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総括:父の骨折と施設入所を終えて(2021年上半期)

これは長い道のりの途中であって、始まりでもなければ終わりでもない。

ただ、確かに、人生の中の区切り、私ではなく父にとっての、大きな区切りではあったので、父が倒れてから施設に入所するまでのことをまとめ、大枠で私が感じたことを、一旦まとめて残しておこうと思う。(入所以降も色々引き続いているが、それらを書き続ける前にやっておくべきことだと感じるので)

十年前は、母が倒れた。
実のところ、そのころ、私は母が半年もたないだろうと思っていて、母を看取り、放埒な父の生活を引き締めて借金だけは作らせないようにしなければと思っていた。

その予想は外れ、おそらくは私が介護離職で近距離別居したことで母は気力を持ち直し、さらに私の自家用車で病院への通院が楽になったことや、問題のペースメーカー手術をやり直すことができたことで、認知機能は甚だしく衰えたものの、むしろ純粋な身体の状態はそこそこ保たれている。

10年あれば状況は変わる。

父はその間に、ペースメーカーの他に、白内障と緑内障の合併手術を行い、片目失明片目弱視となり、胃がんで胃を全摘し、さらに今回脊椎多発骨折で背骨がボキボキに折れた。

今は、母よりも父が先に死にそうだなと思っている。

とりあえず、父の骨折から施設入所までを時系列にまとめる。
2021年(令和3年)のことで、年表記は省略、日付は4桁の数字にする。

(1) 0304夜 及び0305 父がぎっくり腰と称して起き上がれなくなる。
  この間、度々病院に行くように勧めるが応じない。

(2) 0310 整形外科病院、入院。母に付き添われ、介護タクシーで来院。診断は「脊椎圧迫骨折」損傷箇所は第二腰椎。一ヶ月ほどの治療を要すと言うことで、不在の間に介護ベッドの使用を視野に入れ実家の部屋清掃。
差し入れ要求が多く、スマホで母に連絡があるたび、母がパニックになってこちらに連絡が来ていた。

(3) 0409 退院 自力歩行が可能。一ヶ月後に再診予定、その前に歯科医の診察を受けておくことと言われる。
 0415 ペースメーカー定期検診を受けていた。
 0415 年金振り込み
 0420 二十万引き出し。
 0429 姿勢がおかしいため、病院に行くよう勧めるが、「一ヶ月経たないと行ったらいけないんだ!」と逆上する。

(4)0502 立てなくなる。介護タクシーを呼んで病院に行くように勧めるが、何故か行かない。コルセットもつけず、自己流リハビリと称するものに励む。這って移動。
 この期間にスマートフォン紛失。

(5)0622 整形外科入院。痛みに耐えきれなくなったのか、介護タクシーで母の付き添いで病院へ、私の付き添いは拒否。
 脊椎多発圧迫骨折(骨折箇所は三ヶ所)、今度は2ヶ月の加療を要すとの診断。
 医師と面談
0723 炎症反応のため総合病院転院、肺炎。
0729 整形外科、復院。

 認知症の症状か、不条理で我儘な言動が目立つようになる。
08 母と話し合い
08 医師と電話面談
 方針として、施設への帰住を決定
08 ソーシャルワーカーと電話面談

(6)0816 本人と面談(看護師長立会)、ソーシャルワーカーと面談
 本人に施設への帰住を説得。
仲介業者へ連絡。
0823 施設見学三件、2軒目に仮決定。
0824 施設と電話連絡、9/3で退院調整。
0826 該当施設見学、施設申し込み及び敷金払い込み。
 本人は相変わらず不条理我儘あり、30、31には拒食あり。
(7)0903 退院。施設への入所。本契約。

まとめてみて、高齢者とは…と思う展開も多い。
さらに、入所したからと言って終わりではなく、現在進行形で施設とのやり取りや診察、外出の手配、母が一人暮らしで認知症がおそらく進行することなどがおそらくこれから待ち構えている。

それはそれとして、両親ともが本来は最後まで自宅での生活を望んでいたが、それはできなかった。
そういう家庭もあるのだろうが、父が実家で母を振り回し、頻繁にこちらに訴えが飛び火してくる状態では、状況は悪化するだけだと予測された。

今回のことでかなりのことを赤裸々に描いたため、文字で表せば、うちの実家が機能不全家庭というものに類し、うちの父は長年経済DVを繰り返してきたことが露呈したと思う。
母はいわゆるダメンズメーカーで、共依存関係により、父を甘やかす。

単純に切り捨てればいいという意見もあるだろうし、暴力を振るうことがないだけマシなのではと思う人もいるのかもしれない。
それはそれとして、家族というものをそれで単純に切り捨てる決断をするかどうかはまた別の話だ。

うちの実家の状況は、私が就職で家を出てから20年近くほとんど帰らなかったことと無関係ではないが、両親というものに冷静に対峙するには、その20年が必要だったのだとも思う。

社会人として独立し、管理職を10年務め、子供には恵まれなかったものの平和な家庭を持ったからこそ、完全に自分が親とは別の人間であり、全く別の人生を生きる人間だという「感覚」を実感として持つことができたわけだし、その期間と仕事と家庭があればこそ、経済的基盤や自尊心を養う余裕もあったのだろう。

私もまたいつか老いるが、それは今ではない。

今は、私とは別の人間である親の老いを見守りながら、いつか来たる日を迎えるまで、できることをするだけだ。

私は、自分の父のことが決して好きではないが、好きではないからと言って、虐待したり、手荒に扱ったりするのは間違っていると思うので、なんと言ったらいいのだろう、可能な範囲でのみ、すべきことをするという心構えでいたい。

今後、父はおそらく施設で死ぬだろう。

今後、母は自宅で生活するだろうが、認知症の進行程度によってはいつか自宅での生活は難しくなるかもしれない。

二人ともペースメーカーを入れているので、特に問題が無ければ9年ほどは生きるだろうと思っていたが、父の身体のガタのきかたでは、そこまで保たないかもしれない。今回のことは父がペースメーカーを入れていたからこその事案だ。二人ともペースメーカーを止めれば心臓は既に止まっている(自発的鼓動がない)のだが、死ぬべき時点で死なず、満身創痍になった姿が今の父だと思う。
誤解のないようにしたいが、これは死んでおくべきだったと言っているのではないのだ。むしろ健康寿命の話ではある。

父は施設、母は在宅で見守るという長い道のりに向けて、頭を切り替える必要があると思ったので、この記事を書いている。

また、すべての介護に関わる人々、特に家族介護をなさっている方に向けて、少しでも参考になれば、或いは思考の助けになればと思って記している。

取り留めはないが、一旦今日は終わる。

投げ銭歓迎。頂けたら、心と胃袋の肥やしにします。 具体的には酒肴、本と音楽🎷。 でもおそらく、まずは、心意気をほかの書き手さんにも分けるでしょう。 しかし、投げ銭もいいけれど、読んで気が向いたらスキを押しておいてほしい。