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第23回 成功者が実践する「じぶんを変える行動法」

私は仕事柄、なかなか外に出る機会がありません。

そのため時間がとれる日はなるべく外に出て、どこかに行ったり誰かに会うことにしています。

しかし、なんといっても休日。あまり疲れることはしたくありません。

今日はしんどいし、ゆっくりしたいなあ…

あ、もうこんな時間か、遠くには行けないなあ...

結局いつものイオンモール。変わらない休日です。

外食なんかも、そうですね。

いつも行くところは、マクドナルド、ケンタッキー、すき屋...

たまには違う所に行ってみよう!と思っても、ちょっと高いし、行ったことなくて勝手もわからないし…

今日はまあいいや、で、またいつものファストフードで食事をしてしまう。

わたしたちは誰しも「自分を変えたい」と思うものですが、このように一度クセがついた「行動」を変えるのはとても大変です。

皆さんにも「新しいことをはじめたけれど、すぐに元通りになってしまった」という経験がおありだと思います。

こうした時にわたしたちは「なんとわたしは意志が弱いのだろう」と考えてしまいがちですが、これは意志の問題だけではないんです。

そもそも人間のしくみとして、わたしたちは毎日の行動も考え方も、同じことを繰り返すようにできているんです。

たとえばわたしたちが新しい人に出会うと、自己紹介をして、共通の会話を探してと、気を使うし心をつかいます。

それよりも、気心の知れた「いつものあの人」と話すのは安心で、楽。

知らない場所に行こうと思えば、道順や乗り継ぎを調べなければいけません。道に迷ったり、場所を間違えることもあります。

それに比べると「毎日通っている道」を通るのはとても安心で、楽。

つまり新しいことをするのは疲れる上、失敗するかもしれないという「不安」がつきまとうんです。

それでついつい、安定していて楽な「いつものやり方」に戻ってしまうんですね。

これまで人間が生き残っていくためには、この「安定を求める」という性質が必要不可欠でした。

しかし現代を生きる私たちにとっては、人間のこの性質が、新しいことに挑戦できない原因にもなってしまうんです。

ここからが本題ですが、上手くいく人とは「新しいことに挑戦する」のが上手な人なんです。

たとえば「ホリエモン」でおなじみの堀江貴文さんは「気が付くと毎日が繰り返しになりがちだから、毎日改善するところがないか探している」と言います。

つまりはいろんなことをちょっとづつ変えて行くそうです。

たとえば、話したことのない人に話しかけてみる。

じぶんが絶対に着ることのないような服を試着してみる。

行ったことのない場所に行ってみる。

大きな挑戦をするのは大変ですが、こうした「小さな挑戦」を積み重ねることなら、手軽にできるのではないでしょうか。

こうして「いつものループ」をはずれて、未知の領域にふみだすことは「当たりはずれ」があります。

失敗して嫌な思いをすることもあれば、もっと素晴らしいものに出会える可能性も生まれるのです。

こうして挑戦と失敗を繰り返すことを、ビジネスの世界では「トライ&エラー」、心理学では「試行錯誤」と言います。

毎日を繰り返すばかりでは、成長はありません。失敗しても、成功しても、新しいことに挑戦することによって、今まで知らなかった「新しい情報」が入って来る。これが大切なことなんです。

上手く行く人たちは、この「新しい知識を取り込む」ということを、とても大切にします。

たとえば、テレビによく登場するメンタリストDaiGoさんは、一日10冊、月に300冊の本を読むそうです。

幸福の科学の総裁、大川隆法さんは、激務の中でも年間1000冊本を読むことで有名です。

銀座まるかんの社長である斎藤一人さんは、仕事の合間を縫って、日本中を旅してまわっています。

本を読んでまとまった知識を頭に入れたり、行ったことのない場所に行って見たことのないものを見ることで、それだけ新しい情報が入ってくることになります。

上手くいく人ほど、情報収集を欠かしません。毎日新しい情報を取り入れ、頭の中を循環させることによって、これまでに出てこなかった新しい発想が出てきたり、囚われて苦しくなっているものから脱することができる。

つまり知識を増やすことによって、わたしたちの人生は開けてくるのです。

こうして聞くと簡単なことのように思いますが、ほんの少し前まで「知識を取り入れる」ということは、中々できることではなかったんです。

人類が生まれて20万年がたちますが、機関車や車が一般的に使われるようになったのはほんの100年ほど前からです。

日本は道の問題から馬車もあまり使われていなかったようなので、移動のほとんどが徒歩によるものでした。大幅な移動なんてできないので、人は基本的に生まれた地域から離れることができなかったんです。

さらに、文字を読むこともできなかった。つい200年前の日本やフランスで、文字が読める人は全体の半分程度しかいなかったんです。

イタリアやスペインではもっと低くて25%、ロシアではなんと全体の10%の人しか字の読み書きができなかったそうです。

つまりたった100年ほど前まで、人々は毎日同じ風景の中で、ひたすら同じ生活を繰り返していました。さらに読み書きもできないわけですから、情報が入ってこないんです。本当に無知だったから、発展するのが難しかったんですね。

それに対して、現代は「情報化社会」と言われるように、情報を取り入れることがとても簡単になりました。

インターネットによって、知りたいことはすぐに調べることができ、ニュースアプリを見れば、いつでもどこでも最新のニュースに触れることができる。

車の運転、電車の乗り継ぎも、スマートホンのナビを使えば、迷うことなく目的地にたどり着くことができます。

過去の本も、映画も、音楽も、文化遺産も、手を伸ばせばすぐに見たり聞いたりできる、とても贅沢な時代に住んでいるんです。

こうして「情報を取り入れる」ことができるようになったから、現代社会が急速なスピードで発展し続けているのではないでしょうか。

これは、わたしたち一人ひとりにも同じことがいえます。

毎日同じ繰り返しでは新しい情報が入ってこない。意識して行動を起こし、情報を取り入れていくことが、自分自身の発展につながるんですね。

そうはいっても、私もすこし前まで変化が苦手だったんです。

つい最近まで休みができても、イオンにいくか、家でゆっくりしているか。

毎日同じ人と話して、いつも同じジャンルの音楽を聴いて、同じようなものを繰り返し買っていました。

今考えれば、これでは新しい情報なんて、一切入って来ませんね。労力もかからないし、失敗して恥をかくことも少ないけれど、ここに進歩はありません。

そこでいま、わたしは「とにかく変える」という事を意識しているんです。

こんなの着たことない。そんな遠いところ行ったことない。こんな音楽自分には縁がないということを、思い切ってやる。自分の常識から外れた、思い切った行動をとることにしています。

そういうことを繰り返すうちに、自分がこれまでいかに繰り返しにはまりこんで、毎日同じことをしているか、はっきりわかるようになってきました。

「そんなの当たり前だ」と思う方もおられるかもしれませんが、意外と自分では「繰り返し」にハマっていることに、気が付けないもんなんです。

こうして新しいことに挑戦することを心がけると、住み込みをしていることは変わらなくても、新しい世界が広がるようになってきたんです。

先輩から教えてもらった言葉に、「知覚動考」という仏教の教えがあります。

はじめに述べたように、私たちは行動に移すのが苦手な生き物なんです。

「何からはじめようかな」「いつからはじめようかな」と悩んだり考えているばかりでは、いつまでたっても動き出すことはできません。

これは知覚「考」動になってしまっている姿です。

知って、覚えたら、ひとまず考えてみて、悩んで、決断して、それから動く。わたしたちはこうなりがちだから行動が遅くなってしまうのですね。

ソフトバンクの孫社長は、何事も10秒以内に決断して行動に移すことで有名です。

知覚「動」考とは、知って覚えたら、「とにかく動く」ことを優先するという考え方です。

上手くいく人は、「動いてから考える」から、何事も行動が早いんですね。

とはいえ、動きが増えただけ、もちろん失敗も起きてきます。失敗したり成功したり、試行錯誤の毎日が始まるわけです。

こうして試行錯誤をしている姿は「ふつう」ではありません。はたから見たら「変わっている」ようにうつります。

天理教の教祖、おやさまは、こうして人からバカにされ、笑われることに対して「阿呆が望み」「人の笑いを神が喜ぶ」とおっしゃる。神様はそういうがむしゃらな姿を応援してくれるんです。

わたしたちは新しいことを目の前にすると、失敗するかもしれない、恥をかくかもしれないと「不安」になり、安定した「いつもの日常」に戻りたくなってしまいます。

しかしそれでは挑戦にならない。新しい展開はおこらないし、新しい情報も入ってこないので、結局自分を変える事にはつながりません。

この「知覚動考」は、いいかえれば「ともかくうごこう」と読むことができるんです。

今日わたしが何を伝えたいかというと、行き詰まりを感じたときにはごちゃごちゃと考え込んでしまうのをやめて、とにかく「新しいことに挑戦する」「行動の量を増やしていく」ということを心がけましょう、という事なんです。

着た事のない服を着てみたり、歌ったことのない曲を歌ってみたり、新しいことに挑戦して失敗をするその姿は、はたからみると変わっていて「阿呆」のようにうつるかもしれません。

しかし、新たな情報は、挑戦することでしか得れないんです。

挑戦を繰り返して、日常のループを脱することによってはじめて、今まで見えなかったことが見えてくるようになるのです。

人の目ばかり気にして動かないよりも、時には阿呆になって行動を積み重ねることが、真に賢いのかもしれません。

行き詰まりを感じたときには、「阿呆になって、ともかくうごこう!」これを心がけて通らせて頂きましょう。

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