🏥 母のカテーテル手術その二
前回の、父のペースメーカーと母の肋骨骨折の後、2020年の冬、うちの母の心臓の具合はあまりよろしくなかった。
(前々話・前話はこちら)
ここで、再びかかりつけ医が登場する。
かかりつけ医は、前々回、母がカテーテルアブレーション手術を受けた心臓病院(仮)が、場所を移転して建て替わり、設備もすごく立派になっているから、再度、カテーテルアブレーション手術を受けてはどうかと勧めてきた。
(この時もまだ私は勤めていたので、この経緯は後から聞いた。)
実家はそこそこの大きさの地方都市にあり、市内には大きな病院も複数ある。
反して、新心臓病院(仮)は、同じ県と言えど違う市で実家からは100キロ以上離れている。
市内の病院に紹介してもらうわけにはいかないのかと迷う母に、追い風になったのが
① 病院の設備が建て替わって立派になっていること
② 院長が、その道では「神の手」と呼ばれた権威であること
③ 数年前、移転前の旧心臓病院(仮)でカテーテルアブレーション手術を受けた後、数年は実際に症状がだいぶ楽になっていたこと
特にこの三つ、最後が決め手になって、母は入院を決めた。
その時の入院については、父もまだペースメーカーを入れて数ヶ月でヨイヨイだったし、先に日程を聞いていたので、年休を取得して帰省し、母を乗せて入院手続きに行った。
その時に、非常に驚くことになるのだが、新心臓病院(仮)は、なんと、駅から専用の高架通路が繋がっていた。
非常に驚いたが、ともかく入院手続きである。
以前の建物と比べるべくもなく、白亜の建物は立派で高層化されていたが、こんな金どこにあったのだろうかと思うような建物だった。
その内実はのちに風評で聞くことになるのだが、母は孤独を嫌うし、カテーテルアブレーション手術はそこまで日数を取る手術ではないため、病院の入院は相部屋にした。
カテーテルアブレーション手術は、(多分)正常に行われ、母は退院した。
ただ、その後の予後が良くなかった。
数値の改善が見られなかったのだ。
この時、母は、
「あそこはなんかねえ、恐ろしかったとよ。
夜中にどこかの施設から救急車で運ばれてきた年寄りの人がおってね。
口もきけんで、あーとかうーとか叫びよるのに、はいペースメーカーとか言ってさっさと手術して運ばれて行ったんよ。
恐ろしかった〜。」
確か、そんな風に母は言っていたと思う。
入院しても、普通はあっという間に同室の人と仲良くなる母なので、その物言いが珍しいと思った記憶がある。
母が経験したことがどうあれ、数値が悪いのは事実だった。
母はかかりつけ医に勧められて、結局、もう一度、今度はペースメーカー手術のために、新心臓病院(仮)に入院することになった。
ここいらで微妙に暗雲が立ち込めてきただろ?
そう、次こそ嵐!
(続く)
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