「1対多」のコミュニケーションと責任について

SNSでは炎上や選挙などの「イベント」があるたびに、一人の人間に対して大量のコメントが飛んでくるが、そうした時にAIが自動的にそれらのコメントを要約したものを表示するようにして欲しい。

このとき、個別のコメント一つ一つを見る必要はない。精神的にもよくないし、実に色んな人が色んな意見を言ってくるので、それら全てに応答しようとしても物理的に不可能だから。また、あまりにも情報が多すぎて判断もできなくなる。だから、すべてのコメントを要約した文章を読むだけでいい。そのうえで、どう判断するかは読んだ人が各々で決めればよい。

上記と同じようなことはすでにヤフコメが導入しているが、読んだ人の判断に役立てられるようにするためには、より要約の粒度を上げ、かつ、どのような意見が言われているのかの「傾向」を掴めるような要約をする必要がある。これで「石を投げてくる人たち」の発信の快楽を奪いつつ、ある程度「声をあげる」こともできるようになるだろう。

これはいわば、「1対多」におけるコミュニケーションの在り方(言語ゲーム)、責任(responsibility)を考えることだ。従来、哲学は「1対1」、「1対顔が見える範囲の人間」のコミュニケーションについてばかり語ってきたが、SNS時代で本当に必要になってくるのはSNSの「1対多」のコミュニケーションにおける哲学的思索だと思う。これはアーレント、ハンス・ヨナス、ウィトゲンシュタインなどを使ってちゃんと展開できるものだと思っているが、誰かすでにやってんのかな?

ちなみに、少しだけネタバレをすると、責任(responsibility)というのは人のコミュニケーションの在り方(言語ゲーム)によって変化するという話です。これは、法律や制度のような形式的な(大まかには)責任とは異なり、言語ゲームによって流動するものです。なので、「責任をとる」と言ってもそれは人間関係の変化や、時間の流れによって変わり続けるのです。

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