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ロンドンの桜を見て。

強制帰国する数日前の朝、人気のない公園に行ってみた。帰国する前に、少しだけロンドンを歩いてみたかった。まだ外出禁止が義務付けにはなっていない時期だったが、世間の風潮は"self isolation”。私も当時、この日以外は外に出ていなかった。

曇り日が多いロンドンは、珍しく晴れていた。それでも人はあまりいない。悲しかった。

公園内を歩いていると、桜が咲いていた。帰国したら即2週間の自宅待機だから、花見は諦めていた。まさかロンドンで花見ができるとは思わなかった。

日本でよく見るソメイヨシノとは少し違った桜も咲いていた。どれも綺麗だった。

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しかし、日本にいた時のような「桜に対する感動」というものはなかった。なぜだろうか。日本の桜のように綺麗でも、美しくても、なんだか味気なかった。

生物的、気候的見たら、ヨーロッパの春と日本の春はあまり変わらない。日が延びて気温が高くなり、木々が芽吹き、花が咲き誇り、動物が動き出す。それでも、ヨーロッパにはない日本の春というものがある。


日本人にとって、「春」という季節は特別だ。年度が切り替わる季節。そして、卒業、進級、進学、就職、異動といった「出会いと別れの季節」だ。どの人も身の回りの環境が変化する、そんな季節だ。
それに桜はつきものだ。新たな学び舎に入学する春、不安と緊張をとかしてくれるのは桜だった。また進級し、今までよりも勉強や部活などのやる事が忙しくなる春、やる気を奮起させてくれるのも桜だった。

だが、ヨーロッパの春は違う。学校が秋始まりなので、春は「3学期」の位置にあたる。実際、大学は4月、5月あたりにテストがあり、そこから進級まで休暇になる場合が多い。また就職においても、日本の一括採用とは違うシステムなので、春だからと大きく変わる訳ではない。
だから、春は出会いと別れの季節ではない。

日本人にとって桜はライフイベントのお守りなのかもしれない。ただの桜の美しさで日本人は感動しているのではなく、自分の境遇と桜が重なって思いが込み上げてくるのだと思う。そういう意味で、桜は日本人のアイデンティティなのだろう。

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桜を見るよりも公園の丘に登って遠くに見えるロンドンの風景を見た時の方が、日本で桜を見た時のような気持ちになった。急に終わってしまった留学。それでも自分なりに充実させた留学。いろんな想いが思いがこみ上げてきた。

来年、桜が再び私たちを元気付ける時期になる時にはコロナが落ち着いていますように。

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