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ドラマ【滅相も無い】について考える

ドラマ「滅相も無い」、最終回まで視聴を終えました。

あまり見ない斬新な手法で表現される作品で、最後まで観終えた余韻としては、正直すっきりせず、でももやもや感が心地よい、そんな感じでした。

そもそもこの物語をどう解釈するか、それすら視聴者各々の主観でしかない。
そういう投げかけで終わったような気もします。
まとまっていませんが、感想を。



公式サイト

名台詞集


舞台と映像をMIXした世界観

舞台での表現と映像作品を掛け合わせたような質感の作品。
最低限の大道具と小道具で空間を演出し、演者も年齢や性別に捉われない表現の仕方。
空間や人物、背景を視聴者に委ねて想像させるような、余白と表現力を堪能出来る作品でした。

「なるほど、それを使うとこんな表現が出来るのか」と、観ていて単純に面白かったですし、興味深かったです。
大がかりなセットやロケ、CGを使わなくとも、人間のセンスとアイディアでこれだけ表現が出来るのだという訴えにも見えました。

一方で、この物語が全体を通してどこか夢うつつな、虚構のような雰囲気を漂わせているので、リアル過ぎない表現で描かれる夢や空想の世界のような表現が、その曖昧さを際立たせていました。
なかなかテレビドラマでは見ない手法で、面白かったです。


果たして何を伝えたかったのか

最終話は、夢うつつな岡本の物語。
過去に体験した、夢なのか現実なのか区別がつかない世界に迷い込んでしまったような体験と、その後もどこか夢うつつで生きている岡本。
最後の小澤との会話の中で、小澤が言った「人は虚構しか共有出来ない」という台詞。
そして、終わる物語。
果たして何を伝えたかったのだろう。
観終えた直後の感想としては、そうモヤモヤしました。
いや、モヤモヤというか、フワフワというか。
心地悪さも含めて心地よい、なんともいえない混乱。

思えば終始、登場人物8人とも、全員どこか虚ろな感じ。
それぞれが語るそれぞれの人生も、語られている内容が事実なのかどうかさえも疑わしいような感覚。
人の人生なんて、主観で語られるだけのもので、それが事実かどうかとか、客観的な視点なんていうものは、無くても成り立ってしまうもの。
人生すら、虚構なのか?ふむ。

また、人生の最期かもしれない状況で、自分の人生を記すためのエピソードとして語るのがそんなこと?とさえも思えてしまうような、ちっぽけで些細なエピソードが語られますが、でも、"そんなこと"に囚われるのが、人生であり、人であるかもしれなくて。
誰かにとっての"そんなこと"は、その人にとっては"そんなこと"なんかじゃないかもしれないのだから、あくまでもすべては主観であってよくて、それは否定されるべきものでも、蔑ろにされるべきものでもない。
8人が皆、人が語る人生を「ふ~ん」と、興味なさげに、でもちゃんと聞いたように、人の人生なんて、そんなものでしかないのかもしれないけれど、そんなものでよいのかもしれません。
観ている自分としても、「ふ~ん」と観ながら、共感出来たり出来なかったり。
そして何かモヤモヤフワフワしたものが心に残るような。
静かな波が立つような。地味なささくれが痛むような。
そんな感覚になりました。

そもそも穴って何だったのか

そもそも「穴」って、何だったのでしょう。
死の象徴のようなものでしょうか。
入りたいと願って入る者。
入りたいと願ったけれどいざ前にすると躊躇う者。
誰かが入るのを見たかっただけの者。
興味本位の者。
そもそも信じていない者。
いつでも入れるからいつでもいいやと思っている者。
見向きもしない者。
穴ひとつをとっても様々な解釈があり、それはすべて、各々の主観でしかない。
ひとつのことに対しても、色々な向き合い方があるということ。
最後の小澤の言葉にも通じます。

そもそも、巨大な穴が出現したという異様な状況すらも、世の中は受容して、まわっているような異常さ。
8人は小澤のもとに集まった宗教信者だとして、彼らの方が世の中的には異常とされるのかもしれませんが、穴を前に通常運転でまわる世界で、本当は誰が、何が異常なのか、わからなくなります。

そもそもそもそも、穴なんて本当にあるのでしょうか。
8人は実在するのかさえも怪しくなってくる。
私たちは何を見せられていたのか。
モヤモヤとフワフワの中で、ぐるぐる考えてみる。
そんな余韻が、どこか心地良いけれど、誰かの解釈を聞いてみたくなる。
どこか面白みがあって、たまに刺さって、でもよくわからなくて、ちゃんとかみ砕きたくて、でも変な解釈をせずそのまま受け止めたいような。
そんな作品でした。

「滅相もない」の語源

タイトルにもある「滅相もない」の意味は、「とんでもない」や「程度がはなはだしい」の意味。
相手に対して謙遜や強い否定を伝えたい時、例えば相手が言ったことに対して「そんなことはありません」「私はまだまだです」と伝えたい時に使われます。

語源としては、「滅相」は元々は仏教用語のひとつで、物事や生物の移り変わる姿を表した「四相」という考えの、生まれる「生」、存在する「住」、変化する「異」、(命が)なくなる「滅」、この4段階の最終段階が「滅相」だそうです。
「滅相」つまり「死」は、「あってはならないこと」「思いもよらないこと」。
そこから転じて、「思いがけない」「とんでもない」という意味になったそうです。

あってはならないとされるものと、穴。
静かに何かを問いかけられ考えさせるような、どこか岡本のように夢うつつな、そんな物語でした。

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