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うつ病の薬は効かない、はじめから、そういうものだったなんて……【積ん読部屋からの便り2】精神科は今日も、やりたい放題

こんにちは。お元気ですか。

今日は、
前から気になっていた本を、
読みました。

題名からして、
過激。

似た話は、随分前から
知ってはいて……

あれは、
まだ、
学生の頃だったと思います。

「うつ病を始めとする
 精神病が
 流行っていますが
 あれは
 製薬会社が
 お薬を売るために、
 病気を【創っている】
 のです」

そんな情報を
何かで知りました。

まだ若かったので、
本当に心底、
びっくりしました。

でも、
それ以後も
日本社会では
「精神疾患」は、
増えていて

それらに対応するための
「メンタルヘルス」は
今や
すっかり
暮らしに
馴染んでしまっています。

もし、
その病気という
概念自体が、
オカシナもの
だとしたら…

ちょっと、
今の世界は、
気持ち悪い。

精神病に関して
今まで思っていた
素朴な疑問も
いろいろ腑に落ちる、
そんな1冊に、
出会いました!

『精神科は今日も、やりたい放題 -医者が教える、過激ながらも大切な話-』
内海聡 PHP文庫 

この本は、
現役の内科医の先生が、
精神科・製薬業界、なんなら日本社会も相手取って
知られていない裏側や不都合な事情を明かし
おかしなやり方から普通の状態を取り戻そうという
いわば暴露本、
の、文庫版。
奮闘と勇気と希望の本です。


「積ん読部屋からの便り」について

読書をしたら、
積ん読部屋から、noteでみなさまに
お便りをお送りしていきます♪
そんな思いを込めました。

コーナー化することで、
続いていくことを私自身が
楽しんでいく♪ という手です。

ぜひ、お付き合いください♪


今回読んだ
『精神科は今日も、やりたい放題 -医者が教える、過激ながらも大切な話-』には、
こんなことが書かれていて、
私はこんなことを、思いました。
以下、引用中の太字は、引用者(私)による装飾です。

【引用1】集団で「神のお試し」をやっている

精神医学(略)の発祥と起源をたどれば優生学という概念にたどりつく。
自分は「変」ではなく、他の人間は「変」である、なので「自分のほうが優れている」という考え方が根本にあり(以下略)
精神医学(略)の目的は人を救うという点ではなく人を矯正し、洗脳し、問題行動を示すすべてのものを排除しようとするものであった。
そうやって精神医学はあらゆる問題に利用、応用されてきたのである。民族差別しかり、人種差別しかり、集落的差別しかり、政治犯や反逆者に対する扱いしかりである。

第一章 精神科はやりたい放題! 精神医学はなぜ生まれたか

精神医学においていまだに疾患の原因は科学的にわかっていない。薬物の効果についても同様である。(略)証明されたり因果関係を導けたりするものが何一つないのだ。(略)精神医学、精神疾患のすべてが主観(略)
非常に非科学的なはずの精神医学があたかも科学的であるかのように扱われることによって、さまざまな被害の温床となってきたのである。

第一章 精神科はやりたい放題! 非科学としての精神医学

世界中で大規模な健康被害を広げてきた現代型精神医療に対し、アメリカ心理学会がその暴走を止めるべく、国際規模の抗議活動に乗り出している(略)まずは精神医学という存在がまともたりえない、という前提からスタートしない限り、どのような真実にも気づくことはできないのが現在の状況であり、この本を書く動機でもある。

第一章 精神科はやりたい放題! アメリカ精神医学界・大御所の反省

(気づき)
優生学。
そういう考え方が、
あるのねぇ。

なんというか、
人の弱さの結晶
みたい。

自分は変じゃなくて他人が変、
だから自分の方が優れている。
自分の考えと違うことをする他人を、
矯正して洗脳して
問題行動をやめさせたい。

かぁ。

何があったんだろうなぁ、
と思うと。

きっと、
怖かったんだろうねぇ。

急に叫びだしたり、
急に殴りかかったり、
何かの幻が見えてしまっていると
想像できるような
言動をする人。

そういう、
「自分の理解を遥かに超えるもの」
が。

怖かったんだろうねぇ。

私はその状態の方と
直接お会いしたことがないから
実感としては、わからないけれども。

きっと、目の前にいたら
すごく怖いと思うの。

もし、
家族がそうなっちゃったら、
すごく怖いし、
血がつながっているから
自分もいつか
そうなるんじゃないかっていう
さらに大きな恐怖も
あわせて
襲いかかってくると思う。

怖いよねぇ。

怖い。。。

だから、
自分を守りたくて

そうやって、
自分とは全然違う
人を見た時に、

「自分はふつーで、他人が変、
 だから他人が変わるべき。」

そういう考えを持っちゃう。
そのこと自体は、
気持ち、わかるなぁ

でも……
こわいのは
その後の展開よね。

その、気持ちをさ、
思考の暴走にそのまま
乗っけちゃったの!?
っていう。

そうすると
差別や
分断を生んじゃうよねぇ。

狂暴だし凶暴よねぇ。
その「理解できない人!怖い!」
という気持ちが乗ったままの
思考回路さんって。

怖いからさ、
怖さの原因を、
排除しようとするよね。

すると、
途端に攻撃的
凶暴になるよね。

人と人を区別するのは
なんでもないことなんだけども。

区別した後、
分断してしまう。
攻撃し始めてしまう。

コワイ。怖い。こわい……。

結局、
この、
精神疾患問題、

なんといいますか、
地球規模で、
人類規模で、


安易な分断の誘惑に堪えて
 人を信じられますか?

っていう、
なんだろうなぁ、
神様からの「お試し」を
ずーっと、やっている
んだろうなぁ。

っていう気がするですよ。
私はね。


【引用2】えっ、私も病気ですか?

あなたも絶対当てはまる!ADHDチェックリスト
(略)病気でないものを病気とし、薬によって良くなるものではないにもかかわらず、良くなるというウソを並べることによって、相手をだまして客=患者とし、しかもその治療は現実的に良くならないものがほとんどであるという、現代の精神医療の姿を、私は詐欺と呼んでいる。

精神薬を飲み続けて保っている状態を「良くなる」とは言わない(略)それは改善ではなく依存だから。

なぜ、いちクリニックの医師にすぎない私がこのようなことを言うのか?その原点は(略)「精神科セカンドオピニオン活動」による。
より良い精神医療というものが存在するのではないか、という甘い幻想(略)は、(多くの方々に会う中で)真に幻想でしかないことを私は教わったのである。(略)私の中に劇的な変化がもたらされた(略)「精神医学は正しく、薬は必要である」という洗脳からの開放である。
(略)
新たな児童虐待、それは子供に対する精神科診断と投薬である。

第2章 私が精神医学を「詐欺」と呼ぶワケ

(気づき)
以前、
ネットに転がっていた
ADHD(注意欠陥多動性障害)の
チェックリストを
興味本位で見てみたら
結構な数、当てはまって
焦ったことがある。

その時感じたのは

私も病気なのか?
というジトッとした
不安と

ADHDの定義が
本当にこれなんだったら
間違いなく私は当てはまるけど

いや、こういうひと、
フツーにいるよね??

こんな内容で
病気かどうかチェックしたら
あまりにたくさんの人が
当てはまっちゃうんじゃ??

という、違和感。

なんか、
「下手な占い」
みたいだなーと
思ったのよね。

「あなたは
 思慮深いところがありますが、
 時に感情的になることもあるでしょう。」

 (……いや、全員じゃない? それ)

みたいなの。

今回読んで、
あの時の違和感、
そういうことだったんだー、
と、
スッキリしました。

そして、
今という時代に
自分が子供じゃなくて
本当に良かったなぁ。
と、本気で思う。

それから、
内海さんが、
今のような姿勢で
この件に臨まれるようになった
経緯に
触れられたことが、

そりゃあ、怒るよね、
って、共感できたことが、
嬉しい。

私なら、
知ることすら難しい、
知ったことを
受け止めることも
できないような、
強くて深い
悲しみが
そこにあったんだろうなぁ、
と想像する。

そして、
だから、
こんなに言葉に強さが
あるんだろうなぁと、
思う。


【引用3】人は弱く、そして、真に強い

精神科などというものはこの世に存在してはいけない。これが存在するからこそ、人々は甘いものに群がる蟻のように精神科に集まり、最後は踏みつぶされていく。
最初から(略)「精神を治療してくれるような都合のいい組織も科学もない」という前提に立てば、人々は必ず自分で立ち直り、生きていく力を持つものである。

第4章 精神科にダマされないために

日本中がメンタルヘルスを充実させることに躍起になっていること自体、詐欺の塊であることを理解できない人々は、ただただ食い物にされていくしかないのだ。それがこの業界の真実であることを決して忘れないでいただきたい。

おわりに

(気づき)
希望はある。

そう思える。
やりようがあるのなら。

人の弱さから始まった
精神医療
だから、
なんだろう、
千と千尋の神隠し
とかに出てきそうな
(イメージです)
何かの魔物みたいに

ずーっと、ずーっと、
人の弱さを
餌にして
どんどん、肥大化して
来ている
んでしょうね。

みんなの気持ちが
弱い心が
魔物になって現れた


それが、
現代の精神医療というもの。

こういう書き方しちゃうと
なんだかファンタジーに
なっちゃうけれども

それを調和させていくのは

人の真の強さ
っていうことになるのかなぁ。

ありきたり、だけどさ。

やさしさ とか

思いやり とか

想像力 とか

仲間意識 とか

勇気 とか

情熱 とかね。


放っておいて
精神科さんが勝手に
失くなってくれることは
ないとすると、

私達の側が
精神科を必要としないように

なっていきましょーーー

という、こと、ですね。


今日のお便り

『精神科は今日も、やりたい放題 -医者が教える、過激ながらも大切な話-』

自分の知らなかった、

生々しくて
つらくて
痛くて
悲しい
腹立たしい
虚しい
切ない
やるせない世界を

汚くて
ずるくて
許せない世界を

そして
強くて
温かくて
揺るぎない世界を

たくさん見せてくれる
本でした。

私の母方の、
祖母方の
ひいおばあちゃんは

その時代には珍しく
精神病院で、
最期を過ごし、
亡くなった方だったと
聞きます。

ヒステリーの気(け)があったと
聞いていますが、

その頃の
精神病院に入るわけですから
よほど
周りの方が手を焼いたのかも
しれません。

どんな人だったんだろうなぁ。
どんなことを
感じていたんだろうなぁ。

これからの生活の中で
私が
直接的に
精神医療について
意見を持つ場面が
具体的には
どのくらいあるか
わからないけれど

誰も精神科に行かなくても
いいような
世界を
自分たちの周りに
作っていけたら
いいよねぇ。
いいよねぇ。

うん、いいよねぇ。


あなたへ

今日のお便りを読んでくださって
ありがとうございます♪

精神医療業界の
強烈な、裏話

とろっとろの
ほわっほわで
きっと人によっては
何を言っているのか
まるでわからない、
……かもしれない
私のお話(苦笑)

いかがでしたか?

何か感じて頂いたことがあれば、
スキ、フォロー、コメント、
いただけたら、嬉しいです。


追伸 お知らせを一つ♪

本を読む人たちの集まりに、
おいでになりませんか。

私も
今まで散々、
本を読んだり
読むのをやめたり
本を読んだり
楽しくなくなったり
ひどすぎる積ん読になって、
なんだかんだしながらも

読書という
元は大好きで豊かな行為と
完全に切れてしまわずに、
離れてしまわずに、
ずっと取り組んでいられるのは、

実は、
私の力では、ありません。

「場」の力を、借りています。

それが、ビジョナリー読書クラブの読書会です。

「ビジョナリー読書会」とは、本というツールを使ったコミュニケーションを通じて思考を深め、視野を広め視座を変え、気づきから行動に繋げるための読書会です。(以下サイトより)

読書会は、毎週日曜日の朝にオンラインで開催。

時々幽霊部員になっていますが
今後は、積ん読整理の一つで、
定期的に参加していこう~と思っているので、

気になった方は、
ぜひ、ご一緒にどうぞ。

ご参加、お待ちしています!


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