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エッセイ:総括:父は死んだ(20211231)

父に感謝はしない。

実は、ここに父の人生の碌でもない軌跡を事細かに書こうとしていたのだが、微に入り細に入り描写することは、いつか別の焦点の記事で書くことはあるのかもしれないが、今ではないと思い直した。

父は穏やかで人当たりがよく、見栄えと虚栄心の強い、だがしかし、ろくでなしかつ人でなしだった。

こう言った描写をすると、「実の肉親なのに」とか「父親に向かってあんまりじゃないか」と言うご忠告をしてくる人が一定数いるが、まあ、ここnoteくらいは好きに書かせてもらおう。

とにかく、その前提条件があって、私個人は父への愛情はとうになく、憎悪さえ擦り切れて、純然たる「単なるろくでなしの老人」としてしか認識できていないところがあるのだが、母にとっては違う。

若い頃は色々あり、離婚すると騒ぎ立てることもあったが、結局母は父のことが好きだったのだろう、その辺り、親子であっても母の気持ちは分からない。

そうして、「お父さんがおらんと寂しいねえ、やっぱりおってもらわんといかんかった。」と言う母には全く共感できないでいる。

だがしかし、その複雑な感情とは別に、自分個人としては、老父の最期について、すべきことは行い、出来うる限りの手は尽くして、己に恥じることなく、公明正大に行動したという自負と達成感もある。

父は本当の意味で全く己の後始末(終活)をしていかなかったので、まだまだ事務的には色々することが出てきそうなのだが、父に対する対応については、私は自分自身の行動に完全に満足しているのだ。

次は、母だ。

母は、父が入院して以来、凄まじいスピードで認知症が進行している。

だが、いつか施設にお世話にならなければならないかもしれないが、今のところは何とか自宅で生活していくことができている。

やることは変わらない。

母が希望し、それが可能な限り、自宅(実家)での生活を補助していく。

来年からも、それはそれで忙しい年になりそうだと思う。

取り留めもないが、一旦、父の死についての覚書とも、総括ともつかないこの記事を、一旦置く。

(年末にこんな記事ではあるが、もうすぐ新年でもある。皆様、良いお年を。)

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