命の重さを感じている人
一月に産休に入る方がいる。
私はその方を見るたびに、その働きぶりを見るたびに、本当に尊敬する。
現在の自分の状況を鑑みた上で、できる限りのことをそれも的確に行う。すばらしいことだと思う。
何よりもーーもちろん私もそうだけれど、周りのフォローもしっかりとしており、トランスはもちろん、重たいものを持たせるようなことなど、当たり前のことかもしれないけれど、させないように動いている。
ともすると、彼女は すっと やってしまうからだ。声をかけ合いながら、それをさせないように立ち回っている。
けれど、それを感じないような方も中にはいて、それは昨今? よく記事でも見かけるような、手伝う、なんていう言葉でしか伝えられないような、そんな人はまだまだ大勢いるのだろう。
正直、驚いた。
年配のドライバーの方であったものの、そんなことを平気で言えてしまうことに、あぁ、そんな意識なのだろうな、と感じざるを得なかった。
送迎車が到着し、産休に入る方が迎えに来たさい、手荷物を運ぼうとしていた。それも、たまたま重たい方の荷物だ。すぐに、別の職員が、大丈夫ですよ、と伝えると、
「えっ? 大丈夫じゃないの?」
と口にした。
私はすぐに、思わず、だめです、と伝えて、利用者さんの車椅子を押してもらうことにした。それでもその人は
「もう二人目だから慣れていると思うんだけれど、だめなの? 別にできるでしょ」
なんてことをまた言う。
私はそれにはもう付き合わず、何も言わずに対応をした。
産休に入る方はあっけらかんとしており、何も気にはしていないかと思うし、若いけれどしっかりと意見を伝えられる人だから、言いたいときには言えるとも思う。けれど、私のほうが ぐちゃぐちゃ 疑問が頭をもたげる。
当たり前のことだけれど、身重の方の感覚は男の人では理解ができない。それは、けっして、どんなに想いを持った方でも、理解することはおろか想像することも難しいと思う。
よくある、物理的な、このくらいの重さを持って生活している、という、単純な負荷としての体験はできると思う。けれど、それはあくまで物理的な重さである。
けっして、命の重さを体感することはできない。
妊婦が背負っているものは、物理的なただの重さではなく、命の重さである。それは男性では体感することもできない、重圧と責任、想いである。
聞いた話しではあるが、その方は、一人目のお子さんを抱えながら階段から落ちてしまったことがあった。そのとき、お子さんを抱きしめながらーー自分の身を顧みなかった。そして、
「赤ちゃんが……」
と、泣きながらお腹の子を心配していた。
幸いに、本人にもお腹の子にも大した影響はなかったが、自分ではない命を慈しむその気持ちは、本当にすばらしい、と感じた。
その想いを、そんな気持ちを、命の重さを感じる瞬間を、もっと考えたほうがよいのではないか。
想像してなお届かないその重さに、寄り添うことは大切ではないか。
少なくても、その支えになってほしい。
そう、思う。
職場でも、家でも、それぞれの戦場で戦っている同志なのだ。場所は違えど。それなら、合流したならば、一緒に戦うものであろう。
そんなときに、手伝う、なんて言葉は出てこないと思う。一緒に、戦っているのだから。
子育てこそ、チームケアが必要であろう。
だからこそ、そんな言葉を平気で言える人が信じられず、年配の方の言葉ではあるが、まだまだそんな意識が強くはびこっているのであろう、と感じざるを得ない。
どんな言葉を選ぶーーいや、無意識に出てしまっているのかもしれない、が、その言葉で、その人の人間性や考え方、価値観、それらすべてが表れているものだ。
そんなことを見極めて、人とつながっていきたいものである。
きっと、何も気にしていないであろう、その人のことを、私よりもずっと若いその方を尊敬しているし、産休、育休から明けた後もまた戻ってきてほしい、と願っている。
そんなことを、すなおに、話し合えている。
いつも、ありがとうございます。 何か少しでも、感じるものがありましたら幸いです。