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【掌編】『シカエシ』

2月の中旬。
外は肌を刺すような冷たい風が吹いている。

『カナラズ、シカエシ、スルカラ..』

カブリエルは強い視線で、私にそう言った..
困惑した私は...

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半年前、私は夢を現実に変える為、5年勤めていた会社を辞めた。

プロの作家として物語を世に送りだす。

それが私の夢だった。
しかし、残業続きで疲れきり、体が常に休みを求めている状態では、それは叶わぬ夢物語でしかなかった。
だから、会社という組織の呪縛から解き放たれ、自由になった。
それから執筆を中心とした生活が始まった。
でも当然、お金は必要だ。
私は年末からアルバイトを始めた。
アパートの目の前にあった、
全国チェーンの飲食店。
店の同僚達は外国人が過半数を占めている。

その中に、私と同じ日に入店した、留学生のガブリエルがいた。

イラストを学ぶためにフランスから来た彼は、私のイメージに反して、とても真面目な男性だった。
欧米の男性にフランクで軽いイメージを持っていた私は、最初は少し戸惑った。
だが、慣れてくると、私は彼に好感を持つ様になった。
日本のアニメに憧れ、プロのアニメーターを目指すという彼に、どことなく今の自分と通じるものを感じたのだ。
そのガブリエルは冗談も言わず、ひたすら業務に取り組む。
本当は働きたくないんだろうか?
そう思っていたが、ひと月ほど店で一緒に過ごすうちに、段々と彼の事が判ってきた。

繊細で真面目で過ぎる不器用な性格なのだ。

そしてシャイだから、なかなか日本語も上達しないんだけど..

そんな彼を見ていた私の胸に秘めた想いが膨らんできた。
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3月中旬のこの日、アルバイトが休みだった私は、アパートの部屋にこもり、夢中でひたすらパソコンのキーボードを叩いていた。

空腹を感じてきた、夜7時。
夕飯をどうするか考え始めた私の不意を突くように、突然、アパートのドアがノックされた。生活費を切り詰めようと、安いアパートを選んだ為に部屋にはインターフォンが付いてない。

私はドアの前まで行き、「はい」と声を出した。すると、ドアの向こうから意外な声がした。

「ガブリエルですヨ」

え?
なんだろ?
私はそう頭で考えながら無意識にドアを開けた。
目の前に、長身のガブリエルがぎこちない笑みを浮かべて立っている。

「どうしたの?」

私の問いにも、彼はぎこちない笑みのままだ。

「コンバンハ、ユミさん」
「..ああ、こんばんは」

私は再び、彼を見上げて問う。

「え?どうしたの?」

ガブリエルは、少し困った様な表情を作った。

「ユミさん、ワタシ、約束したデショ」

約束...?

その言葉に、全く心当たりの無い私は本気で聞き返した。

「え?なに?何の話?全然判らないんだけど」

するとガブリエルは、悲しげな顔になって答えた。

「忘れたンデスカ?ユミさん」

そう言われても、まだ私の頭の中は、さっきまで浸っていた物語が大半を占めている。

「..えっと..」

言葉を返せない私を見たガブリエルは、おもいっきった様に表情を崩した。

「1カ月前、ワタシ、ユミさんに間違えちゃったデショ!」

1カ月前?

え?

あっ!

ああ!

あれかぁ!

瞬時に話が見えてきた。

私はその時の記憶が甦り、思わず吹き出した。

「あははっ!ああ、そうだ!あれだね!」

「ソウですヨ!ユミさん!」

そしてガブリエルは、後ろに隠し持っていた、お洒落な包装の小さな箱の様な物を私に差し出した。

「ユミさん、イツモ優しく、アリガトウ!コレはバレンタインデーの、オカエシ、デス!」

そう言って、ガブリエルは満面の笑みを見せた。
子供の様な、無垢でとても良い笑顔だと思った。
そして、私は彼を見つめた。

「ありがとう!」

自然とそう言葉が出た。

その瞬間、私は胸の中に、ほっと包み込まれる様な、暖かな感情が沸き上がるのを感じた..

【おわり】

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