見えているものは
なんだか、今日はやたらと救急車が多いな。
歩きながら、そんなことを思った。
ごく稀に、そんな日に出くわすこともある。あの甲高く、どことなく不安を煽る擬音が頭に文字としても浮かび上がり、鼓膜を震わせる。
今日はそんな例に漏れず、やたらとサイレンが鳴り響いていた。
「あっ、タカシ!」
ふいに、知り合いの声が聞こえて声のするほうに目を向けると、ショウゴがいた。そしていつの間にか後ろにいたのだろう、タカシの返事が聞こえてびっくりした。
「なんだよ、タカシ。後ろにいたんなら声かけろよ」
「悪いな。まあ、行こうか」
並んで歩きながら、そういえば用事があったよな、とも思ったが、まったく思い出せない。まあ、忘れるくらいの用事なんだろう、くらいに考えて、とりあえず何も言わずにいた。
「なあ、ユウジの話し、聞いたか?」
「あぁ……。今でも信じられないけれどな」
「ユウジ、何かあったのか?」
二人は神妙な顔になり、なかなか切り出そうとしなかった。流れる静寂が、意味深にそこに留まり、嫌な予感めいた何かを、いやがおうでも知らしめる。
「何が原因なんだ? おれも詳しくは知らないんだ」
タカシが沈黙を破る。
思わず、唾を飲みこんだ。
「原因は……わからないらしい。ただ、あいつが自宅で倒れていたこと、大量の薬があったこと、それは事実らしいんだ」
「えっ……」
人は本当に驚くと、何も言えなくなるらしい。まさか、ユウジが。
涼やかな風が通り抜ける。心地よさを覚える分、今の言葉がよけいに信じられず、しかし何も言えない。
再び、沈黙が流れた。
頭の中で、擬音が鳴り響く。同時に、ショウゴの言葉を頭で反芻し、それ以上形を変えられずにそのままの状態で脳に伝わる。
何か、これ以上の何かを、知りたかった。
「なあ、今からユウジの家に行ってみないか?」
意を決して沈黙を破り、そう伝える。
迷惑かもしれない。けれど、いてもたってもいられなかった。
しかし、二人は何も答えなかった。応え、られなかったのだろう。その空気は痛いほど伝わってきて、それがかえって、何よりも真実を教えてくれたようだった。
それ以上、何も言えなかった。
「やっぱり、行ってみないか? ユウジの家に」
タカシがそう言ったのは、それから少し経って、ちょうどユウジの家につながる分岐点のところだった。
「あぁ、行こう」
すぐに、そう応えた。
「いや、今はやめておこう。まだ、亡くなった、とは聞いていないんだ。もしかしたら、入院して治療中かもしれない。今すぐは、迷惑になる」
が、ショウゴは、そう答えた。
「そうか……」
タカシと一緒に、肩を落とす。
そんな状態になっているなんて、夢にも思わなかった。何も知らなかった自分が、情けなかった。
……いや、いまさらそんなことはどうでもいい。それよりも、まだユウジが生きているならそれでいい。
今は、信じるしかない。
ユウジの状態を聞き終えたそのとき、出かけてきた理由を思い出した。
妹の誕生日プレゼントを買いにきたんだ。
なんで、今まで忘れていたんだろう。
「悪い、急用を思い出した。ユウジのことでまた何かわかったら教えてくれ」
そう言ってすぐさま引き返した。
なんで忘れていたんだか、情けない。とりあえず心を落ちつけて、目的の品を頭に浮かべる。探すのが、大変そうだ。ショウゴたちにも手伝って貰えばよかった。きっと、助けてくれただろうに。
それにしても、相変わらず今日はやたらと救急車のサイレンが聞こえてくる。こうまで聞こえると、慣れてきてしまいそうだ。
道を引き返していると、目の前にユウジらしき背中が見えた。
思わず立ち止まり、すぐさま駆け出す。
「おーい ユウジぃー」
大きな声にびっくりしたのか、ユウジはまるで「だるまさんがころんだ」の鬼でもしているような勢いで振り返る。
「ヨシキ、か?」
息を切らすこともなく追いつくと、ユウジの体をまじましと見つめる。なんだ、何もなさそうじゃないか。
「なんだなんだ、さっきショウゴとタカシがさ、ユウジが倒れて生死不明って言ってたからさ、何事かと思ったけれど、なんにもなさそうだな」
ユウジの肩を叩きながら、胸を撫でおろす。
ユウジはどことなく驚いたような表情で、静かにこっちを見つめている。それはそうか。もしかしたらそれはまったく二人の勘違いで、ユウジからしたら寝耳に水かもしれない。
なんにせよ、よかった。
「今暇か? 妹の誕生日プレゼントをさ、買いに行くんだけれど、探すの手伝ってくれないか?」
「…………あぁ」
なんか、そっけないな。
「忙しいか? 無理ならいいんだぜ」
「……いや、そんなわけじゃない。行こうか……」
釈然とはしない何かを感じたものの、まあ気にするほどのことでもなく、付き合ってもらうことにする。
と、そのとき、自転車に乗った少年が突っ込んできて、あわや轢かれそうになる。「うわ!」っと慌ててかわす。ユウジは余裕綽々といった様子で動じなかった。
「危ねぇな! 気をつけろ! ったく。しかしユウジ、やるなー。まったく避けようともしないなんて」
ユウジはやっぱり冷たい視線でこちらを見つめたかと思うと、目を逸らし「まあ、その必要もないから」ぽつりと何かを呟いた。
「ん? なんて?」
「……なんでもない。行こう」
ユウジはどことなく、暗かった。生死をさまよっていたわけではなさそうだったが、何かあったのは事実なのだろう。
しかし、下手に聞くのも憚られて、何も言えなかった。
涼やかな風が通り抜ける。
暑くもなく、寒くもなく。程よい空気が非常に心地よく、生活苦のない生きている喜びそのものを伝えてくれているようだった。
救急車が、目の前から近づいてくる。それは風と一緒に横を通り抜けて、視界から消えていく。
ユウジは立ち止まったかと思うと、その様子を振り返って、じっと、見つめていた。
いつも、ありがとうございます。 何か少しでも、感じるものがありましたら幸いです。