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【書評】朝井リョウ作「正欲」


「目も耳も鼻も使えない人がどうやって恋をするか知ってる?」

思い出したのは、友人の言葉。


朝井リョウ作「正欲」。
昨今良く謳われる「多様性」という言葉の核心を痛烈に突いた作品。自分は他人と違うんじゃないかと不安に感じたことがある人はもちろん、誰かを差別してしまったり、イジめてしまった自覚があって、それを少しでも後悔したことがある人は是非読んで欲しい本である。多分、心臓を締め付けられ、脳天を殴られたような気分になる。でもそれは上質な痛みとして、読了後の人生に寄り添ってくれる、そんな気分にさせてくれる予感がする。

「多様性とは、都合良く使える美しい言葉ではない。自分の想像力の限界を突き付けられる言葉のはずだ。ときに吐き気を催し、時に目を瞑りたくなるど、自分にとって都合の悪いものがすぐ傍で呼吸していることを思い知らされる言葉のはずだ。」

「正欲」とある一文

本書は、世間では"マイノリティ"とされる性的嗜好を持つ人間が、社会規範と関わる上での生きづらさを巧みに描いた作品である。同時に、社会規範に準じた生き方をしていると考えている"マジョリティ"側の視点も描いており、その対比が「多様性」という言葉の意味を読者に考えさせてくれる。是非実際に読んで欲しい良書なので、物語のネタバレを避けたい。なので、読了後に私が実際に感じた事を綴ろうと思う。

5年ほど前になるだろうか。俳優として活動していた私は、とある作品で「男性にキスをされる役」を演じた。相手役の方は実際にゲイの方で、記憶が芽生えた頃から男性に性的嗜好を持っていたらしい。演技に入る前、彼は私に言った。

「同性に性的嗜好を持つ感覚は、多かれ少なかれ皆等しく持っている。私はその感覚が人よりも強いだけ。そして、その感覚はあることをキッカケに強くなることもある。あなたが今回の演技を機にどうなるか、楽しみ」

確かに、その通りかも、とは思った。
例えば、筋骨隆々なスポーツ選手を見たとき。同性としての憧れを抱き、胸が高鳴る瞬間がある。端正な顔立ちの人を見たとき、羨望の目で見ることがある。彼が言ったことは一種の説得感があった。だけど、そのときに私が感じたのは「恐怖」だった。もしかしたら、男性に性的嗜好を"感じてしまうかもしれない"という恐怖。自分が、マイノリティになってしまうかもしれないという恐怖。それは決してポジティブな感情ではなかったことを、失礼ながら正直に告白する。

結論、相手役の方とキスをしても、ただの皮膚と皮膚の接触としか思わなかった。自分は異常じゃない、自分は異常じゃない。私は、撮影が終わった時に安堵した。

その一年後、私は同性愛者の役を演じることになった。私は困った。なぜなら、私にとって男性を好きになるという感覚は「理解できない」ことであったからだ。

そこで思い出されたのは、あのとき共に共演した彼の姿だった。男性だけど、中性的でどこか艶めかしさを感じる挙動、言動。女性と比較して直線的な男性の身体のラインに美しさを感じると語ってくれた言葉。できる限り、彼の目で世界を見ることに努めた。すると、世界の感じ方を一つ会得したと言っても過言ではないくらい、新しい感覚を味わうことができた。

無意識に自分の挙動が女性的(たとえば、内股になったり、体をすぼめて相手の目に小さく映ろうとしたり)になったりした。この大胸筋良いな、とか、色白の男ってどこか色気があるな、とか思ったりもした。一年前に私にキスした彼の目に映る世界はこんな感じなのかな?と想像することは爽快感があって、純粋に楽しかった。きっと、私たちが異性に対して感じる感情と、彼らが同性に対して感じる感情にそこまで差異は無い。等しくドキドキしているはず。ただ、その対象が大多数か少数派か、の違い。

多様性に対して必要な態度は、許容でも理解でもなく、それを「面白い」と感じるための想像だと思う。

少しネタバレをすると、本書では「水」に性的嗜好を持つ人物たちを中心に物語を描いている。読了後に温泉に行ったのだが、これほど水の動きを観察しながら湯船に浸かったことは無い。ちなみに、私は誰も入っていない露天風呂の水面が風が吹いてゼリーのように震える様子にエロさを感じた。少しだけ、作中人物の彼らと話ができそうだ。




「目も耳も鼻も使えない人がどうやって恋をするか知ってる?」

「自分の身体に触れてくれた"手"の触感なんだって」

思い出したのは、障害者を研究するゼミに入っていた友人の言葉。インタビューをした方が、そう話してくれたそうだ。

私は目も見えるし、耳も聞こえるし、匂いを嗅ぐことができる。だけど、誰かが触れた手の感覚で恋をしたことはない。だけど、光も音も匂いもない真っ暗な世界の中で、誰かに優しく手を握られたら何を感じるだろうか。この話を聞いた後で、「触感に性愛を感じるなんておかしい」と言えるだろうか。

多様性とは、自分にはわからない、想像もできないようなことがこの世界にはいっぱいあることを思い知らされる言葉かもしれない。だからこそ、想像する。自分ごとに置き換えてみる。楽しむ。面白さを探す。

また一つ、世界の感じ方を知れたと、喜びを感じながら。



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