個性を主張するって、やっぱり尖ったことだよね

他人の個性は、客観的にはやっぱり、とっつきにくいものだと思う。

作品として、特に芸術とかの作品として、個性を主張することは大切だし、それどころか、個性がなければ、それはすなわち凡庸ということだけど。

芸術作品は個性を主張するもの、というふうに言うことはできると思う。20世紀以降の、世の中の流れとして。絵画で言えば、印象派というものが登場し、そして抽象画に至る流れ。抽象画あたりで「現代芸術」だとか、いわゆる、カタカナ文字で言う「アート」といったニュアンスが出来てくる。なんかよくわからないものとしての「アート」とか。

印象派が登場する前は、フランスにはサロンという絵画コミュニティがあって、例えるなら「芥川賞」みたいな感じなのかな?権威として、そういうコミュニティがあったみたい。先日、ネットでちょっとだけ調べた。サロンの定期展覧会に、自分の絵が審査を通って展示されれば、プロの画家としてデビューできる、みたいな。そういう残念な閉塞コミュニティだったんだね。あ、口が悪くなっちゃった。本性が出た。

というのも、だってさ、ネットでそのサロンの様子を調べてみると、そこの絵は「ザ・写実絵画」みたいな絵ばかりで、そういう作風が土台として固定されていて、その中で内容を変えたり作ったりしてるようなのだ。ああ、ここに、1世紀だか2世紀だか前の絵画の界隈があったんだな、と、まさにそういった所。言ってしまえば、現代人の感覚からすれば、どれも似たり寄ったりなものなのだ。みんな、示し合わせたように同じ作風のものばかり。示し合わせたもなにも、サロンの権力者とか当時の世の中がそういう嗜好を持っているわけであり、サロンというものがそもそもそういう価値観の下に成り立っているわけだから、示し合わせるなんて以上に、画家たちの行動は、一つの価値観の元に強力な力で吸引されていったのだと言えそうだ。飛んで火に入る夏の虫のように、無意識に、本能的に自然な行動として。

サロンの絵画が、見事に同ジャンルばかりであり、そういう固定された狭い世界の中に、その中での小さな違いに広い世界が見出されているというのは、単純にそれが時代の趨勢というわけだけど、サロンのこの価値観に沿って作られた絵画およびその画家は、21世紀の今日ではほとんど市民に知られていない、すなわち残っていないよね、イメージとして。感覚的に。そういう実感がある。検索すればある程度出てくるのだとは思うけど。

ところで、サロン絵画のこうした閉塞性は、現代の日本のPixivというイラスト投稿サイトが、これまた示し合わせたかのように見事にアニメ調イラストでほぼほぼ統一されていることと、とてもよく似てるというか、現象としては根本的に同じなんだろう。

サロンにおいて、また、Pixivにおいて、個性を主張することを主軸とするような、現代芸術的な志向の作品は、まあ、まず認められないんだろう。

というか、この文章は、なぜこんなに長くなってるんだ?僕はなにを語ってるんだ?個性を主張することについてだけど、もっと手短に話をまとめたかった。

現代でこそ、芸術は個性を主張するという、今度はそういう趨勢(傾向、風潮)の中に(ある程度)僕たちはいるのだと思うけど、とはいえ、個性を主張することは、根本的には自分本意な行為であり、他人にとってはとっつきにくいことなはずだ。常識的な感覚として。

サロンなどでそういう行動に出たら、まず認められないだろうし。そんなことは、いつの時代の、どの社会にもあるのだろう。あるはずだ。芥川賞はそれっぽい作品を求めるわけだし、雑誌の投稿欄とかでも、とにかく、個性なんてものは、「ほどよい加減でのみ」求められるものにすぎず、個性がありすぎたらたちまち除け者にされてしまうのではないか。個性を主張することは反抗であるとも言えそうだから、仕方のないことだろう。

個性を主張することは、非社会的であり、場合によっては、(やんわりとした形態で)反社会的でさえあり得るかもしれん。ここでは、あくまでも、作品の意匠として(オリジナリティの強さとして)やるわけだけど、個性を主張するという強行を取るのであれば、既存界隈からつまはじきにされても、しぶとく個性を主張し続けるべきなのだろう。その覚悟を持って、個性の主張なんてものは行われれるべきだろう。

個性を主張しないで、既存界隈から受け入れられる作品は、すなわち、既存の価値観を以って「消費される」作品に他ならない。とかなんとか言ってみる。そういう作品は、とどのつまり、長いものに巻かれただけの、権力に尻尾を振っただけの、自分の居場所を自分の外に探すことしかできなかった者ではないか。(←すごい言い方)


この文章、結論として僕が言いたかった次の言葉に一向に辿り着かないどころか、むしろ、表面的には逆の方向に進み始めた……。文章をちゃんと計画して構成しないで、出るに任せてテキトーに書いてるからだ。言いたかった結論(もはや、文脈と逆の内容だけど……)を、ただ投げ捨てて終わるね。


芸術家というのは、まるで赤ん坊のような生き方だ。


(↑これが言いたいのなら、もっとちゃんと、そこに向かっていく内容にしなきゃダメでしょう(笑…))

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