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古代ローマのお風呂好きはこの浴場から始まった!「アグリッパ浴場」

マルクス・ウィプサニウス・アグリッパ

軍事の才能をカエサルに見いだされた後、オクタウィアヌスの親友として、最高司令官として内乱を戦い、オクタウィアヌスが初代皇帝になるのを助けた古代ローマの軍人、政治家です。

ローマに今でも残るパンテオン神殿を建造させたことでも有名。皇帝になったわけでもないのに後世に名がよく知られた人物です。

そんなアグリッパは、首都ローマに公衆浴場も建設しています。そして、その浴場がその後、皇帝たちが競ってつくる大浴場のモデルとなりました。

古代ローマには、共和政時代の紀元前3世紀の終わり頃より、すでに浴場が建設されていました。

ただ、当時の浴場は、質素な設備で温水浴場のみのプライベート経営でした。それでも、浴場は市民に大人気であったため、次々に浴場が建設され、その規模も大きくなっていきました。

そして、紀元後4世紀には、首都ローマだけに大小合わせなんと1000もの浴場があったそうです。

そんな大ブームに貢献したのは、紀元前33年に公共の建物、道路などを管理するアエディリス(按察官)に就任したアグリッパ。その年には、首都ローマの浴場の入場料を彼が全て請け負い、市民は1年間無料で浴場に通うことができました。

そして紀元前25年から19年の間に建設されたアグリッパ浴場は、その当時、大きさ、設備の完璧さ、装飾の豊かさで他の浴場に比べ、ずば抜けていました。

今でも、トレビの泉などに水を供給しているローマ時代の水道「ヴィルゴ水道」から水をひいていたアグリッパ浴場は、紀元前12年に落成したローマ初の公衆浴場でした。この浴場をモデルに、後の皇帝たちが市民のために温水浴場や、冷水浴場、サウナなどが整う大きな浴場を建設します。なかでも一番大きく遺跡が残る「カラカラ浴場」は有名です。

といっても、アグリッパ浴場は、オープンした当初は利用できる人が限られていたプライベート浴場でした。しかし、アグリッパが浴場の相続人はローマ市民であると遺書に残したため、彼の死後ローマ市民のための公衆浴場となったのです。

80年に起きた火災の後に再建され、ハドリアヌス帝の時代には拡張もされ、5世紀にはまだ機能していたという記録が残っています。

しかし、ローマ帝国崩壊後、7世紀頃より、他のローマの建造物と同様にアグリッパ浴場も建設資材として使われ、大理石は砕かれ建築用石灰となりました。

現在は、直径25mの円形広間の高さ10mほどの孤を描いた壁の一部が残っていて、その両端が道路に面しています。市民からは「Arco della Ciambella チャンベッラ(ドーナツ状の菓子)の孤」と呼ばれています。

古代ローマの歴史好きの私達にとっては、これだけでも遺跡が残っていることがうれしいですが、この両サイドの家や、円弧の内側に家を建設した人はどういう思いでこのアグリッパ浴場の遺跡を残したのか知りたい思いです。分厚い壁で頑丈だからかな?

上空からみたアグリッパ浴場の円弧。Google Mapより

参考資料:
https://www.romanoimpero.com/2011/05/terme-di-agrippa.html

素直にうれしいです。ありがとうございます。