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台湾にようこそ

初めて海外に行った。20歳の時だった。
大学がつまらなく感じ、一日中家に引きこもる日々が続いていた。確か、寒い京都の冬が終わりの兆しを見せかけた、そんな季節だったと思う。その日はダウンジャケットを着ることはなく、厚手のパーカーだけで一日を過ごしていた。

退屈しのぎに床に転がっていた本を手にとった。タイトルは「深夜特急」。沢木耕太郎氏が書いた、香港からロンドンまで乗合バスで旅をする、という実話に基づいた旅物語だ。大学生になる際、父から「これは幾多の人間の人生を狂わせできた本だ。事実、俺はこの本を読んで会社を辞めた」との言伝と一緒に渡された本だった。

「いや、これから大学に通うのに縁起悪いな」と内心思いつつ、受け取ったまま放置していた本。なんの因果かは分からないが、大学へ行く意味を徐々に失いつつ虚無感に苛まれていた私の心情を敏感に察知したのだろうか、突如として目の前にこの本が現れた。

「深夜特急」は最高に面白かった。 
主人公が旅を通じて出会う人々とのエピソード、そして巻き込まれるトラブル。「賢明さなど犬に食わせろ」とプライドをかなぐり捨てたセリフや、美しく澄んだエメラルドグリーンのモナコの海を「これはひどいじゃないか」と言い切る皮肉さ。読んだら誰しもが旅に出たくなるのではないか、そう確信させるような名著だった。しかし、ユーラシア大陸を旅する主人公を追体験したあとに戻ってきたのは、いつもの現実。六畳の部屋で天井の木目を目でなぞりながら思い出したのは父の言葉。

「そうだ、海外に行こう」
2日後、台湾行きの飛行機に乗った。

深い理由はない。単純に少ない貯金額と相談したとき、台湾行きの航空券が一番安かったからだ。出国検査が思った以上にすんまに済んだので「なんだか国内に行くのとそんなに変わらないなあ」とか思いつつ、飛行機の窓から見た台湾の森林は、明らかに南国の木々で構成されていた。これから行く場所が日本では無いことだけは確心した。

約2時間のフライトを終え台湾桃園国際空港に着いたのは11時頃だった。無事に入国。そして、メトロを使って台北駅に向かった。改札を出て出口に向かう。すると、衝撃の光景が待っていた。なんと、全裸の男が立ち小便をしているのである。いや、立ち小便は百歩譲ってまだ理解できる。きっと、膀胱が破裂しそうになり、致し方なく用を済ませようとしたのかもしれない。だがしかし、なぜ全裸なのだ。せめて服を着てくれ。あまりに衝撃的な光景に唖然とし、全裸放尿男を凝視してしまった。すると、目があってしまった。

「ファンイン」
「???」
「ファンイン」
「??????」

歯のない口を目一杯に広げ、満面の笑みで彼は聞き慣れない言葉を発した。一応、大学で第二言語として中国語を履修していたが、そこで得たわずかな知見も役に立たない。相手を理解しようという余裕もなく、純粋に恐怖にかられてその場から立ち去った。

「お腹が空いたな」

そういえば、今朝から何も食べていない。台湾はご飯が美味しいと、テレビも雑誌も友達も言っていた。ノスタルジックな本物の中華街で本格台湾料理を召し上がる。実に甘美な体験だと妄想した。安宿でチェックインを済ませ、手ぶらで街に駆け出すと、開けた交差点の角で「胡椒餅」と看板を掲げた屋台が営業していた。近づいてみると、それはどこからどう見ても「肉まん」を売っている店だった。記念すべきはじめての海外料理。言い値を支払い、どこか遠い懐かしさを感じる台湾の寂れた路地の片隅に座り込み、胡椒餅を一口。数秒後、吐いた。

まず、胡椒が効きすぎて辛い。涙と咳が止まらない。加えて、鼻に抜ける唐辛子とシナモンと漢方を混ぜたような甘く、鋭く、そして臭い。今まで味わったことがない謎の風味の正体は「八角」と呼ばれる香辛料だった。八角好きには本当に申し訳ないのだが、身体がこの臭いを取り込むことを完全に拒否した。さらに絶望的だったのは、この八角を使った料理が多いこと多いこと。コンビニに入れば入り口に八角を染み込ませたゆで卵が置いてあるし、露店から出てくる煙にはほぼ確実に八角の臭いが含まれている。すなわち、台湾で生活する為には八角を受け入れねばならず、それを受け入れられない者は野垂れ死ぬしかない。観光なんて持ってのほかで、生存のために食べられる食料を探すことが急務となった。

結論を言えば、リンゴが最適な食料だった。
まずどこでも買える。そして味が安定している。水分補給もできるし、結構お腹がいっぱいになる。加えて、かさばらないので2~3個常備可能。まさに完全食である。リンゴを片手でかじりながら海外を歩く俺カッコいいわ〜とか一人妄想に浸りながら、目的地もないままに歩き、歩き続けた。

あと、台湾で一番有名な小籠包屋にも行った。味は美味しかったけど、謎に女性店員のスカートの短さに驚いた。いや、客に媚びすぎじゃない?大丈夫?と心のなかで紳士を装いながら、しっかり美脚を見た。ありがとうございました。

肉屋には、首が繋がった状態で皮を向かれた鶏と豚が天井からぶら下がっていた。魚屋は水族館で見るようは熱帯魚が氷の上に陳列されていた。青果屋では、マンゴーがりんごと同じ値段で売らていた。店員さんは誰しもが舞台役者のように腹から声を出し、大きな動きで客を呼び込む。こんなに日本に近い国なのに、全然違う。海外に行ったらカルチャーショックを受ける、と言われるけど、その通りだ。きっと帰国したら友達や家族に同じセリフを吐くんだろうな、と思った。

眠くなったので、一時間ほどH&Mの前にあった階段で横になって寝た。みんな寝てたから、一緒に眠ろうと思った。太陽光を浴びて暖かくなったコンクリートが気持ちよかったなあ。この日用意していたリンゴを食べ終え、夕日が沈む頃、夜の過ごし方を考えた。お酒が全く飲めない体質(缶ビール半分で泥酔するほど)だが、気分が昂ぶっていたのでお酒を飲もうと決心。一度ゲストハウスに戻り、最低限の現金だけを持って夜の街へ駆け出した。おしゃれなダイニングバーみたいなお店でクラフトビールを一杯。いや、1/3杯。見事にほろ酔いになり、酔い醒ましにまた散歩を始めた。

「ずっと歩いてばっかりだなあ」

ネオン輝く街を歩きながらぼんやりと考えた。思い切って日本を飛び出してみたものの、ただ歩いてばかりでいる。これはこれで楽しいのだけれど、行動だけを切り取れば大学をサボって京都の街を練り歩いている状態とあまり変わらない。再び、虚無の闇が身体を侵食し始めた。暇…だな…と呟きそうになったとき、不意に後ろから声をかけられた。

「オニイサン、カワイイオンナノコイルヨ!」

突然日本語で話しかけられ、動揺した。この動揺には2つの意味がある。1つ目はここは中国語文化圏なのになぜ日本語が聞こえるのだという疑念。2つ目は日本人だと一発で見抜かれた驚きである。我が物顔で街を歩き、現地の人と一緒に地べたで寝たりしたので、「俺って台湾人に見えるんじゃね?」とか思ったりしていたのだが、決してそんなことはなく、化けの皮をやすやすと剥がされた狸のような気持ちになった。単純に恥ずかしかった。しかし、初めての海外で日本語で話しかけられたことに安堵したのも事実。羞恥心と高揚した気持ちを含んで上ずった笑みを浮かべ、声の主に応答した。

「なんでしょう?」
「ダカラ、オニイサン、カワイイオンナノコイルヨ!」

状況を整理すると、このきらびやかなネオンが光る通りは人間の欲がぶつかり合う繁華街。そして、前方に見える背丈が150センチ弱しかない小さなオジさんは客引きの人。客引かれている日本人は私。なるほど、理解した。

深夜特急の中で、沢木耕太郎氏はこのように語っていた。
「トラブルを必要以上に恐れてはいけない。トラブルが起こっても寛大な心で受け入れること。これすなわち旅を楽しむコツなり」と。ここで断りを入れて宿に戻るか、それともオジさんの話にもう少し耳を傾けるか。すっかり影響を受けきった頭で考えていると、驚くべき流暢な日本語が聞こえてきた。

「分かった。にいちゃん、公園のベンチで少し話そう」

客引きとベンチに座って何を話すんだ…と思いながらも、何かが起こる予感に従い、オジさんに着いて行った。5分ほど歩き、ベンチに腰掛けると、早口で彼は話だした。

「俺は20年ほど東京の赤坂で働いていた。ちょうどその頃はバブル真っ盛りで、俺も良い暮らしができたものさ…街は活気に溢れていた。懐かしいなあ…。日本人を見るたび、あの頃の思い出が蘇ってくるってもんさ…」

へー。
色んな人生があるもんだなあ。

と、浅はかな感想を適度に心に浮かべつつ、初海外初日の夜に客引きのおじさんと夜の公園で喋ってる状況がとにかく愉快だなと思った。おじさんは隙があれば「オニイサン、カワイイオンナノコイルヨ!」とお決まりのセリフを吐いてくる。なんでこのセリフだけ片言やねん、とツッコミを入れつつ、私は恐る恐るある事実を打ち明けた。

「所持金が日本円で500円くらいしかありません。カードは全て宿に置いてきました。だから、どれだけ誘われても、誘いにのることは"できないのです"」

オジさんは「そりゃないよ…」と落胆の表情を浮かべたが、それでも日本語で話せることが嬉しかった様子で、昔好きだった日本人の女性の話とか、下世話なトークを繰り広げた。20分くらい経った後だろうか。突如、「げほげほげっほっー!!!!」と笑ってしまうほどわざとらしい咳と共に、胸ポケットから一枚の紙をとりだした。

中国語で書かれていたので、文章を理解することはできなかったが、どうやら何かの診断書らしい。

「俺は肺の病気を持っている。実は幼い子どもがいるから、たくさんお金を稼がなければならない。でも、お前が客になってくれないから、今日の稼ぎは0だ。あーどうしようどうしよう、げほげほげっほっー!!!!!」

絶対嘘やん。
なんで流暢に状況説明をしたあとにさっきと同じ咳すんねん。盛大に心のなかでツッコミを入れつつ、沢木耕太郎先生の言葉が頭を過ぎった。

「トラブルを必要以上に恐れてはいけない。トラブルが起こっても寛大な心で受け入れること。これすなわち旅を楽しむコツなり」

待てよ、オジさんが嘘をついていない可能性も考えられる。本当に肺が病に侵されていて、その上幼い子どもがいて、家族に美味しいご飯を届けるのが彼の生きる縁であり、それを疑う私は心が汚れているのではないか。しかし、私は現金を持っていない。できることとすれば私の代わりを探すことくらいである。ん?代わりを探す、代わりを探す…。

きっと1/3のビールの酔いが残っていたのだろう。普段なら絶対にできない言葉を、酔いに任せて発した。

「分かったオジさん、代わり探してくるわ」

かくして、初海外初日の夜に私は客引きになったのである。
すっかり咳をしなくなったオジさんは、直属の上司へと変貌した。

「いいか?お前は日本人を見かけたらとにかく話しかけろ。客引きが日本人だと分かれば、あいつらも気を許すはずだ」

いや、どうやって日本人を見分けるねん、と思ったがこれが意外に分かるのである。直感といえば直感だけど、目の形とか、歩き方とか、パソコン作業のせいか首がちょっと前に出てる感じとか、人目で日本人と分かる特徴があった。そして、繁華街には10分に1回ペースで日本人が現れた。みんな40代くらいの中年だった。このエロ親父たちめ、頼むから代わってくれ、と心のなかで呟きつつ、

「カワイイオンナノコイルヨ!」
と片言で言いつつ、
「可愛い女の子いますよ」
とすかさずネイティブ発音で繰り出す。

緩急が効いたセリフを聞いた日本人は「えっ?」と含み笑いを浮かべながら振り返る。そして事情を説明する。「代わり見つけないと臓器売られちゃうんですよ〜」とかブラックジョークを言いつつ、本当にそうなったらどうしようと勝手に不安になったりした。

話しかけて3組目の男性二人が、「面白いから女の子に会わせてよ」と言ってくれた。すかさずオジさんに報告すると、慌ただしい素振りでスマホをポケットから取り出した。これは想像だけと、「お前ら!お客様だ!何!?のんきにコーヒー飲んでる場合じゃねえんだよ!早く来い!早く来い!!!!!」的なセリフを電話口に吐いていた。数分後、女性二人がやってきた。驚くべき美脚のスタイル、抜群の容姿、チャイナ美人の典型のようなモデル風の二人だった。

エロ親父たちも嬉しそうである。
オジさんやるなあと感心していると、ドヤ顔をされた。少しムカついた。ネオン街に消えていく男女四人組の背中を見ていると、臓器を売らなくて済んだ安心感と妙な達成感を味わいつつ、この不可思議な出来事が終わることに少し悲しみを覚えた。

別れの時間になった。

オジさんは病を打ち明けてくれたときを最後に、一度も咳をしていない。それどころか、勝ち誇った顔でタバコを吹かせているではないか。

「じゃあね、俺帰るわ」

オジさんに手を振り、背を向ける。
沢木さん、俺、トラブルを受け入れました。お陰で旅を楽しめました。余韻を味わいながら宿への帰り道を歩み始めると、

「おつかれええええええい!!!!!!」

振り返ると、おじさんが親指を天に向け、グッドサインと共に私に向かって叫んでいるではないか。まさに青春の一コマ。すかさず、  

「謝謝!!!!!」 

と応答した。そんな初海外初日の台湾の夜。信じるか信じないかは読者に委ねたい。

残りの滞在期間は平和そのものだった。
常備食にタピオカが追加された。練り歩くことに疲れたのでバスに乗って郊外に出てみたりした。台湾の街を見るとなんだか懐かしい気持ちになる。YUIの「I remember you」を聴くと、「ああ俺はここで生きていくんだな、友達は俺のこと覚えてくれるだろうか」も感傷に勝手に浸って涙をこぼしたりもした。次の日、ちゃんと帰国の便に乗った。

最終日、空港に行くために台北駅に向かった。
すると、また全裸小便男がいた。いや、このときは小便をしていなかったので、ただの全裸男だった。彼は私が台湾に着いた初日に見たときと何も変わらない笑顔を浮かべ、

「ファンイン」

と言ってきた。

多少の寛容さを身に着けた私は、意味を理解することなく「謝謝」と言った。彼は心なしか、嬉しそうだった。

日本で待っていたのは、いつもの現実だった。
いや、少し見え方が変わった現実だった。
ご飯が美味しい。トイレがキレイ。だけど、新しい建物がどこか無機質に見えてしまったり、デパートの前の階段で寝るのは気が引けるなとか思ったり。だけど、少し前向きになれたのは事実で、大学に少しずつ行けるようになった。

春休みが終わり、新学期が始まった。
中国語の授業に出席すると、担任の先生が、

「ファンイン」

と言った。とても聞き覚えがある言葉だ。

先生に意味を聞いた。

「欢迎(Huānyíng) ようこそ」

謝謝台湾。
また行くことを心に誓った。







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