事件から20年と今後の夢
#人生日記 #軌跡 #性犯罪 #レイプ #生きづらさ #法律
今年2023年はもうあの事件からちょうど20年が経つ年。
20年か、長いようで早すぎる20年だったな。
事件からちょうど15年経った25歳の時、その時出会ったネット世界で初めて色んなことを打ち明けることが出来た。
リアルの知人は誰もいない世界線。
勿論色んな誹謗中傷も受けたし、しんどくて気が狂いそうになった時もあったのだけど。
それのおかげで、やっと自分の周りにもオープンに出来たと思う。
だから、私の話を聞いてくれた方々にとても感謝している。
15年経った時初めて勇気を振り絞って、
ずっと出来なかったことをした。
それは警察に電話すると言うこと。
事件は10歳の時だったからその当時のことは記憶から抜けていることや、周囲の人が隠していたから、ただただ煮えきらない事件の記憶だけが自分の中にありながら隠して生きてきた。
その後どうなったとか、なんで犯人は捕まらなかったのかとか、周りは何をしてくれたのかとか、警察は何をしたのかとか。
初めて警察に行こうか真剣に悩んだ時は高校生の時。
警察に行ったら真実がわかるんじゃないのか、なぜ私だけが背負っているのか、って気持ちで、何回も携帯で熊谷警察の電話番号を表示させては携帯を閉じた。
そして検索した画面に表示された「時効5年」の文字。
今はもっと長くなってたりするんだろうけど、その時表示された文字をしばらくみて、
全ての気力がなくなった。
「なんだ、もう私の事件って終わってるんじゃん。知りもしなかったなんて。アホくさ。家族も警察がどうにかしてくれるとでも思ってるんでしょ。馬鹿みたい。そしてそれを信じてら自分も馬鹿みたい。」
これが性犯罪の苦痛が1度では終わらないってやつなのかもしれない。
というかそう。
だから、この時警察に電話は出来なかった。
今思うと、この時に諦めずに何か動かせていたら、時効じゃなかったり、何か違っていたのかもしれない。
と思う。
それから9年程経った25歳の時、やっぱり事件の真相が知りたいと思い、
勇気を出して警察に電話してみた。
「15年前こんなことがありお世話になりました。その時小学生だったから、知ることができませんでした。事件の真相が知りたいです。」
帰って来た言葉は、
「もう時効を迎えているのでこちらに資料はありません。証拠品も処分されています。」
答えは薄々わかってはいたのだが、藁にも縋りたい気持ちで、たくさん質問した。
「時効って知らされないんですか?私の家族は時効を知らなかったし、ずっと捜査されていると思ってます。」
「本当に申し訳ありません。」
(警察に期待し過ぎていた自分に腹が経って涙が止まらなかった。)
思いのほか電話対応してくれた方は親切だった。
けど、電話を切って放心状態だった。
「ほら、、やっぱり。。
こんな絶望味わうことになるんだよ。。
だから高校生の私は間違ってなかった。
だって高校生の私がこれ聞いたら、絶対死んじゃってたよ。」
そう、必死に分離したもう1人の自分を慰めていた。
(解離現象っていうらしい、結構ショックなことがあると、自分をすごく俯瞰したような見方をする。「私は絶対許さない」っていう映画がすごくわかりやすい描写してるから是非)
ちょうどその時大好きだったボカロ曲があまりにも自分に刺さった。
「命に嫌われている」
どこにもやりようのない怒り、悲しみ、苦しみ、叫び、が自分の中で膨れて大きくなり過ぎて、自分を殺してしまいそうだった。
「作品として昇華しよう」
「いつ心もろともこの世から消えてしまうかわからないから誰でも見れる形で自分が生きていたことを残しておこう」
とただその時の感情で踊ってみたを作った。
それは自分が自分らしさを見つける新しい道へのきっかけになった。
でもやっぱり、
事件から20年。
この気持ちを完全に腐食することは出来ないのだろうか。
「真相が知りたい」
今更そんなこと知ったって無意味なこともわかってる。
たとえ奇跡的に犯人が見つかったとしても捕まえられないこともわかってる。
今更掘り返したって誰も幸せにならないこともわかってる。
結局何も変わらないこともわかってる。
そんなんに囚われてたら幸せになれないことも全部わかってる。
でも!なんだよ。
二度とこんな危険な土地に帰ってくるか。
と実家を飛び出して10年。
今事件現場から100m程の場所で暮らしてる。
やっと人にも話すことができるようになってきて、少しずつ前を向けるようになってきたから、
過去を昇華して私の故郷を取り返すために。
(とかちょっときざっぽくてきもいな笑)
事件から20年目の年、
ふと外の空気でも吸って近所を散歩してみようと、散歩してみた。
ちょうど小学生が下校していた。
ちょうどその当時と同じような黄色い帽子とランドセルを背負った子たちが。
動悸が止まらなくて、手足に力が入らなくなった。
「ああ、まだこれか。少し成長したと思ったんだけどな。」
「このブロック塀こんなに低かったけ。。」
いつの間にか当時大きく思っていた犯人が隠れていたブロック塀は、当時感じたよりも小さくなっていた。
年月を感じた。
そのまま帰ろうと事件現場を通った時、人がいるのがわかった。
何回か聞こうか悩んで、そこにいた和尚さんに聞いた。
唯一私以外で犯人を見た第一発見者の人がいるかもしれないと思ったからだ。
「あ、、あの、、ちょっとお聞きしたいことがあって、、」
自分でもびっくりするぐらいのコミュ障感。
「ここの管理をされている方ですか?あの、前に私、ここで助けてもらったことがあって、、20年前なんですが、、もしその時の方がいらっしゃればお礼と、お聞きしたいことが、、」
「それでしたら、私の先代かと、、」
「あの、その方はどちらにいらっしゃいますか?お会いすることはできないでしょうか?」
「先代は既に他界しました。7年前に。」
「あ、、、」
言葉を失った。
ああ、またか。また、自分の行動が遅くて手がかりを自分で失ってしまった。
もっと早く動けていたら。聞けたかもしれないのに。
「90で亡くなりました。」
(90?もっと若いはずな、、)
「もっと若いはずのような、、今70〜80くらいの方だったかと。」
(そうしたら、庭師の人???)
そう考えながら家に帰った。
「ああ、また絶望を味わうとは。わかってたけど。いつだって、わかってる。」
昨日は1日中動悸が止まらなかった。
唯一それを知ってそうな人物、母。
そこに聞く勇気は今の段階ではまだない。
聞ける誰かが聞いてくれるか、私が聞く勇気が出るまで待ってるのかもしれない。
自分で聞くにはやっぱり少し怖さがあるんだと思う。
でも同時に思ったのは、20年前よりも、高校生の時よりも、大学生の時よりも、就職した時よりも、間違いなく今前に進んでるし、その時絶対叶わない思っていた夢がたくさん叶っていると言うこと。
マインドセット大事。
やっぱり同じような体験をしている人が多いわけではないし、更にはこういう話をオープンに話せる人とか言ったら更に少なくなる。
ずっと同じような人に出会いたい、同じような話がわかる人と話したいと思っていたけど、ずっと出会えなかったから、そう言う人に出会えて、辛くなった時話せたり、頼れる人ができたって言うのは、とてつもなく大きな成果だし、本当にありがたいなって感じました。
更には、そういう自分を写真に撮りたいと言ってくださる方や、応援してるよって言ってくれる方ができたのは、本当に超苦しんでいた時期の私に伝えてあげたいなと思います。
「よくここまで頑張って生きたね。心配する必要ないよ。あなたはもう1人じゃないし、応援してくれる仲間が十分すぎるほどいる。自分が壁を作ってただけかもしれないよ。前も横も後ろも全部地獄に見えているかもしれないけど、大丈夫、それフェイクの壁だから。ただの壁紙。沢山の人があなたが生きてて、出会えて本当に良かったって言ってくれる。あなたの幸せを心から願ってくれる人たちに沢山出会える。あなたの未来は明るいって私が証明してあげるから。」
今年はポジティブに言うと、
生還20周年アニバーサリーだから、講演活動とか、また踊ってみたとか、本作るとか、BeautyJapanとか、何か自分の人生で少しでも進んだって思える、何かを一つ形にしたいと思う。
夢です。
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