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不登校の長男が言う「30%」の意味は?HSC・うつの子どもを守る

現在中3の長男は小6の7月から学校に行っていません。幸い、小6の秋の修学旅行だけ、前日オンラインでゲームをしていたクラスのお友達のお陰で、奇跡的に行けました。その後、約3年間、ずっとオンラインで地元の学校の授業を自宅から受けさせて頂いています。


不登校はある日突然訪れた

小6の7月のある日、長男はパタッと倒れるようにエネルギーがなくなり、学校に歩いて行けなくなりました。しばらくは寝込んでいて、少しずつ学校の授業をオンラインでつなぐようになりました。でも、実際は聞いていなかったと思います。

小6の1月に、私が友人に会ってランチしたときに、すべての謎が解けました。長男がHSC(Highly Sensitive Child ひといちばい敏感な子ども)であると判明。不登校の根本原因が分かり、親子ともスッキリしたのを覚えています。

その友人は3人の子どもの母親で、上の2人がHSCでした。だから、私が長男の不登校の話をしたときにピンときたようで、ネットでHSCを調べてみるよう勧めてくれました。

HSCって何?

ひといちばい敏感な子(HSC Highly Sensitive Child、大人はHSP Highly Sensitive Person)は、アメリカの心理学者、エレイン・アーロン氏が提唱した言葉です。特徴としては、共感力があり、直感が鋭く、想像力豊かで、思慮深く、慎重なところがあります。間違ったことをすると、どうなるかよく分かるので、行動をつつしむのです。一方、大きな音や、大量の情報にはすぐに圧倒されてしまいます。(以上、HSCの子育てハッピーアドバイスp24より引用)

HSC(ひといちばい敏感な子)かどうかを判断するために、アーロンさんが作ったチェックリストがあります。全部で23項目です。

1.すぐにびっくりする
2.服の布地がチクチクしたり、靴下の縫い目や服のラベルが肌に当ったりするのを嫌がる
3.驚かされるのが苦手である
4.しつけは、強い罰よりも、優しい注意のほうが効果がある
5.親の心を読む
6.年齢の割に難しい言葉を使う
7.いつもと違うにおいに気づく
8.ユーモアのセンスがある
9.直観力にすぐれている
10.興奮したあとはなかなか寝付けない
11.大きな変化にうまく適応できない
12.たくさんのことを質問する
13.服がぬれたり、砂がついたりすると、着替えたがる
14.完璧主義である
15.誰かがつたい思いをしていることに気づく
16.静かに遊ぶのを好む
17.考えさせられる深い質問をする
18.痛みに敏感である
19.うるさい場所を嫌がる
20.細かいこと(物の移動、人の外見の変化など)に気づく
21.石橋をたたいて渡る
22.人前で発表するときには、知っている人だけのほうがうまくいく
23.物事を深く考える

得点評価:13個以上に「はい」なら、お子さんはおそらくHSCでしょう。しかし、心理テストよりも、子どもを観察する親の感覚のほうが正確です。たとえ「はい」が1つか2つでも、その度合いが極端に強ければ、おこさんはHSCの可能性があります。(以上、HSCの子育てハッピーアドバイスp33-35より引用)

HSCのことを教えてくれた友人とのランチの帰り、電車でこの
23のチェックリストを見たときは驚きでした。長男の乳幼児期から、順番に思い出して、1つずつ丁寧に項目を読んでいくと……まさかの、23項目すべてにあてはまっているではありませんか!「こりゃ、今までの人生でいろいろ大変やったろうな、私にはない苦労があったんだな」と思いました。

HSC(HSP)は世界中で男女関係なく5人に1人いて、病気ではなく個性です。HSCが全員不登校というわけではなく、我が子のようにHSCが原因で学校に行けなくなった子どももいる、ということです。

我が家の場合、小6の7月までは長男も基本的に学校に行っていました。しかしふり返ってみると、小4の6月に喘息発作が初めて起こり、そこから小児アレルギー科がある病院に定期的に通いだし、朝、お腹が痛いといって学校を休むこともありました。不登校の予兆のようなものは小4から出始めていました。

小6の7月、エネルギータンクが突然ゼロになる前日に、長男は友達と校区外まで自転車で遊びに行っていました。活発になって嬉しいと思っていた矢先に、今まであったエネルギーが一気になくなったのです。あまりの激変ぶりに、うつに似ていると直感で思いました。それまでの無理が重なって、ある日突然、もぬけの殻になる感じです。

HSCは感度の高いアンテナがたくさん立っているので、人の話でも、自分のことのうように受け止めて傷ついたり、無理をしたり、消耗しやすいのが特徴です。子どもなりに、それまでの人生で頑張りすぎていたのでしょう。エネルギーを消耗してしまい、普通に生活ができなくなりました。幸い食事はできましたが、家から外に出られなくなったのです。

子どもでもうつになる?

『子どものうつがわかる本』によると、子どものうつはいまや世界の常識らしいです。1970年代までは「子どもはうつ病にはならない」とされてきましたが、それ以降に状況が変わり、2000年代に入る頃には、子どものうつ病に関する研究内容が具体的になりました。「子どものうつ病は確かにある。もしうつになった場合は、早急な対応が必要である」と欧米や日本はもちろん、世界の国々で同意されたようです。

同書によると、うつ病は軽いものから重いものまでありますが、重症になるほど治療に時間がかかり、ときには自傷行為や自殺などの極端な行動に走る場合も出てきます。重症化を防ぐためには、できるだけ早く気づき、適切に対処することが必要、とのことです。

身近な人のうつから学ぶ

私は直観で、息子はうつっぽいなと思いました。私自身はうつの経験がないのですが、夫が私に出会う前にうつになった話を聞いていたし、新入社員のときにお世話になった先輩が突然うつになったので、肌感覚でうつを知っていたのです。

仕事で大変お世話になった先輩のケースをご紹介しましょう。
前日まで一緒に普通に働いていた先輩が、ある日出社してこず、みんなで心配していました。遅刻や無断欠勤をする人ではありません。私が代表で自宅まで見に行くと申し出ました。当時、会社には新人育成制度があり、先輩は私の育成係だったのです。

住所を手掛かりに先輩の家に到着。インターホンを押しますが、返事がありません。そのことを職場に報告すると、大家さんに連絡をとってくれて、大家さんと私が一緒に鍵を開けて中に入ることになりました。

中年男性の大家さんが、鍵を開けてくれ、私が部屋に入りました。「〇〇さーん」「〇〇さーん」声を出しながら、奥までいって、キョロキョロしましたが、どこにも先輩は見当たりませんでした。

上司が警察に連絡。心配で心配でたまりませんでしたが、数日後、先輩は自分の車で他府県まで行き、山の中で車を停めていたところを警察に保護されました。「生きていてくれてよかった」と涙したのを覚えています。

先輩と夫と長男の共通点は「優しくて人当たりがいい」ことです。そしてうつの発症は、じわじわくるのではなく、それまで耐えて耐えて耐えて、ある日、気がおかしくなってしまうというか、それまでの正気を保てなくなって、出社や登校が突然できなくなる感じです。

長男はまだ子どもですし、うつを完全には脱していないので、本人に詳しく聞くのを控えていますが、先輩や夫は、かなり時間が経ってから、うつ発症時のことを振り返って言語化してくれました。先輩も夫も、仕事で無理が続いていました。

先輩の話には続きがあり、残念ながら、まだ40代の若さでお亡くなりになられました。同じ会社に在籍していたので、社内の訃報でご逝去を知り、パソコンに向かったまま涙が止まりませんでした。死因は知らされませんでしたが、うつが完全に治ってなかったんだろうな、と思いました。

私はその後、仕事よりも長男のことを優先したいと思い、退職してフリーランスに転向しましたが、全体的な社風としてはブラックではなかった思います。それでも、「立場や仕事量など組織の中でおかれた環境」と「本人の状況」によってうつは発症します。完治するのに時間がかかるし、完治しないケースもあるようです。

最後に先輩に会ったのは、「できれば私の結婚式に来てほしいな」と思ってお声掛けをして、休日のランチにつきあってくださったとき。大阪マルビルのベトナム料理のお店に入りました。

先輩は、警察に保護された直後に本社勤務となり、療養しながら仕事を続けておられました。ほぼ10年ぶりに会って、ご飯を食べながらお祝いの言葉をくださり、「ごめんな。晴れやかな席に出るのはしんどいんよ」と。

先輩がうつになってから、10年経っていましたが、完全に元通りには戻っていませんでした。でも、私とご飯を食べて、当時の状況を振り返って話してくださるくらいにまで復活されていて、ホッとしました。

その後、40代の若さでお亡くなりになるとは……今でも思い出すと、無念で涙が止まりません。

うつの我が子を守る生活が始まった!

うつの原因は人それぞれです。我が子の場合はHSCが根本にあり、自分のキャパを超えてがんばりすぎたのが原因だと推測しています。『子どものうつがわかる本』によると、「発達障害」や「いじめ」がうつの原因になることもあるようです。

長男の場合はHSCのことを知ることが根本的な治療につながると思い、HSCのことを教えてくれた友人のお薦め図書2冊を、早速入手して読みました。

①『HSCの子育てハッピーアドバイス』明橋大二[著]
②『敏感すぎて生きづらい人の 明日からラクになれる本』長沼 睦雄[著]

①はイラストや漫画もあり、視覚的にもHSCを理解しやすくてお勧めです。子育てカウンセラー・心療内科医の著書です。
②は日本でHSCを最初に紹介された方で、十勝むつみのクリニックを開院し、HSC/HSP、神経発達症、発達性トラウマ、アダルトチルドレン、慢性疲労症候群などの診断治療に専念し、脳と心と体と魂と食の結びつきを促す統合医療を目指しているお医者様の著書です。

まずは本でHSCの特性を知るところからスタートしました。2冊読んで「今までずっと頑張ってきたんだから、必要なだけ休ませよう」と思いました。そして、「この子に絶対に無理をさせたらいけない」と思いました。HSCは根が真面目だから、放っておいても頑張ります。むしろ「がんばるな」という声がけがちょうどいいのではないでしょうか。

うつであれば、最低3年くらい、いやもっと長期スパンで本人も周りも構えておく方がいいです。というのも、表面的に大丈夫そうだから、といって無理をする(させる)と、うつが長期化するからです。

夫もHSPでうつの経験がありますが、仕事をしていた環境が悪く、うつになって仕事を辞め、実家に戻りました。そこで「死にたい」と言ったこともあるようです。幸い、義理のご両親は夫に無理をさせなかったので、完全復帰することができ、今にいたります。夫は長男の一番の理解者でもあり、夫も私も学校に行けない子どもに向かって「学校に行きなさい」とは言いません。

専門家によると、うつの状況とはうつな気分(悲しくてみじめでむなしい気持ちになり、やる気や興味が失せる)が長く続いている状態です。心身のエネルギーが極端に消耗してしまったため、2週間以上、うつな気分から立ち直れない/生活面においてマイナス方向の言動・態度が増えると、うつ病の可能性が大きいとされています。(参照:子どものうつがわかる本 下山晴彦監修 p16)

息子本人が病院の受診を希望しなかったので、うつ病で医者に一度もかかっていません。というのも、「HSCが起因しているので、根本のところは病気ではない。本人が嫌がっているのに、無理やり受診させてエネルギーがさらに下がるのは避けたい」と考えたからです。

振り返ると、長男も急にエネルギーが無くなった初期は、自己肯定感が低く「死んだほうがマシ」という言葉を発することもあり、それも私がうつだ思った理由です。当時は私が仕事や用事から帰宅したら、すぐに息子の部屋に行き、寝ているのを見たらホッとしていました。

どういうときに「死んだ方がマシ」と言ったのか。長男の場合は、弟とのコミュニケーションに起因することが多かったです。正直なところ、長男よりも次男にてこずりました。次男は「お兄ちゃんだけ(家にいるのが)ズルい!」と言い出しました。兄の学校に行きたくてもいけない状況を、当時小2で理解するのは難しかったのでしょう。

不登校児の兄弟問題

兄を弟から守る必要があったので、私は2人に優しい対応をするようになりました。弟が小3のときは、心が落ち着かないまま学校を休むことも多々あり、3学期は他にも理由があって、完全不登校になりました。

我が家では「兄の命を守る」ことを最優先に動くと決めたので、母親である私の「弟対応」が「学校やみんなの普通と異なる」ことを自覚していました。小4に上がるときに、こちらからお願いをして、「担任の先生」と「生活指導の先生」と私の3人で作戦会議を開き、兄を守る必要がある我が家の状況をご説明しました。

そのときに、生活指導の先生が、
「今は家では大丈夫ですか?」と聞いてくださり、
「お陰様で今は平和です」と答えると、生活指導の先生と担任の先生が
「よかった!!」と心からの笑顔でおっしゃってくださりました。

作戦会議の最後に、生活指導の先生が、
「本人の意思を確認しながら別室登校を進めましょう」
とおっしゃってくださり、感謝の気持ちと安堵の気持ちに包まれました。

「不登校児本人」だけでなく「その兄弟」も、必要に応じて特別な対応が必要になります。担任の先生にこちらからお願いして、時間を取っていただき、情報共有することをお勧めします。不登校の原因がいじめや担任の先生にあるときは、第三者である教頭先生にお話しを聞いていただくと突破口が見つかるかもしれません。

また、最初は、担任の先生だけではなく、生活指導の先生にも入って頂くことをお勧めします。というのも、生活指導の先生が入って頂くと、学校が次男のことを理解して、別室の確保などの調整をしてくださります。次男のことを気にかけて見守り、ときには声をかけてくださる先生が複数いるのは、本人の安心感につながり、学校が居場所になっていると思います。

次男の別室登校の様子

温かい先生方のお陰で、次男は小4は別室登校で1年間過ごすことができました。1学期の最初は週2日の遅めの登校から始まり、3学期には、毎朝私が送って行くのには変わりませんでしたが、週5日登校できるようになり、一部の授業はクラスの友達に合流できるようになりました。

たまに、お友達が別室に遊びに来てくれたり、給食を一緒に食べに来てくれたり、早く図工が終わった友達が説明に来てくれたり。そうこうしている間に、別室での自分の居場所ができて、「学校に行きたくない」と言わなくなっていました。別室登校や不登校の対応はマニュアルがないと思います。先生方の「愛」と「工夫」にいくら感謝してもしきれません。

次男は、料理や食べることが好きなので、「今日の給食何かな?」は親子の毎日の話題です。勉強や学校から意識をずらすのもコツかもしれません。「学校に給食を食べに行こう」と声かけていました。

初期は次男の話し相手や勉強の見守りのために、私も長時間別室にいたので、給食の時間に突入し、学校給食のカレーを次男に少し味見させてもらったこともあります。子ども達が「家のカレーより学校のカレーの方が美味しい」というので気になっていましたが、納得のうまさでした。私たちの一生の思い出です。食べ終わって「カレーの舞」を二人で踊りました。

保護者がどこまでかかわるか、かかわれるかは、学校との相談になると思います。次男の場合は登校時間が遅かったので、小4の1年間、学校に行く日は体重50キロある次男を電動自転車のうしろに乗せて、学校まで送って行きました。一緒に校内に入り、私が職員室に顔を出して、その日使える教室に案内していただきました。

先生と次男と私の3人で別室まで行ったあとは、オンライン接続が上手くいくかを見届けるところまで、私がしていました。

また、別室でテストを受けるのには、テスト監督の人手が必要なので、そこは私ができると申し出ました。次男とテスト勉強を一緒にやってから、教科書をかばんに片づけ、テストを受けさせます。私が、受け終わったテストを職員室にあずけて帰る流れにしていました。

正直なところ、オンラインでは教室にいるより勉強ができていないと思います。そこで、親子で一緒に教科書を開いて、大切なポイントを押さえたり、気づきを話したりしてからテストを受けさせたので、大きく勉強で遅れることはありませんでした。

本人の意思を尊重していただいて、小4の1年間を過ごさせたことで、次男は気持ちもエネルギーも安定してきました。

小5も引き続き別室登校ですが、自分で学校に歩いて行って、自分専用の別室(使っていない理科実験室)に行き、オンラインもしくはクラスに合流して授業を受け、友達と一緒に歩いて帰ってくるようになりました。

今では理科、図工、家庭科や体育など、合流できる授業がかなり増えています。テストもクラスの友達と同じタイミングで受けられるようになりました。小5の1泊の課外授業「レイクスクール」には絶対に行くと楽しみにしています。今は、別室があることで、自分だけの時間がほんの少しでもあることで、がんばれているようです。別室の威力を感じています。

親は子どもの性格や気質に合わせて、それぞれのゴールを別に設定する必要があると思っています。次男の場合は、学校に行く方が本人のプラスになるので、最終的には完全に教室で合流してほしいです。

長男の場合は、何かがストッパーになっているのでしょう。学校に行けませんが、勉強する意欲はあるので、オンラインでご対応いただいています。それが、長男にとっては最善だと感じています。Zoomのチャットで各教科の先生とやり取りをすることもあるようです。

いずれいせよ、不登校の子どもがいる家庭では、兄弟間での問題もあるのではないでしょうか。不登校でうつの子どもを守るためにとった方法は、子どもに一人ずつ向き合い、家庭内を家族全員にとって平和な場所にすることでした。

そうすることで、気づいたら弟は兄の、兄は弟のよき理解者になっていて、お互いの状況を尊重するようになっていました。お子様の数が多いと、一人ずつと向き合うのは大変だと思いますが、少しでも参考になると幸いです。

親戚への対応

他にも、近くに住んでいる場合は、親戚の対応も必要になります。近くに住む私の父が、不登校の長男に向かって学校に行くことを前提に話をするので、長男は父(おじいちゃん)を避けていました。

そこで私は、本を実家に届け、父に読んでもらうようにお願いしました。「不登校の子どもに学校に行けというのは命を削ることと同じ」だと気づいてほしかったのです。父はその本を読んでから、子ども達に学校のことを聞かなくなりました。(書名は参考文献へ)

また、「単位制通信高校があって、そこから大学進学も可能」という制度面の話を父にすると、「それを聞いて安心した」と言っていました。

必要な情報を身近な人に伝えたことで、お正月やその他のときでも一緒にご飯を食べるなど、和やかな時間が戻ってきました。何より、私が会社員時代の夏休みや冬休みに、長男は小さい頃からおじいちゃんが運転する車に乗って、ドライブに行っていた仲。それが壊れなくて良かったです。

長男に少しずつみられてきた変化

最初の変化は、中2に上がるときに、「中2は学校の課題をやって出す」と本人から言ってきたことです。全教科とは言わないまでも、主要教科や自分が好きな教科は、取り組んで提出するようになりました。長男は学校には行けないので、届けるのは母親の私の役目です。

次に長男のエネルギーがさらに回復してきた中2の秋から、本人の意思で「大阪大学大学院 人間科学研究科の心理教育相談室」に、定期的に通うことになりました。地元の公立中学のスクールカウンセラーさんに、入学直後からたまに私がお世話になっており、そこで教えてもらいました。

中1のときは、心理教育相談室のことを伝えても気乗りせず、行かずじまいでした。中2の秋にもう一度伝えたら、「行ってみようかな」との返事が。同じことを話しても、それをつかむかつかまないかは、本人の状況によるんですね。

心理教育相談室は大学院生のお兄さん、お姉さんが、教授の指導を受けながら、クライアント(相談者)のカウンセリングを行います。最初だけ教授が私たち親子と初回カウンセリングを行い、その後は、大学院生さんと会うことになります。親と子ども別々に担当がついて、定期的に同じ方と会って話します。親子で週1回通っていましたが、今は、息子は毎週、私は月1回のペースで通っています。

息子は、いつもお兄さんと話しあと、オセロや他のゲームをして遊んでいるようです。本人に感想を聞いてみたところ、話すことの価値を感じているようです。「今日はずっと話していた」と言うこともあります。

私が行かない日は、長男は一人で大阪大学のキャンパスまで行って帰ってきます。運動不足を自覚していて、行きも帰りも歩く距離が長くなるルートを使うなど、健康管理の意識もそれなりにあるようです。

HSC・うつの不登校児への接し方

これが一番難しいのかもしれませんが、
・家族が子どものすべてを受け入れ、穏やかに心を保って接する
・本人が穏やに日常生活を送る
のが、遠回りのようで近道だと思っています。

実は私も、最初はできていませんでした。「中学に入るタイミングで、心機一転学校に行けたらな」と期待していましたし、学校で授業を受けることを前提に、長男のことを考えていました。学生服も体操服も、購入したまま放置するのは、正直むなしかったです。

しかし、私が変わる転機が訪れます。母親の心のありようが、長男にとってしんどかったのでしょう。中1のある日、子どもの不登校を完全に受け入れているお母さんのYoutubeを見つけたようで、それを見るように言われました。本人なりの最後の抵抗というか、母親の私に「変われ、変わってくれ!」という心の叫びだったのでしょう。

私はその動画の内容を覚えていませんが、私はずっと「学校」という軸、「学校に行ってほしい」という私の希望や価値観をもとに、息子とコミュニケーションをとっていたことにハッと気づきました。

これを転機に、私は長男の存在自体をまるごと受け入れ、接するようになりました。そこにいてくれたら、いいんです。生きてくれていたら。そして、少しずつエネルギーが回復してから、自分の命を輝かせてくれたら、と思うようになりました。

私が変わってから、学校に行かないなりにも、本人がイキイキし出したことは、言うまでもありません。私は一般的な親としての価値観や、学校という枠を完全に手放して、目の前の我が子とコミュニケーションをとるようになっていました。息子が私のことをあきらめずにいてくれて、本当に良かったです。

修学旅行に行けるのは30%

今までずっとオンラインで授業に参加しているので、中3の修学旅行は最初から親子とも考えていませんでした。しかし、担任と副担任の先生が「オンラインで授業に参加しているから、みんな同じクラスの仲間だと思っていますよ!」と修学旅行への参加の道を開いてくださりました。

私は、最初から絶対無理だと決めつけずに、少しでも可能性があるなら、道を開いてくださったことに大変感謝しています。本人も「行けるかどうか分からないけど、行くかどうか迷っていいんだ!」と嬉しそうでした。

途中で、担任の先生が家庭訪問をしてくださったときに、「何%くらい行けそう?」と聞いたら「30%」と答えていました。

コロコロがついた小さなキャリーケースとリュックに、準備を完璧にしていましたが、最終的に行きませんでした。でも、最初から何もしないよりも、クラスの友達や先生の優しさに触れられたこと、行き先の沖縄のことを知れたこと、何より長男が自分と対話する機会になったことが良かったと思います。

実はこの30%が大切な数字なように感じています。
「期待するのは30%にしてね」と私は読み替えています。自分が本調子じゃないときの、周りの接し方で、期待値が半分を超えているとしんどいのではないかと推測します。かといって、興味もあるし、行きたい気持ちもゼロではない。30%と正直に答えて、自分に逃げ場をつくっておくのも、大切な処世術です。

3年間穏やかに過ごした今

3年間の中学生活を地味に家で過ごした長男。高校では学校生活を楽しみたいようです。かといって、全日制の学校に行くのはピンとこないようで、単位制通信高校への進学を希望しています。

中3になってから、本人の希望で単位制通信高校の合同説明会に2回、親子で参加しました。1回目は父親と、2回目は母親の私と。父親と行った回では、すべての学校の短いプレゼンを聞いて、唯一ピンときた学校のブースで話を聞いて帰ってきました。

1年前は、長男に頼まれて私ひとりで合同説明会に参加し、得た情報を息子に伝えていたのですが、今回は自分が参加すると決め、すんなり参加しました。会場は大阪の梅田で、合同説明会も人が多いですが、何の問題もなく行って帰ってきました。

ちなみに、長男が行こうと心に決めている単位制通信高校は、昨年私もいいと思った学校で、私自身は2年連続で同じ学校のブースで話を聞いて納得しました。

・先生やスタッフの皆さんが全員感じがいい(一人として例外はいない)
・一律の話をするのではなく、子どもと対話をしながら、興味があることを説明してくださる(子どもありき、子どもの意思を大切にする姿勢)
・時間が長くなっても、私の質問に最後まで丁寧に説明してくださる(誠実な対応)

こんな学校だったら、感受性豊かなHSCの長男がハッピーに過ごせるな、と親として嬉しくなりました。別のスタッフの方から説明を受けた夫も同感でした。

当日、個別相談を担当してくださった方と長男のやりとりを聞いていて、一番わくわくしたのは、部活のことでした。

「何かクラブに興味ある?」と言われ、パンフレットの部活を見て運動部が少ないことが分かります。元不登校の生徒も多いため、イラストなど、室内でできることが多いのです。

「クラブで何がしたい?」
「体を動かしたい」
「何をしたい?」
「サッカーとかバスケとか」
「社会の先生に、もと中学の先生で、そこから海外にサッカーをしに行って帰ってきた先生がいるよ!フットサルとかできるかも。5人いたら新しい部活を作れるよ!」

という会話でした。

帰り路に、「部活の顧問ゲットできたな」と長男に言うと、
「小学校で友達とサッカーをしていたとき、サッカーを習ってない人の中で一番うまかってん!」と教えてくれます。私はそのことを知りませんでした。

長男が言ってたのですが、「関西の単位制通信高校でひとり勝ちやで。数字(生徒数)が表しているやろ!」にも納得です。4年前にできた新設校で全校生徒が1200人。独り勝ち状態です。それだけ、生徒と保護者の満足度が高いんだと思います。

単位制通信高校については別の記事で書きたいと思いますが、大阪府の高校なので、全日制の高校と同じように大阪府から学費の補助を受けられるのも、大きな魅力です。

いずれにせよ、3年間穏やかに生活を送ったことで、自分が次の3年間をどのように過ごしたいかを考えるエネルギーが湧いてきたようです。中2の秋から自分の意思でカウンセリングを受けるようになり、中3で進路選択ができるようになった感じです。

最後に

ここまで不登校歴3年の長男の話におつきあいいただき、ありがとうございました。不登校といっても、HSCの性格が起因していたり、いじめが原因だったり、発達障害が原因だったり、色んなケースがあると思います。

今回執筆しようと思ったのは、不登校の子どもがうつのケースもあるということ。うつの場合は長期戦になるけど、3年間穏やかに過ごせば、大分回復してくるよ、という事例を共有したかったんです。

大切なのは、本人がエネルギーを貯められる環境づくりをしてあげられるかだと思っています。生まれてきてくれてありがとうの命を、親が思うようにではなく、本人が思うように輝かせてくれたらうれしいですね。

あなたも、私も十分がんばっていると思います。自分を褒めてあげましょう!私も心身ともに限界にきたのか、喘息発作で救急外来に行ったことがあります。仏ではありません。本記事の内容が、あなたのお子さまを守るために、少しでもお役たてば嬉しいです。

【参考図書】

「子どものうつがわかる本 早く気づいてしっかり治す」下山晴彦[監修]
「HSCの子育てハッピーアドバイス」明橋大二[著]
「敏感すぎて生きづらい人の 明日からラクになれる本」長沼 睦雄[著]
「不登校」「ひきこもり」の子どもが一歩を踏みだすとき 内田良子[著]
(←私の父に読んでもらった本)


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