「そういう時期だよね」って、どういう時期?9歳の壁・中間反抗期のまとめ
長男が小学校3年生のころ「中間反抗期」という言葉に巡り合ってだいぶ楽になった記憶がある。
しかし、そのあともうひとつ重要な概念である「9歳の壁」という時期があることを知って「なんだ、もっと早く知っておきたかった」と思ったことも、鮮明に覚えている。
どちらも、小学校中学年~高学年にかけての重要な成長過程であり「難しい時期」と呼ばれる期間だと思う。
……いや、子育ては、休みなくずっと難しいとは思うんだけど「最近やたらぶつかる」とか「どうもうまくいかない」ってときは、やっぱり子ども側に変化が起きていることが多いと思う。でも、目に見えないからわからないし見過ごしやすい。
子どもの変化は「成長」であって、本来喜ばしいこと。なのに「反抗期で難しい」とか「自分の育て方が悪いのかな…」とか思ってしまいがちだと思う。
でも、たぶんそんなことない。ただ「難しい時期」というのが抽象的すぎて、わからないだけなんじゃないかな。
変化・成長=喜ばしいこと、正常で健康な証拠だとリフレーミングできれば嫌な感情もわきにくいと思うのだ。
次男が今年9歳になるので、9歳の壁についてもう一回確認してまとめておこうと思う。
9歳の壁とは
9歳の壁とは、9歳前後の子どもにおとずれる発達上の転換点のこと。幼児だった頃に比べ、認知能力や思考力が飛躍的に向上し、大人に近い思考力を発揮するようになる。
しかしこの成長においては、つまずきやストレス、親への反抗などがみられるために、親子ともに「壁」を感じやすい時期。
具体的には、複雑な問題の解決や抽象的な考え方ができるようになり、社会的な関係性の理解も深まっていくとされる。
だんだんと手が離れ、行動範囲も広がっていくため、親としては楽になると感じる側面もあるが、一方でぶつかる機会が増えたり、子どもの変化を見逃しがちな時期でもあると感じている。
人間関係やコミュニティの変化とメタ認知
長男が9歳だったころのことを思い返すと、この時期は人間関係の複雑化が特に目立っていたように思う。
「みんな仲良く」というのは現実問題として難しい、ということを実感する年頃が、ちょうどこの時期なのではないか。
単なる衝動的なケンカではなく「厄介なトラブル」に発展することもあれば、自分の人間関係のパターンができていく時期でもある。
すべて親が付きっ切りだった幼児期を抜けて、自分で友達と話し合い、約束し、出かけていき、次回の約束を取り付けたり…という世渡りを覚えていく。
そんな中で「いつも特定の相手と同じような揉め方をする」「またこのパターンで悔しい思いをする」なんてことも増えた。
今までがむしゃらにやってきたスポーツも「あれ?自分これ好きじゃない」とか「そんなに向いてないんじゃ?」など、客観的に気づくことができたのもこの時期だったと思う。
たとえば、幼稚園からずっとサッカーを続けていたけれど「集団でやるスポーツだと自分のアイデアや実力が発揮できない」「個人競技のほうもっと楽しめるんじゃないか」といった、自分の欲求や理想が出てきたりした。
自分を客観的に見て考える力「メタ認知能力」との結びつきも強いように思う。メタ認知がぐいぐい伸び始める第一歩となるのが、9歳前後なのではという体感がある。
親である自分の体験はどうだったか?
一方、女性であるわたしの子どものころはどうだったかというと……
小学校6年生になるまで「自分が他人から見てどうか」とか「人と比べてみてどうか」とか、そんなこと正直何にも考えていなかった。
早く家に帰ってゲームしたい・絵を書きたいしか頭になくて、おしゃれや流行にも全く興味がなかった。あの子のほうがかわいいとか、美人とか、勉強ができるとかっていう「他人との比較」で自信を失った覚えもない。覚えていないだけかもしれないけど。
しかし、6年生が始める少し前になって急に、自分を客観視せざるを得ない出来事が頻発するようになる。
そこから「自分は他者と比較してどうなんだ?」「自分はこのままで大丈夫か?」という見方ができるようになった。女子にしては、精神的な成長はちょっと遅めだったような気がする。
決まり通りよりも「自分なり」を見つける時期
また、上手に手を抜く方法を覚える時期でもある。男でも女でも、めんどくさいこと、なぜやるのかわからないことはやらなくなる傾向にある。
だんだんと「決まり通り」よりも「自分なり」を見つけるようになるのも、このころからだと思う。
入学してからだいぶ年月が経ち、サボったり、怠けたりすることも増える。それを注意したり咎めたりすれば、反発したり、攻撃的な態度に出たりすることも増え、親子間での衝突も増える。
長男が小学校3年生くらいのころ、よくぶつかっていた。思い返すと、いろいろ衝突の要因は浮かんでくる。
わたしがいちいちうるさく口出ししていたこと、下の子が小さくてあまり長男をじっくり観察してやれなかったこと、わたしと長男の感覚優位性が真逆であることなど、いろいろある。一つではなく、複合的なものだった。
ただこの辺は、非常に手や口を出すさじ加減が難しいところだなと思っている。
というのも、わたしは子どものころ忘れ物が多くて、宿題もちゃんとできない子どもだった。しかも、なんでできないのか自分でわかっていないタイプで、先生によく𠮟られてている「だらしのない子」だった。あまり要領がよくないので、もうちょっと親に手を貸してもらいたいケースもあるだろう。
しかし、中には「自分なりにうまくやる方法」を自分で編み出している子もいる。これとこれは、やらなくてもいい。これだけやっておけばOKみたいな感じで。
実はそうやって、自分なりの処世術を無意識に編み出しているのに「決まり通りであること」「ちゃんと(漠然)やること」を求めてガミガミしてしまうこともあって。
その辺は、親の観察眼が試されるところだ。ルールや口出しの枠を広げる・狭める・広げるを繰り返して、最適なところを探っていくような感じになるのかな。
「そういう時期」って、どういう時期なんだ?
わたしがなんで、こうやって子どもの発達や成長プロセスをまとめているかというと……「そういう時期」とか「難しい時期」という言葉の意味が理解できないからだ。
よく、言うこと聞かない子どもとか、反抗期の子どもについて話をしていると「そういう時期ってあるよ」「そういう時期だと思うしかないよ」「難しい時期だから仕方ないよ」という助言をもらうことがある。
でも、わたしは「そういう」がわからない。
反抗期だけじゃなくて「世の中そんなもんだよ」の「そんな」がよくわからなかったりする。
だから、みんなが言う「そういう」とか「そんなもん」を、自分なりに理解して具体化しないと、行動できないんだということがわかった。
9歳の壁とか反抗期とか、発達や成長の過渡期についてじっくり調べたり、考えたりしないと自分の言動が選択できないのだ。
しかも、そういう・そんなもんとかっていうのは、微妙に個人個人で違っている。だから、自分の子どもや自分たち親の過去のケース、周りの人の話などで統計をとって「だいたいそんな感じ」の指標を定めていくような感じだ。これが結構おもしろいと感じる性格なので、苦なく、むしろ楽しんでやれている節がある。
言動する前に、いったん呼吸を置く
この時期の子どもと接するなかで、わたしが意識したいなと思うことは「いったん呼吸を置く」ということだ。一呼吸置くことで「この人と接するときの前提」を思い出すことができるからだ。
何か言う前に、いったん呼吸を置く。手を出す前に、いったん考える。条件反射的に受け答えする前に、いったん観察する。
そういう、一呼吸置くことが、この時期の子どもに接するなかで有用な技になるのではないか。一呼吸置くことによって、思考や目線が自分→子どもに、移行できる時間がうまれる。
たとえば、お風呂に入ってと何度言っても聞かない。こっちは洗い物の途中で手を拭きながら仕事の連絡を返したりして、マルチタスクもいいところなわけだ。
でも、子どもは今、大人の声が耳に入らないくらい何かに熱中していることもある。昨日よりすらすら文が読めることを実感しながら、漫画を読んでいるのかもしれないし、落書きをしながら「横顔の描き方」のコツをつかんだかもしれない。脳のトランスフォーメーションをイメージしつづけていたら、ちょっとくらいのことでは腹も立たなくなった。
なんというか……
子どもが今、大きな過渡期を迎えているという前提を、おでこに掲げておくっていうか。で、その過渡期が一体どんな時期で、なんのための期間なのかっていうのをある程度知っておくとずいぶん楽になると、実感している。
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