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遺書No.629 最低限のマナー。

※この記事は2004年7月6日から2009年7月5までの5年間毎日記録していた「遺書」の1ページを抜粋して転載したものです。

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2006.3.26
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世界の中心が俺であるにも関わらず、
俺を取り巻く世界は思い通りにならないことだらけだ。
いや成長する為にはそうでなくちゃいけない。
俺は成長すべきだ、確かに。

それは分かっているが、
時に俺が為すべき事は
俺が成してはいけない事でもあったりする。

為すべき事も思うままに成せない、
そのもどかしさに悲しみが溢れて止まない。

でも、もしこの世界で俺の涙が河になるなら、
いつかその河が俺以外の誰かを潤すなら、
それは本望だ。


こんばんわ、みーくんです。


思った事感じた事をそのままに、
誰に気兼ねする事無く書き殴る。

あくまで主観。

それも一時の感情や皮肉に任せて書き殴る。
そんな偏った独り言の世界。

他人がどう感じどう思いどう考えようと、
あくまで独り言という自由な権利の行使を妨げたり、
侵す権利はない。

そもそも前提からして、
不安定で自由気侭なその場限りの言葉達だったりするのだから。

それでも、
コミュニケーションの一部だったりする以上、
最低限のマナーだけは守るべきだよな。

それもたった一つの言葉や行為で、
180度変わったりするモノだから。

個人で事実だけを発信できるメディアがないと、
今の世の中は切り取られて貶められる、
そんな恐怖から逃げられない時代だし、
この流れは益々加速するに違いないのだから。

                      こんな風にね。

画像1

※画像はネットでの拾い物


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2022.3.20
毎日遺書を書き始めた当時629日目の投稿内容。
うわー、なんか昔に書いたものとは思えない感じするな。
ただ今は、実際にYoutubeという個人のメディアが当たり前に出てきた事は大きな変化だなぁ。
マスメディアの圧力や横暴からの逃げ道や救いが出来た。
思えばマスゴミという言葉も最近はほぼ聞かなくなった気がするのは生活環境が変わったからか?被害者が減ったからと言えるかも知れないよね。


過去のボクは昭和の固定観念や慣習に縛られ、自分や家族を苦しめていた事に気付きました。今は、同じ想いや苦しみを感じる人が少しでも減るように、拙い言葉ではありますが微力ながら、経験を通じた想いを社会に伝えていけたらと思っていますので、応援して頂けましたら嬉しいです。