入ってるんだからこれでいいの!」くらいには強く返せるようになった。だけど、やっぱり部屋から出て母に私服を見られるときは、未だに無駄に緊張してしまう。
私服なんて嫌だなあ、選ぶの憂鬱だなあ、なんて思ってしまう。
いい加減、こんな自分を少しでも変えたい。というか、楽になりたい。
不眠だけど心がハイな内にこの記事を書き切れそうでよかった。今、わたしが戦うべきは母より自分自身なのだと思うから、まずはメンクリに行って全力で向かい合って来ます。
いろいろ頑張ります。頑張れなかったらその時はドンマイ、頑張れるときに全力で頑張ります。
ここまで読んでくださった方、本当にありがとうございました…!(そもそもいるのかな)
みなさんは、身体が悲鳴を上げる前に、どうか、どうかゆっくり休んで下さい。ご自愛下さい。
みなさんにとっても、わたしにとっても、今日がいい日でありますように。
春見 夏生🌻
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