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生活保護に救われた私はDaiGoを絶対に許さない

「生活保護の人が生きてても僕は別に得しない」等の問題発言で巷を騒がせている(自称)メンタリストのDaiGo氏。

私は25歳から28歳の3年半、生活保護を受給していました。生活保護を受給したことで、人間らしい生活がどういうものか、身をもって学ぶことができ、人間らしい生活を送ることができるようになりました。

そのような経歴があるからこそ、私は氏のことを絶対に許しません。


生活保護受給前の私の生活

地元の市役所を退職して、実家を飛び出し一人暮らしを再開した私。しかし、働きたい思いとは裏腹に週1日しか外に出ることができない体調でした。当時は、仕事を辞めるきっかけになった適応障害に加え、基礎疾患である発達障害を上手く受容できず、疾患に毎日を振り回されていました。

それを見兼ねたハローワークの精神障害トータルサポーターの方から「働くことを考えるのを辞めなさい。まずは日常生活を安定させることを最優先に考えましょう」と諭され、冷静さを取り戻し、毎日を穏やかに過ごすことへ向き合い始めました。

その後、精神障害者の生活訓練施設に通所することになりました。そこで、ライフスキルを学び獲得することで、体調を安定させ、自分にとって生きやすい環境を作ることを目指しました。

しかし、大きな問題が私の前に立ち塞がっていました。それは貯金の残金です。100万円あった貯金が、ぎりぎり3ヶ月分の生活費しかなくなっていたのです。

そのことを生活訓練施設の支援者に相談したところ「生活保護を受けよう」という話になりました。当時の自分にとって、生活保護はもっと大変な人が受けるものだと思っていたのですが、支援者から見ると十分大変な状況だったようです。財産整理を行い、全財産が5万円を切るタイミングで支援者に同行してもらい、市役所へ申請に行きました。


初めて知った「健康的で文化的な最低限度の生活」の基準

当時の私は精神保健福祉手帳があり、ハローワークから「働くことを考えるのを辞めなさい」と言われ、支援者からも日常生活がままならないと言われる状況でした。

医師の診断からも、発達障害に加え、うつ病、パニック障害、強迫性障害、パーソナリティ障害、解離性障害がありました。

そんな私は、スムーズに生活保護を受給することができました。

生活保護を受給してまず最初に驚いたのは、1ヶ月目の支給額が3万円以上余ったことです。これには酷く驚きました。

当時の私の支出は主に食費のみでした。

朝はお米に梅干し、昆布、味噌汁(マルコメ味噌を捻り出して乾燥わかめをかけてお湯で戻す)

昼は施設のお弁当か、家でお米とお惣菜(200円以下)にカットサラダ。

夜もお米とお惣菜(昼におなじ)、カットサラダ。

生活保護は「健康的で文化的な最低限度の生活」を保障するものです。なのにお金が余ってこんな食生活では良くなるものも良くなりません。生活保護を受給することで、初めて自分が自分のために使っていいお金の額を理解できたのです。

同時に、文化的なことも何一つしてないことに気が付きました。趣味なんて無かったし、人との交流もほとんどありませんでした。それは食生活によるところも大きかったのですが(意欲喪失)。

しかし、食費を設定し健康的な食生活を始めると共に、諸々の意欲を取り戻すことが出来ました。

ボサボサだった頭は美容院(2,500円)に行くことで清潔感が出ました。

適当だった服も友人に古着屋等で見繕ってもらい、それなりの服や靴が揃いました。

エネルギーがわかず終日スマホをスクロールしてばかりだった日々が、友人からのオススメのアニメや映画を見る日々に変わりました。自分でも好きな作品を見つけ、サブスクリプションなどを利用することが出来ました。

用事がなければ外に出なかった休日も、美術館や公園など、自分の意志で行きたいところに交通費や食費をかけて足を運べるようになりました。

これだけ羅列しても、ただ単に普通のことを書いていますが、当時の私にとってはとてもハードルの高い出来ごとばかりでした。

生活保護を受給したことで、人間らしい生活の基準を学ぶことが出来たのです。これは自分にとって一生涯の財産となっています。

年金申請に専念できた

こうして生活を改め、ライフスキルを身につけていくことで私の生活は段々と落ち着きを取り戻してきました。

そのタイミングで、障害基礎年金の申請に向けて行動を開始しました。

私にとって年金申請はとても負荷のかかる出来事でした。

市役所での説明、書類作成、病院の先生とのやり取りなどなど……。働きながらこうした事をやるのは難しかったと思います。しかし、生活保護を受給し、生活訓練施設に通い相談しながら自分のペースで申請を行ったことで、無理なく申請ができ、年金支給が認められました。

年金支給されたことはもちろん嬉しいですが、それよりも年金申請のためにマイペースに行動を続けられたことが自信になりました。小さい時から無理してばかりでしんどい思いをしてきた自分、自信を失いかけてた自分にとって、周りの人の力を借りながら1つのことをやり遂げられたのは、とても大きな財産となっています。

生活保護を受給しながら働くこと

よく誤解をされるのですが、生活保護を受給してる人は働いてはいけないという勘違いをされることがありますが、それは真っ赤な嘘です。

給与所得は生活扶助費から引かれますが収入として認められます。それに1万5千円までは所得として認められます。

生活保護を受けてるなら働かなくてもいいじゃんと言う声もありますが、私の場合は、大袈裟にいえば「自分らしく生きる」ために生活保護を受給するという手段を受けました。

だから段階的に仕事の強度を上げていきました。

まずは通所していたNPOの別事業所の放課後デイサービスに週1、2回3時間ボランティアとして活動しました。

また別の事業でもボランティアとして、市民大学の運営委員として2週に1度の運営会議に参加させてもらえることになり、医療福祉従事者、精神障害当事者やその家族、研究者の方々など幅広い方たちと携わらせていただく事がありました。

市民大学の方では講師として講座に携わる経験もしました。その経験から縁あって、色んなところで講演をさせていただく機会に恵まれました。

それらの経緯があり、その市民大学の事務局で週3、5~8時間のアルバイトをすることになりました。この時の手取りは10万弱でした。年金と合わせて16万円くらい貰ってましたが、これは生活保護の受給額とほぼ同じだったため、生活保護から切り離されることはありませんでした。

治療に専念できた

生活保護の受給額とほぼ同じ額を手にしていた自分ですが、生活保護の制度からは切り離されませんでした。

生活保護制度は生活費や住居費の支給だけではありません。

私が最も助かった制度のひとつには「医療扶助」があります。この制度には批判もあるなですが、私にはとても助かる制度でした。

概要は、医療費は申請すれば基本的に無料となる制度です。生活保護を受給するまでは、お金がかかるからという理由で、不調があっても病院に行けませんでした。

しかし医療扶助を利用することで適切な治療を受けることができ、体調が改善しどんどん健康になっていきました。

具体的には、学生時代からの腹痛がありましたが、病院に行くためのお金がなく放置していたものを、近所の内科で見てもらったところ消化器内科へ紹介して貰えました。そこで内視鏡検査を受け、ピロリ菌の確認と強い胃炎食道炎があることが分かり、除菌と投薬、生活指導を受けました。

その指導から、市の保健センターと繋がることができ、管理栄養士の方からの食事指導を受けることができました。

また定期的に血液検査を受ける中で、尿酸値が上がりやすい体質だということが判明し、投薬によってバランスをとることが出来るようになりました。

また、国の機関で働くことになった時は、スーツ代や初月の通勤費の支給があり非常に助かりました。

直接的な金銭の支給がなくとも、生活保護がある事で人間らしい生活を保つことができるのです。

私が生活保護を抜けた理由

国の機関で働きながらフリーランスとしても活動していた時、とても生きがいがあり生活が安定していました。

それでも私はキャリアアップのために生活保護を抜けることを決めました。

フリーランスでの活動は大きく2種類あり、①障害当事者として合理的配慮の推進を目指すワークショップの実施②障害当事者として同じ苦しみを味わっている人たちに向けて経験を語ることをやっていました。

活動を進めているうちに、これらの活動にもっと力を入れたいと思うようになりました。しかし、力を入れようとすると、まだまだ自分の社会経験が浅いことを痛感せざるを得ませんでした。

そこで、大きな組織で働くことで今までにない経験を獲得し、より自分の話に説得力を持たせたいと思うようになりました。フリーランスの活動はいつでもできますしね。若いうちにどういう経験を積みたいかと考えた時、大きな組織の中で揉まれる経験をしたいと考えるようになりました。

転職活動は無事成功し、現在は障害者雇用の地方公務員として健常者ととももに働いています。

苦しいこと辛いこと大変なこと、諸々ありますが、生活保護を受給していた期間に学び獲得した知識、経験、人の縁はかけがえのないものだと思っています。

あまり大っぴらにはまだ言えないですが、生活保護があったからこそ、自分らしい毎日を過ごせていると実感出来ています。

DaiGoを絶対に許さない

私のような例はたまたま運が良かった例です。私と同じような流れで生活保護を受給して、なかなか上手くいかない人たちの方がもっと多いと思います。でもそれは運や巡り合わせ、タイミングによるところが大きいのではないでしょうか。

「成功者は運が良かっただけ」という風潮がここ最近ありますが、上手くいかない人もまたそうだと思います。であるならば、生活保護を受給しているだけで非難される謂れはどこにもありません。

氏は自身の「無知」のせいにしていましたが、無知であれば何をしてもいいという訳ではありません。

道行く人に「AVで見た人だ!」と言って逃げる模様をYouTubeにupして謝罪した人らがいますが、その人たちと何が違うのでしょうか。無知だろうがなんだろうが、精神的被害を被っています。氏もおなじことをしています。その事に気が付かないのは「無知」という言葉に失礼です。

「許さない」という強いワードを使いましたが、わたしにできることなんて限られています。ただ私はこの出来事を風化させません。氏を見かける度にこの出来事を蒸し返します。

この発言でどれほど多くの人が苦しんだか。どれほどたくさんの人が時間を奪われたのか。

生活保護は「人間性」を守る大切な制度です。「人間性」を守るためにこのnoteを書き続けていきます。