夏野新(なつのしん)
2人の男の子を育てを通じて体感したことをまとめたエッセイです。真剣な話からおもしろネタまで
うまくいかない人間関係、コミュニケーションのエッセイ
昔の思い出、雑記、ちょっとした記録文、感想文やレポートなど
アダルトチルドレン・世代間連鎖・親子や家族関係のエッセイ
「あぁ~おもしろかった。さすがにもう寝よう。今の話本にしたら絶対おもしろい。お母さん『息子と話したこと』って、何か文章書きなよ」 2時間近く話し込んだ後に、息子がそう言った。 この話は、思春期の息子のいらだちから始まり「感受性の強さって何なのか?」という話題に発展して、無事着地するまでの話。 「中学生って本当にイヤ!」息子は昔から学校に足が向かない日がある。最近はそこまで頻繁ではないが、ときどきバッテリーが切れたように動かなくなるときがある。そうかと思えば、フルスロット
過去に書いた文章を「読み返したくない」と思うことが、わたしにはよくある。 けっして、自分が書いたすべての文章を読みたくないわけではない。「あ~なんだっけ!昔こんな記事書いたよな~!」と、懐かしく愛おしい気持ちになって、わざわざ探してまで読み返すものもある。 でも、すぐそこの本棚にあるのに「なんとなく嫌~な感覚がして、読み返したい気持ちにならない。正直、見たくない」というものがある。 この違いは何なのかというと、「書いているときの感情や感覚」なんじゃないかなと思う。 読
わたしはずっと、子どもとごっこ遊びをするのが嫌いだった。 ごっこ遊びとは、何者かになりきってやり取りをする遊び。ヒーローごっことかおみせやさんごっことか、おままごととか。その類のあそびはとても疲れるものだと思っていた。 なぜなら、展開の仕方がわからなかったから。ヒーローや戦いごっこは、ただ敵が来て剣を振り回す単調作業だと思っていたし、おままごともただ料理を作って出すだけの業務だと思った。 それはまだ子どもが小さくて、大人や架空の人物の真似をするのが主たる目的だったからか
『こんとあき』という絵本が、死ぬほど好きだ。自分が幼いころにも繰り返し読んだし、もうすぐ小学校を卒業する長男にも、何度も読んで聞かせた。小学校1年生の次男にも小さなころから読み聞かせ、今もまだ好んでいる。 この絵本は、幼いころに母がよく読んでくれた絵本だった。林明子さんの絵本はどれも好きだが『こんとあき』は格別。 なんといってもこんの視覚的な可愛さは、動物を扱った絵本のなかでも群を抜いていると思う。でも、それだけではなくて、「大人のわたしでも欲しいもの」が、こんの中には詰
言葉から人の心やコミュニケーションのヒントを紐解きたい。その思いから『言葉とこころの解剖室』というシリーズものを書いています。 無意識に使う言葉や、言葉に対する感覚から「自分」を知り、言語コミュニケーションを通じて「相手」を知ることができます。決して正解のない世界ではあるものの、言葉という高度な道具をできる限り大切に、そして有用に使いたい。 執筆業に携わる者としても、いち人間としても、言葉と心をもっと追求したい!ここは言葉やコミュニケーションを分解、分析して明らかにする「
わたしは文章を書くのが仕事でもあり、趣味でもある。仕事で書いている文章と趣味で書いている文章は全くの別物だけれど、いつでも同じ「文章」を取り扱っている。 普段自分を物書きという風に呼んだことはないけれど、大きくジャンル分けすると「物書き」という人種になるのだろう。物書きの人たちは、自分が文章を書くことに目覚めたきっかけを、それぞれ持っているようだ。 わたしが自分の文章を意識するようになったきっかけは、たぶんあのときのあの先生だったんじゃないかな、と感じさせる言葉が思い浮か
わたしの息子、小学1年生の話を聞いてほしい。彼はきょとんとした人形のような見た目をしていて、背格好はちんちくりんである。あまり目立つタイプではなく、活発すぎず引っ込み思案すぎず。幼稚園や学校の先生からの評価としては常にアベレージ。可もなく不可もなくといったところである。 でも、彼の中に広がっている「知的好奇心の世界」は果てしなく深い。そんな息子の興味関心が深まっていく過程について聞いてほしい。 危険生物が好きな息子次男の「秀でたもの」は何かと問われれば、母親としてはいろい
言葉から人の心やコミュニケーションのヒントを紐解きたい。その思いから『言葉とこころの解剖室』という連載を書いています。 無意識に使う言葉や、言葉に対する感覚から「自分」を知り、言語コミュニケーションを通じて「相手」を知ることができます。決して正解のない世界ではあるものの、言葉という高度な道具をできる限り大切に、そして有用に使いたい。 執筆業に携わる者としても、いち人間としても、言葉と心をもっと追求したい!ここは言葉やコミュニケーションを分解、分析して明らかにする「解
言葉から人の心やコミュニケーションのヒントを紐解きたい。その思いから『言葉とこころの解剖室』という連載を書いています。 無意識に使う言葉や、言葉に対する感覚から「自分」を知り、言語コミュニケーションを通じて「相手」を知ることができます。決して正解のない世界ではあるものの、言葉という高度な道具をできる限り大切に、そして有用に使いたい。 執筆業に携わる者としても、いち人間としても、言葉と心をもっと追求したい!ここは言葉やコミュニケーションを分解、分析して明らかにする「解剖研究
言葉から人の心やコミュニケーションのヒントを紐解きたい。その思いから『言葉とこころの解剖室』という連載を書くことにしました。 無意識に使う言葉や、言葉に対する感覚から「自分」を知り、言語コミュニケーションを通じて「相手」を知ることができます。決して正解のない世界ではあるものの、言葉という高度な道具をできる限り大切に、そして有用に使いたい。 執筆業に携わる者としても、いち人間としても、言葉と心をもっと追求したい!ここは言葉やコミュニケーションを分解、分析して明らかにする「解
先日、ある人といじめについて話していたときのこと。いじめをしていた加害者側の子の名前が出ると、相手は少し考えてからこう言った。 「しっかりした家の子に見えるけどね」 その言葉を聞いたとき、わたしは少し気が遠くなる感じがした。特別おかしな返答ではないこともわかっている。でも、そこには否定のニュアンスが含まれていることをなんとなく感じた。 つい最近、知人に噂話のような陰口を振られたとき「そういう風には見えないけどね」と返した自分を思い出す。わたしは否定のニュアンスを込めて「
1週間ほど前に、自宅の玄関の前に大きなクワガタがポツンと一匹現れた。 わたしは家のドアを開け、今年一番大きな声で「クワガタがいる!!」と叫んだ。小学校1年生になる次男が昆虫好きだということもあったが「こんなところになぜクワガタがいるのだ!?」という不思議な気持ちに歓喜していたように思う。 そのクワガタは虫かごに入れた。昆虫マットと登り木、餌用のゼリーなどを購入し、しばらく飼うことにした。 でも、わたしはその日以来「このクワガタはいつ死ぬのか」を考えるようになった。 ◇