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#最終章 愛してるぜ宮崎

母の日が無事に終わり、同時に風の丘ガーデンでの研修が終わった。実は全く終わった実感がなく、いつものように出勤する勢いなのだが、悲しきかな、もう研修は終了した。様々な発見があったのだが、自分は文章を書くこと、そしてそれを読んでもらえることが嬉しい人間であることが分かった。
宮崎に行くまでの経緯、生産現場で感じたこと、そしてこれからの展望を記したいと思う。楽しんで読んでもらえることはもちろん、誰かの生き方の参考になればとても嬉しい。

札幌、そして香川県

人生に行き詰まったので札幌に行った。信頼している友人に助けを求めてのことだった。そして、友人の紹介で出会った占い師兼バーテンダーの方に「とにかく動け、クリエイティブな専門職の人と会え」とお告げを頂いた。

勇気を貰ったので香川に行った。理由は瀬戸内国際芸術祭が今年度に開催されるから。芸術家と関わることができれば、「クリエイティブ」という曖昧な表現を自分なりに再定義できると考えてのことだった。結局、コロナの関係で芸術祭に関わることはできなかったが、ゲストハウスのオーナーや地域おこし協力隊、ダンサー、大工、藍染職人、そして空き家を拠点に活動している"何でも屋"の方々と出会った。様々な刺激を貰いながら、丘の上にあるブックカフェで雑誌を読み漁った。音楽、映画、雑貨、本…多種に渡るジャンルに触れることができるのが雑誌の良いところだが、中でも私の琴線に強く触れたのは花だった。

ただ、その惹かれた理由は決してポジティブなモノでは無かったと記憶していふ。当時の私は人間関係にひどく辟易しており、言ってしまえば"人間不信"だった。故に、花の写真や記事を見た時、綺麗だなとかオシャレだなと言った感情を上回る心の声が聞こえた。

「花って生きてるのに"喋らない"のが良いよなあ」

もちろん、花は好きだった。好きな人やお世話になった人に花を渡すために行く花屋は、男が立ち寄るにはメルヘン過ぎる空間に沸き起こる恥ずかしい感情を楽しみに変えることすらできた。舞台に立った後、撮影が終わった後に花を貰えば、喜んでリビングに飾った。しかし、その程度と言えばその程度で、花を勉強したいと思ったことは無かった。花の名前なんでほぼ知らない。そんな私が決してキレイとは思えない理由で花に惹かれた。当時の私はどれだけ病んでたんだろう。人生、何がきっかけで何に帰結するか本当にわからない。ただ、研修が終わった今だからこそ思うのは、故に人生は面白いということだった。行動すれば何かに繋がる、どんな駅に到着するか分からないが、「自分」という列車に乗って送る25歳の旅を純粋に楽しみたいと思う。

札幌、そして香川で起こった出来事は、別途記事にまとめたい。

産業は「生産現場」から

「カラーバス効果」という現象がある。端的に言えば、頭で考えていることがよく目に留まるようになる現象のことを指す。人間の脳は、五感を通じて1秒間に約2,000個の情報を感知するらしいが、認識できるのはたった8〜16個らしい。つまり、人間の脳は「見たいものしか見ない」わけであって、ある日から私の目に「花」にまつわる情報が飛び込んでくるようになった。銘柄、産地、アレンジメントの作品…花への興味はどんどん深まっていった。そんな中、私にはある視点が養われていた。それは、宮城県石巻市での経験のおかげだった。

大学4年生の後半から約1年、私は宮城県石巻市にて水産業の仕事をした。主な仕事はいわゆる第三次産業に位置するBtoCの販売業務。しかし、漁師さんや魚市場の人間と関わることも多く、産業の流れを川上から川下まで見ることができた。そこで感じたのは、「生産現場を見ることの重要性」だった。どれだけ過酷な環境で仕事をしているか、最も鮮度が高いのはどんな状態か、川下にいるだけでは分からないことが多すぎた。だから、産業に興味を抱いたのであればまずは生産現場から見るべし、という考えが私の中に強く根付いており、花もその例外ではなかった。そんな私だからこそ、とある募集が目に飛び込んできた。それが、移住スカウトサービス「SMOUT」だった。これまでの経験から、地方に目を向ければ何かしら産業に関われるチャンスがあることを知っていたが、見事予想的中。それが「風の丘ガーデン」だった。花の生産から販売まで学べるプログラム…。私は即座に連絡し、参加を決めた。そして、カーネーションを初め様々な花と向き合う2ヶ月間が始まった。


宮崎県小林市「風の丘ガーデン」

札幌で出会った占い師が怖い。何が怖いかって彼の占いが当たりすぎて怖い。彼は、「会いたい人には必ず会える、行きたい場所には必ず行ける」と言ってくれた。たまたま見つけた花農家の拠点は、父が生まれ、祖父母の家からも近い宮崎県小林市だった。このプログラムに参加するためには車の手配が必要不可欠だったが、事情を説明すると祖父母は二つ返事で車を貸してくれた。サンキュー、じいちゃん、ばあちゃん。お陰で最高な時間が過ごせました。

風の丘ガーデンでの日々を綴った記事はマガジンにてまとめてあるので、興味が湧いたら読んで頂けると嬉しい。

これから

「花は喋らないから良い」
とても褒められた動機ではないが、なんだかんだで2ヶ月間みっちり働いた。お陰さまで、花に対する考えをポジティブなものに変えることができたと思う。

・お客さんがみんな笑顔で帰って行く
・人から「良い仕事だね」と言われる
・アレンジが効くので個性を出しやすい
・肉体労働(しかし、精神疲労は少ない)

そして、花を見ることで心が癒されたのも事実。農園に来るまで心の中に充満してた人間不信は薄まり、やっぱり私は人を魅了する仕事がしたいんだと実感することができた。

ただ、これから先の予定は決めていない。東京に一度帰るので、この活動を整理した上で次の行動を決めたいと思う。いろんな花屋を見てみて、アルバイトから始めてみるのもアリかなと思う。とりあえず、noteはこれからも書き続けるつもりだ。

一言で言えば最高だった。
愛してるぜ宮崎!愛してるぜ小林!!愛してるぜ風の丘ガーデン!!!

さて、次の駅に向けて出発しようと思う。

本当にありがとうございました。

おまけ(クロと一文字)

風の丘ガーデンのオーナー、澁田さんから言われた言葉。

「君は花より動物愛護団体の方が向いていると思う」

思えば、猫を愛し、猫を餌付けし、猫をストーキングする毎日だった。黒髪清楚美猫こと「クロ」は、子猫を4匹出産した。そのうちの1匹は昨日猫好きのお客さんに貰われて言った。幸せに生きて欲しいと思う。

早朝、残った猫缶を最後にあげるために風の丘ガーデンを訪れた。すると、子猫の寝床に黒い影が2つ。クロと、その姉弟であると推察される雄の黒猫だった。私たちはこの雄猫を、お腹に白くて真っ直ぐな横線模様が入ってくることから「一文字」と呼んでいる。こいつはクロの周りに付き纏い、好きあらば餌を一緒に貰おうとするので、ヒモのような猫だと思っていた。鳴き声もクロと比較すると雑で落ち着きがない。「ミャアアアアアアア!!!!」と節操のない甲高い鳴き声で甘えてくる、憎めないバラガキであった。

そんな一文字が、今朝、クロと一緒に子猫を温めていた。まるで子を守る父と母の姿だった。おそらく子猫の父親はあの太々しいきな粉猫だと思うので、クロが姉、一文字が弟だと推察する。

一文字「姉ちゃん、大丈夫だから。俺が一緒にこいつら(子猫たち)守るからさ。あんなドラ猫親父なんか忘れてよ。俺が姉ちゃんも守るから」

クロ「あんた…。(手がかかる弟だけど逞しくなって…)」

見せつけられた姉弟愛に早朝から私の涙腺は崩壊。猫缶は奮発して2個あげた。いつもはガッついて食べる一文字も、クロが食べる姿を見るや否や食べるのが落ち着くまで見守っていた。「一文字、お前ってやつは…」ダメな男が逞しくなる過程に人の心は揺るがされる。私の涙腺はさらに崩壊した。

クロの食事が落ち着くと、一文字はいつもの甲高い声を鳴らしながら、猫缶にガッつき始めた。子猫達は若干引き気味にその様子を眺めていた。

これからも幸せに健康に生きて欲しい。

終わり。


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