見出し画像

遺書No.778 我が家族構成に想ふ。

※この記事は2004年7月6日から2009年7月5までの5年間毎日記録していた「遺書」の1ページを抜粋して転載したものです。

----------------------------------------
2006.8.27
----------------------------------------

深い意味や目的はない。
ただ不意に思う事がある。
いや、思い続けてきた事がある。
寂しかったんだよ。




こんばんわ、みーくんです。




突然だけれども、うちの兄弟はね、
5つ上の兄、3つ上の姉、
そして末っ子の俺という3人兄弟だ。

俺達は一緒に住んでいた幼少の頃から、
会話という会話が全くと言っていい程に、
かなり少ない兄弟だったと思う。

といっても常に喧嘩をしている訳でもないし、
お互いに関心がなかったのかも知れない。

ちなみに我が家族は、
A型の母を除き、全員がB型である。

理屈っぽい兄とは、
たまに話せばさも年上ぶった目線で見下ろすし、
やたらと無愛想な口調にイライラさせられ、
気づけば誰もが兄と話をするのに神経をすり減らす。
母や姉も兄と会話するのにはとても気を使っていた気がする。

調子の良い姉とは、
たまに話せば比較的愛想はいいものの、
親に対しては調子の良いポジションを取る、
典型的な「真ん中ッ子」であり、
基本的に自己中な「B型」ゆえに、
感情的になりやすく会話にならない。

面倒な場面では常に傍観者で、
美味しい所だけはちゃっかり持っていく為、
とてもじゃないが、
無防備に何かを語れる相手じゃなかった。
と、あくまで当時の印象ではそうだった。

また、父については、
物心ついた時から余り家にいない、
いわゆる仕事人間で、
朝早く出ては夜遅くに帰ってくる人だった。

国語力が低いといって良いのか、
「会話」というコミュニケーションスキルは、
極端に下手で、
父と話をすると家族は全員がイライラしていた。

その癖、B型のお調子者である父は、
親戚や人前では愛想が良い為に、
そのでしゃばる姿に余計にストレスを感じていた気がする。

母は「安定」と「普遍」を望む、
とても真面目人間で、
共働きなのに家事炊事を1人でこなしつつも、
それでいて掃除を絶対に欠かさないような、
道徳的でちゃんとした、
よく言えば文字通りの真面目人間、
悪く言えば固定観念に従順でつまらない人、
そう言えるかも知れない。

だが、決して器用ではない、
この母の家庭内における頑張りは、
彼女なくして今はないと言える程に立派だった。

そんな中で俺は、
邪険にされ、蔑ろにされる父、
不器用に神経をすり減らす母、
理屈っぽく気難しい兄、
調子が良く感情的な姉に囲まれながら、
気まずい空気を騙すように、
常に家族皆の顔色を伺っては、
おどけたり、話を振り、無邪気さを演じ、
「子供らしさ」を武器に、
家庭内のバランスをとっていたように思う。

別段どこか世間一般の家庭と比べて、
何か大きな問題があったと言いたい訳ではない。

そもそも「世間一般の家庭」とやらが、
どれほど満ち足りた環境かなんて知らない。

どこの家庭だって何かしらあるだろうし、
隣の芝は青く見える事も知らない年齢ではない。


ただ、不意に気がつくと、
俺は間違いなく、
アダルト・チルドレンになっていた。

俺は一刻も早く家を出て自立したかったし、
安定や普遍といった言葉で、
自分の生き方を誤魔化したくはなかったし、
そんな息苦しい生活から脱したいと思っていた。

・・・まぁ、21歳にもなってからではあるが、
大きなきっかけを元に「気付き」を経て、
今では生き辛さを感じるようなACの呪縛からは、
たぶん卒業できたと思っている。


とにかく、そんな兄弟達も、
時間と年齢を重ねると共に、
それぞれの人生で糧を得て何かを掴み、
誰もが当時よりも一回り広い視野をもって、
家族に対する接し方を覚えてきたと思う。

だがそんな今でもやはり、
年に1~2回、兄や姉と会う機会があって、
時に交わす会話と言うのは、
400字詰め原稿用紙の半分もない気がする。

まぁ元々愛想の良かった姉に限って言えば、
表面的にはずいぶん話しやすくなったといえる。

だが兄に至っては、
儀礼的に2,3の単語を挨拶として交わす程度。

接点といえば、
同じ個体から生まれたという情報のみ、
言っても過言ではない。

製造番号が近いシリーズであり、
姉で言えば染色体Yがなく、
俺にはXとYがある。

5歳年上の兄に関しては、
同じ男でありながらさっぱり分からない。

「それでも久々に会った兄弟なのだから」と、
変に気を使って話しかけたりすると、
不意に触れてはならないモノに触れてしまったかのような、
後悔に似た「過ち」の感覚を覚えるケースが殆どだ。


こうなると、
もはや兄弟というのは、
記号的な暗喩に過ぎないな、
と心から思う。

今では兄も姉も結婚し、子供が出来た為に、
会話の入り口に関しては、
一応のオプションが得られたような感があり、
救われる。


・・・結局のところ、
別に何が言いたいという訳ではない。

ただ昔から、友達や周囲の人から、
「兄弟(姉妹)」の会話や話を見聞きする度に、
この自分の兄弟の関係がね、
堪らなく無機質なものに思えたり、
何とも形容し難い虚しさを覚える感覚が、
甦ってくるだよね。

兄弟関係というものに、
モヤモヤした霧を生み出してしまう。

何が間違いだったのか、
そして何が正しい兄弟のあり方かなんてものは、
知らない。

ただ、今でも他人の兄弟の話を聞くと、
何とも言えない寂しい気持ちになるのは、
俺だけなのだろうか。

果たして兄や姉は、どう感じているのだろうか。


----------------------------------------
2022.9.2
毎日遺書を書き始めた当時778日目の投稿内容。
この時からさらに16年が経ってる訳だけど、未だに兄姉と何か言葉を交わす機会があった歳には、何とも言えない違和感や居心地の悪さを感じる結果になる。
いい大人というか言うてる間に初老に入ってしまうんだから、腹を割ってこんな事も笑い話に出来りゃいんだけど、まだまだ現実的じゃないわ。


この記事が参加している募集

これからの家族のかたち

過去のボクは昭和の固定観念や慣習に縛られ、自分や家族を苦しめていた事に気付きました。今は、同じ想いや苦しみを感じる人が少しでも減るように、拙い言葉ではありますが微力ながら、経験を通じた想いを社会に伝えていけたらと思っていますので、応援して頂けましたら嬉しいです。