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コンヴィヴィアルと民主主義とボードゲームの奇妙な関係/備忘エッセイ #10

昨日教えてもらった言葉「コンヴィヴィアル」。

「共に(con)生きる(vivial)」こと。「道具を使いこなしているようでいて、実は道具に使われてしまってはいないでしょうか」という問いと紐づけられた言葉のよう。

その言葉の浮上と前後して

民主主義って日本では「主義」がついて思想のように重く捉ええられがちだけど、デモクラシーって英語では「システム」のことなので、もっと日常の道具として使い倒したり、使いやすいように変えていくものだと思うんですー

というような話をしたり。

さらに前日には、なぜ私がボードゲームの活動をしているか、という問いに答える形で

ボードゲームは作り手側に回ることのハードルが低く、ボードゲームを作る=みんなが楽しむためのルールを作る、という試行錯誤を積みやすいので、実はその延長線上に、みんなが幸せに生きるための社会のルールを作る=政治あるいは民主制を使い倒す側に回る、という路線を妄想してたりするんですよ

なんてことを話したり。

「道具を使いこなしているようでいて、実は道具に使われてしまってはいないでしょうか」という問いに対し、みなさんは何が思い浮かびます?

私は大学生の時に資本主義がそうだと思って、それをコントロールするための民主主義を学ぼうと「地方自治は民主主義の学校である」という言葉を間に受けて下川町に移住してもうすぐ丸25年。

いまだに地方自治も民主主義も使いこなせないので資本主義も同様だけど、仕組みはだいぶわかってきたような気がする。

これからがゲームの本番だ。とか言って、思いの外運ゲーっぽいので、とにかく良い目が出るよう祈りつつ、良い目が出るまでダイスを振り続けるしかない。あと何回振れるだろう。

見出しの画像は、ボードゲームの王様と言われる『カタン』。2つのダイス目という不確実性に対し戦略と交渉で対応できるかが問われる。このゲームあんまり強くないんだよなー。交渉苦手なのです。

バーカウンターで「あちらのお客様からです」ってあこがれます。