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感覚に鈍く、ロジカルな左脳左脳型【自分の思考グセの理解】

孤独を感じるくらい考えすぎる自分も、
頭でっかちで、先に理論ばかりを並べてしまう自分も、以前はあまりすきにはなれなかった。

しかし、ものを知ることや考えることは昔から好きだった。美術館より博物館がすきで、本も小説より実用書がすきだった。

・・・

そんな私は、インプットもアウトプットも理論的らしい。「通りで理屈っぽいわけだ」とおもった。

ちなみに、こんな簡単にできるみたいなので気になる人はやってみると面白いと思う!


思考すると、勝手に理論が先行してしまって、あとから「目に見えるものだけじゃなくて、見えない部分も重要視できたら良かった。」と感じることは少なくなかった。

ここでは、目に見えるもの・見えないものをこんな定義としておこうと思う。

目に見えるもの・・・脳で認知して司る理論的な情報。数値化されている情報。または、統計データから得た情報。(要は、"言葉で説明できる情報"のこと)

目に見えないもの・・・五感で司る感覚的な情報。五感とは、視・聴・嗅(きゅう)・味・触の五つの感覚。感覚の総称。(要は、"言葉で説明できない情報"のこと)

だから私は、目に見えないもの(感覚)を司ることが得意ではないという自覚をした。

世の中目に見えるものだけじゃなく、目に見えない部分もすごく大事なことに気づく体験をいくつかしたから。

中でも、私自身の"健康・ダイエット"について悩んだことが最も印象的な体験だったのでそれについて話そうと思う。


自分の中に理論を作るために、
知識を入れた。

私は、「これでもか」というくらいダイエットや健康、美容をキーワードに、本やインターネットで情報をできるだけ多く収集して、多角的な視点で"健康"について考えた。
実際、健康食品やサプリなど、当時流行っていたものからマイノリティーなものまであらゆる商品を試した。

私が健康を調べていたのは、私自身が過去に摂食行動が治らず、自分自身が体と心がうまく機能しなくなったことがあったのも理由の一つだ。自分のコントロールが不可能で、それはもう治すために必死に調べた。

少し話が逸れるが、他にも理由はあった。当時の私は、太っていたときにいじめてきた人に復習するためという目的もあった。(笑)これに関してもし興味があれば、『ここ』から読んでください。(笑)

摂食行動(摂食障害)・・・主に過食・拒食症を繰り返すことが多い。摂食障害は、厚生労働省に難病指定されている一種の精神疾患のこと。

そして、当時の自分の中の思考のクセを振り返って気づいたのは、私はいつも理論を作るために知識を入れていた、ということ。

自分の中で納得できる理論を作りたかった。「これをこうすれば、こう良くなる。」といったような理論を作りまくっては試していた。

・・・

なぜこの成分が効くのかを調べて、逆算して食事に取り入れたり、一日の栄養素の摂取量も計算して毎日過ごしたりしていた。

厚生労働省の食事摂取基準という、成人女性一人当たりのエネルギー(カロリー)、栄養素の種類とその適切な量などが書いてあるものがあった。だから、そのとおりに過ごしていた。このときの自分は、健康の定義が"数字や統計"だった。

引き算や足し算をするかのように、「=健康」を目指して日々過ごしていたんだ。

目に見える情報(数字やグラフなど)だけでは
健康にはなれなかった。

そもそも健康とは、心も体も健康なことを指す。

逆に、いつも健康のことばかり考えてそれがストレスとして体に害を及ぼしてきていた私は、健康とは言えなかった。事実、当時は摂食行動も治っていなかった。

ストレスは、活性酸素となっていわゆる"細胞の酸化(サビ)"を作ってしまう。つまり、ストレスは老化も早く進むし、病気になりやすくなるということ。

ストレスは数値化されにくい。人によって感じ方も違うし、その人を取り巻く環境も違うからだ。

健康になれなかったのは、
"目に見えないものをみようとしてなかったから"

本来人間は、五感を働かせて自分の体に必要な栄養素のある食べ物を求めるはず。そして、本来舌が"今の自分に必要な栄養素かどうか"もジャッジしてくれるものだったはずなのに、私にはその"言葉で説明できない情報"である感覚の存在も知らなかった。

というより、理論で固めて安心してたから、そんなことを考えもしていなかった。目に見える食事や食べ物(栄養素)や数値・統計が全てだった。そしてその考え方が正しいと思っていた。

あまりにも理論が優勢で、感覚を感じづらくなっていたのだ。

というより、自分の知っていた"モノの考え方"が、理論で考える方法だったから、理論が判断基準になっていただけだった。感覚での判断基準を知らないだけだった。そして今noteを書いているこの瞬間も、私は理論的に自分に落とし込んでいる。(笑)

理論も感覚も両方大事だった。

理論も感覚も、どちらとも両方がないと腑に落ちないなと思った。きっと、何かのスキルを習得するとき、理論と感覚の両方を身につけることが必要だからだ。

たとえば英会話では、理論的に基本的な文の組み立てについての情報を知ることも大事だし、話すときの相手の目を見て話したり、相手の意図や感情を感じ取れるような五感のいわゆる感覚的な情報を司ることもどちらも必要だなぁと思う。

もちろん、どちらかだけでも英会話はできるのだが、理論だけだと頭で理解してはいるがスムーズに会話ができないし、逆に感覚だけだとなんとなく会話が進むが、地に足がついてる感じがしないのだろうと思っう。

だから、理論的すぎる所が弱点でもあることだと知ってからは、感覚を磨くために今までやったことないこともやった。

一回"何を食べるか"を気にしないで、感覚だけで選んで食べるトレーニングをしたこともあった。(笑)

何の理由もなく知らない土地に行ってみたり
深く考えることなく、物ごとに取り組んでみたり。今までより深く目的を考えず本を読んでみたり。

そうすることで、今までの自分とは少し違うものが自分に入ってきた感覚になった。その方が気持ちも楽になったようにと思う!

こんな感じで、"思考のクセ"についてなんとなくわかっただろうか?
自分を知るにも、"思考のクセ"を知ることは有効な手段だと思うので、みなさんもお試しあれ!

今日も読んでくれてありがとう。ではまた!

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