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#8 価値あるものほど理解されない

最近noteを書くようになってちょくちょく知人から見てるよ、と言われることが増えた。

知人は大体その次にこう言う。

「俺もやってみよっかな」

このセリフを言って実際に始めた人は知る限りではいないのだけれど、僕自身、昨年あたりにWebライティングを始めようとして途中で挫折したこともあって、理由は何となく分かる。

多分、人に役立つイイモノを書こうとしすぎているからだ。

今日は、ついイイモノを書こうとしすぎてしまう僕たちの視点を変えてくれる言葉を紹介したい。

価値あるものほど理解されない

人に役立つイイモノを書こうとしてしまう心理には、おそらく承認欲求が深く関わっている。やはり書くからには誰かの役に立ってほしいし、LIKEもいっぱい欲しい。

であるならば、承認欲求をコントロールすれば、イイモノを書こうとしすぎる肩の荷がおりるかもしれない。

僕が#1で紹介した本では、承認欲求を以下のように定義している。

(認知された期待-自己効力感)×問題の重要性

詳しい言葉の定義は以下の#1を参照するとともに、ぜひ実際に本を読んでみていただきたいのだが、上式によれば、承認欲求を下げるには、①期待を下げる、②自己効力感を上げる、③問題の重要性を下げる、の3つのアプローチがある。

その中でも、今回は①期待を下げることに着目したい。
要は、イイモノを書かなくてもよい、LIKEはもらわなくてもいいのだ、と考え方を転換することにより自分自身に対する期待値を下げるのだ。

しかしながら、そんなことは頭の中で分かっていても、なかなかいきなりはそう思えない。では、どうするか。

価値あるものほど理解されないと考える。

例えば、自分がイイと思って発信したが反応が芳しくなければ、その情報はまだ誰にも理解されていない価値があると考える。LIKEが少ない情報にこそ実は価値があるのだと考える。

この考え方は、一見こじつけのように思えるが、真理でもある。

この発想は、#6で紹介した瀧本哲史さんの本を読んで得た着想であり、瀧本さんは、その本の中で、アイデアはコモデティだと述べている。

具体的には、「このアイデアを事業化したい」と考えたときには既に同じように考えている人は世の中にたくさんおり、さらにそれが多くの人にイイね!と同意されるようであれば尚更そのアイデア自体はありふれたものであるかもしれないということだ。

このことから、イイねをたくさんもらえる情報は自分が発信しなくても既に周りにありふれた示唆であり、イイねが少ない情報にこそ、まだ誰にも気づかれていない情報としての価値がある、と”も”言えると僕は考えた。

そう考えることにより、イイねが貰えなかったらどうしよう、批判されたらどうしよう、タメになることを書かなきゃいけない、といったことを不必要なまでに考えなくてもよくなるのではないだろうか。

だれか一人に響けばいい

なお、と”も”、というのは、そもそもそこに市場がない場合も考えられるからである。

なので、独りよがりの発信にならないために、知人でも誰でもだれか1人を明確にイメージして、その人に届くように書けばいいと思う。(ちなみに、1人を明確にイメージするのはマーケティングにおける定石。)

※参考までに

まとめ

以下に、今回伝えたかったことをまとめる。

イイモノを書こうとしてしまいすぎるときは、
価値あるものほど理解されないと考えることにより、情報発信の結果に対する解釈を変える
・だれか1人をイメージしてその人にさえ響けばよいと考える

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