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おっぱいと哲学と。

つい先日
7月まで毎月11日~29日まで開催されている
おっぱい写真家Riki Yamanekoさんによる
フルヌード展を見に行ってきました。

今回はカラフルなRikiさん↓↓

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臨月の女性がモデルだった今回
しっかり張りのあるお腹の膨らみのその中に
もうすぐ生まれる命があると思うと

体の曲線がより美しく感じられて
女性の私でも見とれてしまう程でした。

Rikiさんによるデッサン↓↓

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写真を見終わって
タイミングがあえばいつも
Rikiさんとおしゃべりする機会があります。

Rikiさんの話し方はとても柔らかく
相手から発せられた言葉をふわっと包んで
良し悪しはつけず
凸凹したその形のまま受け止めてくれる

そんな安心感から
ついいろんなことを話してしまいます。
今回は

“誹謗中傷”について

SNSの匿名性を悪用して
かなり悪質な誹謗中傷により
命を絶ってしまうケースも増えてきたことで

取り締まりを強化して罰則を

という世間の流れをよく目にします。

ルールをきちんと作って
誰も傷つかないようにしていきましょう

っていう流れは私も大賛成。

でもなんだかずっと違和感が消えない
このもやもやをRikiさんに聞いてもらいました。

コミュニケーションの主体は
その話を“受け取った”側

発信する側じゃない。

恐縮ですがRikiさんで例えると

Rikiさんが「おっぱいが好き」と発信した時

その話を受け取る側の受け取り方は

①純粋にRikiさんの想いをくみとる
②性的嗜好(いやらしさ)
③そもそも理解できません

大まかにこんなパターンが予想できる。

発信した側のRikiさんがもし
①以外の反応に【傷ついた】としても

それってもう
自分では全くコントロールできないこと。

いくら悲しくても辛くても

相手の受け取り方を変えるって
できないと私は思う。

だとしたら
悲しくて辛い思いをしないためにどうするか

自分の捉え方を変える

ってとこにいくしかない。

私はこういうところ

自分の捉え方のクセを知って
自分の気持ちを
自分でコントロールするってところを

日本人って学ぶ機会ないなぁって思う。

メンタルヘルスとかさ

傷ついてから
あれこれ手厚くサポートするんじゃなくて

子どもの頃からもっと
“自分とちがう”を話し合って認め合う
“自分とちがう”を切り離して考える

そんな練習ができればいいのになぁって。

だから
誹謗中傷を取り締まるのも
もちろん必要だしやってほしいことだけど

並行して
教育の中に組み込まないといけないこと
たくさんあるんじゃないのかなぁと

そんなことを考えてもやもや…

…してたんだ!って
Rikiさんとおしゃべりしたことで
すっきりと言葉にすることができた。

Rikiさん、ありがとうございました😊

お話の中でよくRikiさんが使う
“哲学”という言葉が私はとても好きです。

私は物事の
「そもそも」を考えずにはいられない性分。

それこそ哲学的な自問自答の繰り返しで
生きづらさを感じていた私には

その生きづらさを
まるごと受け止めてもらえる感じが
なんとも居心地が良いのです。

おっぱいもフルヌードも
そこには見る人によって
様々な解釈が生まれる

でも、それでいい。

他人の解釈によって
ご自分の生き方を変えないRikiさんとは

これからもときどき
素敵な写真を見たあとで
いろんなおしゃべり
できたらいいなぁと思うのでした。

何が出るかな♪おっぱいガチャ↓↓

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