生きた足跡を残すということ
私がいなくなったとしても
3分おきに電車は揺れて
きれいにきれいに花は咲き
戦いは止むことなく
・・・・
あぁ今日もこの手で必死に何か掴もうとしているよ
あぁ今日もこの胸は息を吸っては吐き出して
10分後も10年後も同じように生きているだろうか
CATWALK/チャットモンチー
ある個人経営のカフェで、カフェのスタイルに合わせて流れているBGMに逆らい、イヤホンからこの曲を聞いていた20歳の夏。
本を読んでいるふりをしているけど、本当は"私が今この瞬間にいなくなったら、誰が悲しむだろうか?"と考えていた。
まずは両親。あまり好きじゃないけど、いなくなったら寂しいって思ってくれるだろう。
歳の離れた兄と姉。兄は幼稚園の頃に上京したので久しく会っていない。何と思うだろう?
姉はいつも私のことを心配してくれる唯一の存在だから、大泣きするに違いない。
友達は…。親友と呼べる子が1人いる。その子は最後の最後まで見送ってくれるだろう。
彼氏。多分どうだろう。私も彼も野良猫みたいだから、きっといなくなってもしばらく気づかないかもしれない。
そう考えていると、自分の人間関係とはすごく浅いものなんだと感じる。やりたいこともない。むしろ今の生活から抜け出して、自由にのんびり過ごしたい。
だから今いなくなっても、別の世界でのんびりすごせるのなら、それはそれで良いのかもしれない。
グラスの中のブラックコーヒーがほろ苦く感じ、シロップを注いだ。
私はなんて冷めた人間なんだ。
それから7年が過ぎて、今私は女性としての目標ができた。
私が好きな人と暮らし、好きな人との子どもを授かりたいと思っている。
これまで、結婚や子供を授かることだけが幸せではないと考えていたけれど、いざ人生の最期まで一緒に居たいと思えるパートナーに出会い、価値観が大きく変わった。
子どもを授かるには、こればかりは色々なタイミングがあるから簡単なことではない。
自分の体調の変化を知ることにした。
不仲だった家族を大切にするようになった。
パートナーとの日常を楽しみ、一緒に過ごす時間に感謝をするようになった。
この私の変化を自然と私の周りの人たちは喜んでくれるようになった。
人生に足跡を残すと言うこと。
一人ではなく、誰かと生きる温かさを共有していくことで段々としっかりと一歩一歩足跡を残すことができる。
あのとき、いついなくなってもいいと思っていた私に言いたい。
人生は波瀾万丈で、大きな冒険。
辛さも弱さも私なりに乗り越えればそれは100点満点でことが終わるよ。
今出会っている周りの人たちは、これからの未来に大きく影響する人たちだから、感謝を忘れずに。
私が今ここにいることや、笑っていられることこはあのときの20歳の私がこの音楽を聴きながら私がいなくなったら・・・と考えてくれたおかげ。あのときの私が人生の足跡を残してくれたから。ありがとう。
そしてチャットモンチーさん、こんな素敵な音楽を聴かせてくれてありがとうございます。
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