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#9 スキが欲しくば、神父になれ

前回の投稿で、「価値あるものほど理解されない」と思考を転換することにより、投稿することへの心理的ハードルを下げれるのではないか、という話をした。

とはいえ、「それでもやっぱりスキが欲しいんじゃ!!」と鼻息の荒い方もいらっしゃるのではないか。

ということで、今回、スキを貰いやすそうな投稿の特徴を考えた。

結論から述べると、ズバリこれだ。

「タイトルに共感性の高いワードが入っている」


なぜ「タイトルに共感性の高いワードが入っている」とスキを貰いやすいのかと言うと、読み手は以下を基準に無意識的に記事をソートしている(ことが多い)からである。

何が書かれているか < 書かれていて欲しいことが書いてあるか

つまり、ほとんどのケースにおいて、中身を読んでタメになったからスキ!!ではなく、自分が書いていて欲しいことが書いていそうだ、うんやっぱり書いている、スキ!!なのだ。

よくよく自分の行動を顧みても、一つの投稿をまるまる読みこむなんてことはほとんどなく、基本読み飛ばすことが多いのではないだろうか。

他者にとって自分の投稿も同じで、読み飛ばされることを前提としながら以下を満たすことが重要となる。

タイトルから読者が読みたいことが書かれていそうであることが分かる
・実際に書かれていてほしいポイントが随所で抑えられている

具体的に2つほどスキを貰いやすそうな投稿の具体例を考える。

タイトルに”赦し(ゆるし)”が入っている

”赦し”とは、罪や過ちを犯した人を非難せずにゆるすことである。
たまに、海外ドラマなどのシーンで、教会の中にある相手が見えない箱の中で、犯した罪を主人公が神父に告白しているような場面を見たことがある人もいると思う。

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要は、「この記事を読むことによって罪悪感が低減されるであろうことが読み手に伝わるようなタイトル」にすればいいのだ。

例えば、こんな感じである。

今、「なにもしない」ということ

あまりいい例えではないかもしれないが、ターゲットは、「自粛期間にごろごろしてしまった人」である。

この人たちは、世の中で様々な意識高めのバトンがごろごろ転がっているのを横目に酒飲んでどうぶつの森をしながらごろごろしており、こんなんでいいのだろうか…と少し罪悪感を感じている。

そして、彼らは同じ境遇の人やその罪悪感に対する赦しをネットに求める。

そこで、神父として現れ、

「何もしない」こと”こそ”今最も価値があるのだ

とその罪悪感を肯定する。

また、記事の中身もタイトルに合わせて、例えば、家にいることこそが集団感染を防ぐために今一番すべきことであって・・・みたいな内容などを書けばいいと思う。

ここで大事なのは、これから何をすべきかといったアドバイスをするのではなく、「何もしてこなかった」現状をただ肯定することである。

これだけで、何もしていない人たちは、ある種自らの意図通り肯定感を得ることができ、スキをしてくれるのではないだろうか。

②人々の不満をエモーショナルに代弁する

これは、上手く言語化できないが、タイトルは例えばこんな感じだ。

田舎を出た私が、8年間乗り続けた東京の満員電車を降りて気づいたこと

ターゲットは、「都会の満員電車にうんざりしてたけど、コロナで在宅勤務に変わって改めてあれなんだったんだって思っている人」である。おそらく大勢いるだろう。

わざわざ「田舎」、「8年」、「東京」などと言ってるのは、描写に対して読み手が自分を重ねやすくするためだ。書いている内容の中に共感できるポイントが多ければ多いほど、その記事に対する好感は上がる。

なお、書く内容はタイトル通り概ね想像がつくようなものでよく、真新しい教訓などはなくても、感情をさらけ出しながら書けばそれだけで十分だ。

おそらく、タイトルだけで同じ境遇の人たちからスキを押してもらえるだろう(僕も多分押す)。

ちなみに、余談だが、固有名詞を使うことによって文章の中に相手の関心の「フック」を仕込むことは仕事をするうえでも使えるテクニックであり、詳しくは以下を参照されたい。

また、上記はあくまで一例であって、もちろんのことながら全てではない。

まとめ

今回伝えたいことを最後にまとめる。

スキを貰いやすい投稿の特徴
・タイトルに共感性の高いワードが入っていること
読み手は何が書かれているかより、書かれていて欲しいことが書いてあるものを好む
(例)タイトルに”赦し(ゆるし)”を入っている
(例)人々の不満をエモーショナルに代弁する

なお、個人的には、今回紹介したような投稿は”誰かの行動変容に繋がるか”という観点で言うと、価値はそれほど高くないと考えている。

共感性の高いメッセージは読者の自己肯定感やモチベーションを高められるなどの効果もあり、それ自体を否定しているわけではないが大衆にとっての「共感できる」で終わってしまいがちだからだ。

結局のところ、”情報”は行動に転化させないと意味がない。

そのため、前回も述べたように、大衆に広く共感されるよりも、誰か一人に深く刺さり、その人が行動を少しでも変えてくれるような情報の発信を目指す方が健全なように思う。




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