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こだわり

 大事にしているものが人によって違う以上、わかりあえることなんて、できないのだろうか。

 こだわり は誰もが持つその人自身で、こだわりなんてない、と言いながらも、その人自身の姿勢そのものが、こだわりになる以上、それを持たない人はいないのだと思う。

 重要なのは、こだわり、ではなく、それを認め合えない、ということ。

 相反する姿勢が、それを認められない。

 そうして誰もが、自分は悪くない、と思っているのなら、そこから抜け出すことは至難なのだろう。

 自分は悪くない、の根底は、なおすつもりもない、改善する気もない、相手が悪い、という考えに基づいているとも感じるし、歩み寄りの気持ちもないのであろう。

 話し合いの中で手を取り合えればよいとは思うけれど、なかなかそうもいかないものだし、仮に話し合いの場でそう決まったとしても、納得していなければ、行動も変わらないだろう。

 そんなとき、なんのための話し合いだったのか、わからなくもなるのだけれど。

 こだわる、ことも大変大切なことだし、それがなければ惰性で流しているだけにも感じてしまう。

 だからこそ、お互いの、こだわり、その大切な部分を認め合えたなら、別の視点での考え方を知ることもでき、お互いにプラスに働く。

 そんなことを意識し合えたなら、もっと、きっと、働きやすくも、なるのだろうな。

 

いつも、ありがとうございます。 何か少しでも、感じるものがありましたら幸いです。