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お兄ちゃんとお母さんと「バカ」とおれ

今年1年生になったばかりの次男が、こんな話をした。

「6年生のお兄さんたちが1年生の教室に遊びに来てくれて、お笑いをやって見せてくれたの。おれのお兄ちゃんが、その真ん中でみんなを笑わせてたら、ももちゃんが『あのまんなかの人が、いちばんバカだね』と言ったの!」

次男は、クラスメイトにお兄ちゃんを「バカ」呼ばわりされたことに対してとても怒っていた。そもそも次男は、バカ発言をしたももちゃんのことを入学当初から毛嫌いしていた。

ただ、詳しい話によればももちゃんは、笑いながら「あの人がいちばんバカだね」と言ったのだそうだ。しかも、6年生の兄は人前でバカなことをして他人を笑わせるのが得意である。お笑いって、そもそもバカなことをして笑わせるのが大部分だったりもする。

しかも、何のネタをやったのかと聞いてみたら、ドリフの「研ナオコ」の真似だったとかで、確かに兄が1年生の教室で「バカ」をやっていたのは事実だった。

言葉を選ぶ力

わたしは一連の話を聞いて、ももちゃんは悪意をもってうちの長男をバカと言ったのではないと思った。

もちろん、次男がももちゃんを毛嫌いするのはしかたない。嫌いなものは嫌いだよね、嫌だって吐き出していいよという話もする。

でも、語彙が少ない、言葉を知らない、自分の伝えたい表現に最適な言葉がすぐに浮かばないという人も、たくさんいるというのは事実だった。

その子の家庭の中で飛び交う言葉にも、大きく影響されるだろう。絵本や言葉遊びに触れる機会によっても変わるかもしれない。そして、本人のもともと持っている特性からの影響の場合もある。

研ナオコのネタを披露して、バカと呼ばれた長男こそが「自分の伝えたいことに対し、最適な表現を見つけにくい人」だからだ。

以前、学校から帰宅した長男がわたしにこんなことを言った。

「もう、やんなっちゃったよ。お楽しみ会で何をやるか班で話し合いしたんだけど、なかなか気まらなくて、関係ない話になったりして。俺が『つまんないから早く決めて早く帰ろうよ』と言ったら、はやとが怒っちゃってさ。けんかしちゃったんだよ」

おそらく長男は「決めるべきことをパッと決めて、早く解散したほうがいい」と言いたかっただけだろう。でも、話し合いを短く終えようという提案として出た言葉が「つまんないから」という言葉だったのだ。

長男は、自分の気持ちを言葉で表現することが苦手だ。頭の中が先走ってしまい、伝えたいことは山ほどあるのに、言葉が追い付かないところがある。だから、言い間違えが多く、かなり適当な表現を使って相手を誤解させてしまうことが多い。これには現在進行形で、自分の課題だと感じているようだ。

家族であれば、長年のコミュニケーションの経験則からくみ取ってあげることもできるのだが、家庭の外ではそうはいかない。

「話し合いを無駄なく進めて早く解散すれば、自分もみんなも放課後の時間が長く取れていいと思う」ということを言いたかったのに、それを「つまんないから早く終わろうよ」と言ってしまうと、それは誤解を受けても仕方がないことになる。

「あの真ん中の人がいちばんバカだね」と言ったももちゃんは、その兄のギャグを笑いながら、楽しそうに見ながら「バカだね」と言ったのだ。

でも、次男は自分の兄をバカだと言われたことに傷ついていた。よくあるすれ違い、だけどとても難しいすれ違いなようにも感じられた。

「バカ」で表現できる気持ち

わたしはその話を聞いて「ももちゃんはひどいね」とは言えなかった。本当だったら、次男の「完全なる味方」をしてあげたらよかったのかもしれない。

兄をバカだと言われた事実は確かに悲しかった。だけれども、わたしは気づけば「なんかさぁ、バカにも、いろいろなバカがあるんだよね」と、話をしていた。

たとえば「この野郎、ふざけんじゃねえ!バカ!」というバカもある。

ほかにも「な~にやってんのよぉ、バカだねぇ(笑)」というバカもある。

あとは、次男も大好きなトトロに出てくる「メイのバカ!もう知らない!」も、バカを使った感情表現のセリフだ。

いろいろな気持ちに、バカという言葉があてがわれるんだよ、と話していた。

だから、あの真ん中の人がいちばんおもしろいね、という意味で言ったのかもしれない、と話した。

そんな話をして、次男が納得したか、親として正解な言葉だったかはさっぱりわからない。でもそのときは、そう思った。

「バカ」という言葉に反応した本当の理由

では、わたしは子どもに普段、言葉についての何を伝えているのかと考えてみると「好き」か「嫌い」かという個人的な感想と、その理由だった。

「バカと言われたらお母さんは悲しい気持ちになるから、言わないで。自分が言われるのも嫌だし、誰かが言われているのも嫌なんだよ」

わたしは次男にそう話したことがあったように思う。

だからこそ、次男がこの言葉に過剰反応しているのかもしれない。

もしかすると次男は「兄をバカにされた」と感じたわけではなくて「バカという言葉を聞くと嫌な気持ちになる」というわたしの言葉を思い出して反応していたのかもしれない、とも考えられる。

わたしは、母親にさんざんバカと言われて育って、それがとても嫌だった。だから子どもに対して「バカ」は口が裂けても言わないし「言わないで」と伝えてきた。ただそれは、わたしの「バカ」への執着から、無意識に発せられたことなのかもしれない。

「あんたって子は、バカだね~!」と言って頭を撫でまわすお母さんだって、きっといるんだろう。人を攻撃し打ち負かすためではなく、愛情や温かみを表現するために「バカ」を使う人も、きっとたくさんいる。

わたし自身、親しい友人が悩んでいるときに「それは相手がバカだ」と言って、慰めたこともある。

「バカ」という言葉がダメなのではなく、どういうときに使うか、どういうシーンでどう使うとどんな効果を発揮するのかは、千差万別である。

この言葉はとくに、批判的な意味から愛情を込めた意味まで幅が広い。一つの言葉でも、複数の意味合いを持つこと、誰に対してバカを使うか、どんなシーンで使うかでも、言葉の持つ意味も力も変わるのだ。

言葉の幅、奥行きを伝える

こうして考えてみると、何気ない言葉のひとつひとつに幅や奥行きがあるんだと改めてわかるように思う。

この言葉はダメよ、乱暴な言葉はいけませんと規制するのも、確かに親の役目のひとつかもしれない。

でも、乱暴な言葉ってなんだろう、いけない言葉ってなんだろうと、大人自身がわかっていないと、それを子どもに伝えてあげることもできないのだろうと思った。

言葉を大事にするというのは、決して汚い言葉を使わないことではない。悪い言葉を口にするなという禁止令でもない。

いつどこで、どんな風にその言葉を選ぶか、という「柔軟性」の問題なんだろうなと、身につまされたできごとだった。

まぁでも、自分の兄をバカだといわれたら、腹が立つだろうなぁ。次男はまだたった6歳だが、毎日一生懸命に人間関係をやっているのだなとも、感じた。





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