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生きる事に意味はあるの?という問いについて

母の手術から半年、経過は良好で時々電話をかけて話をする様にしているのだが、いつも声量のよい声が受話器越しに聞こえその度安心する。
医者曰く、肺活量が平均20のところ、母は30近くあるそうで、医者も驚いていた。肺を2つ切除して、尚且つ肥満体型な母なのに、と。大変喜ばしい。

母の声のデカさについて、以前の私だったら「そんなに声を荒げなくても」とか「うるさいな…」とか剰え早々に話を切り上げて切っていただろう。
しかし、コロナで術後にお見舞いに行く事が制限され、通話でしか母とコミュニケーションを取る術がなかったときの、母の今までに無い枯れ爛れた声に胸がギュッとなった瞬間、いつも響いていた大きな声がいかに元気の象徴であり、それは安心感に繋がっていたかを思い知らされた。

人間は失ってから気づくことが多すぎるんだ。


母の存在は私にとって幼い頃からあまりにも大きい。
暴力的で酒乱の父と共に過ごした記憶も。

しかし、命はいつかは必ず旅立っていくものだ。
死について考えることは、いかに生きるべきかを考えさせてくれる。
父も今年で66歳。横暴な父も相当衰えている。恐怖の対象が力を失っていくのに、私はちっとも安心感を覚えない、むしろ切なさを感じている。父だって一生懸命生きているはずなのだ。
私につけられた傷なんて、自分でこれからまだどうとでもできる。命という限りある物の前に、傷つけられたから協力しないなどという意固地は無用。
失ってから後悔しても遅いのだから。

自分の話だが、現在妊活に奮闘中だ。欲しいと願った時に限って授かれない。周りは意識しない方が授かれるよ、という。
先月から検査を色々受けている。
血液検査、卵管造影、排卵チェック、などなど。特に卵管造影はかなりしんどかった…。卵管に造影剤が注入されていくたび痛みが走った。周りは造影剤を通した後が一番妊娠の確率が上がりますよという。
でもその直後は流石にタイミングをとる気持ちになれす、2日ほど異質な不快感に振り回された。仕事もしんどかった。

職場の仲間は子持ちが多い。皆、なぜ男性は女性の辛さをわかってくれないのだろうかと話す人も多い。命を授かる代償なのかななんて思う。あまりにも苦労この上ない。私もその人たちと同じような不満に散々イラついた身だが、もう諦めてしまった。男性はそういう意味では全く違う生き物としてみるようになってしまった。まあいいのだ、考え過ぎても仕方ない。

旦那のご家族も、私の家族も、赤ちゃんをみたがっている。92歳になるばあちゃんにはぜひ、抱っこさせてあげたい。
大好きなばあちゃん。コロナでなかなか会えなくて、時々手紙をつけて、大好きなスルメイカと一緒に贈っている。母伝えに喜んでたよ、いつ帰ってくるの?というらしい。ああ早く会いたい、するするのぽっぺをつつきたい・・・あばあちゃんの体は歳をとってもふわふわしてするりとして、ちょっとひんやりしてて、癒される。

耳が遠くなってから会話が困難になって、よく笑うばあちゃんはあまり笑わなくなった。補聴器もほとんどダメ。だけど声を忘れて欲しくないから、耳の近くで喋る。そして耳はダメでも目の良いばあちゃんにだからこそ手紙を書くのだ。見えるならまだまだ思いは伝えられる。本当に長生きしてほしい。今すでに大往生。私はばあちゃんが大好きだ。

この数年で私自身が最も変わったことと言えは、生と死についてより深く考える事になった点だ。昔から起死概念はあったが、死を思う時に必然的に生の悩みも付き纏う。でも、そうすると生きる事についてものすごくシンプルな気持ちになれる自分もいた。そしたら、1日を生きることがちょっぴり楽になった。きっといろんなものに期待し過ぎて、欲しがり過ぎて、勝手に絶望していたんだ。それらはただそこにあるだけなのに、勝手に頭の中で飾り付けて、現実を観たらなんて事ない事に勝手に裏切られた気持ちになっていた。

生きる事に意味はあるの?という問いについて
生き抜く事に意味があるんだ、とある人が言っていた

生きることはままならない けど そんな人生もありだと腹括っていきた方が、ないものに手を伸ばすよりも、呼吸がしやすそうだ。

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