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ロシア文学とゴンチャロフの『オブローモフ』(膨張する本の記録―【シリーズ1】昔読んだ小説類の記録14)

このマガジンで紹介している「昔読んだ小説類」の中で、一つのグループを形成していたものの一つが、「ロシア文学」であった。
赤い立派なハードカバーの本のシリーズであり、各巻、独特の挿絵が付いていた。
その他のグループとして、「三島由紀夫」、「川端康成」、「夏目漱石」、「日本古典」、「埴谷雄高」、「武田泰淳」等があった。
 
1970年前後だったと思うが、日本ブッククラブというところで企画された、「ロシア文学全集」が、新聞等で広く広告されていた。それを見て私は早速、全35巻を予約し、毎月本が届くたびに、小遣いから銀行に振り込みに通った。月に一冊配本されていた場合、約3年かかるので、中学から高校にかけて全巻が揃ったことになるが、もっと早かったような気もする。
もう正確には覚えていないが、その頃の小説類の読書の中で、ロシア文学が、一つのグループを成していたのは確かである。
ただ、その頃、ロシア文学だけを読んでいたのではなく、三島由紀夫、川端康成、夏目漱石その他の日本近・現代の作家の作品、18世紀、19世紀から20世紀前半頃までの外国文学、特に『万葉集』、『平家物語』その他の日本の古典文学等も多く読んでいた。
このように、興味・関心が一点に収束せず、多領域のものを、その時々の興味に任せて読み散らしていたことは、私が、特定の領域の文学の専門家になることがなかったことの、一つの理由であろう。そもそも、文学の「専門家」になることに、全く興味を感じなかったことが、その基盤にあるのだろうが。
 
このロシア文学全集は、『原初年代記』やスラブ古典文学に始まり、オストロフスキー等古典期の文学者を経て、プーシキン以来の、我々が「ロシア文学」と聞いてイメージする、ロシア近代文学のめぼしい作家群―ゴーゴリ、ツルゲーネフ、ドストエフスキー、トルストイ、チェーホフ等―を網羅し、さらに20世紀初頭から現代に近い時期の作家―ゴーリキー、ショーロホフ、アレクセイ・トルストイ、シーモノフ、ファジェーエフ、エレングルグ等―の諸作品をも含む。また、ブーニン、コロレンコ、アンドレーエフ等の作家を含む短編集や、古典から現代に至る多数の詩人を含む一巻の非常に網羅的な詩集も含んでいる。
この詩集には、チュッチェフ、ブローク、マヤコフスキー、アンナ・アフマートヴァ、エセーニン等々、それまで聞いたこともなかった、しかし読んでみると素晴らしい、多くの詩人の詩が含まれていた。
 
これまで、詩を、特に取り出して論じることはして来なかったが、この頃の「小説類」の読者の中で、「詩」というのは、実は特別な位置を持っていた。詩の範囲の中には、和歌や短歌も含まれる。詩について、後に論じる機会があるだろう。
 
私は、その当時、そのすべてを完全に読み切った訳ではなく、読み残してその後読んだ作品や、未だに読み通していないものも何巻かある。
この全集をすべて読んでからその他の作品に移って行った方が良かったと今では思うが―なぜなら、この全集に収められた作品のうち、読み残していたものの中に、今なら必読文献だと思う、幾つもの作品(第一巻に収められた『原初年代記』等)が入っているので―、興味が次第に移ろい、この全集には少数しか収められていなかったソルジェニーツィンの小説や、確か詩集の巻に収められていたアンドレイ・ベールイその他の小説の方を、先に読んでいた。
 
今思えば、それ程多くの作品を読んでいる訳ではないが、ある一時期に集中的に読んだという経験によって、私の中に、ロシア文学のイメージはある刻印を残している。
最初に読んだのは、トルストイの『復活』で、次にドストエフスキーの『罪と罰』を読んだと思う。
両方とも、それまでに読んでいた多くの小説と比較すると、特別に長いという訳ではないものの、暗く重い感じで、ある意味で、圧倒的でもあった。
その後、トルストイは、『戦争と平和』、『アンナ・カレーニナ』と続けて読み、この全集には多分入っていなかった『幼年時代』・『少年時代』・『青年時代』の連作も読んだ。
ドストエフスキーの方は、『罪と罰』に引き続いて、『白痴』、『悪霊』、『カラマーゾフの兄弟』、『死の家の記録』、『地下生活者の手記』と読み、この全集に入っていなかった『未成年』や『スチェバンチコヴォ村とその住人』も読んだ。
 
今、少し後悔しているのは、トルストイやドストエフスキーを、早い時期(中学二年の時)に読み過ぎたことである。小説としてのスタイルや文章(翻訳だが)の勢い等の記憶は鮮明に残っているが、『罪と罰』等を除いて、小説の中に開陳されている思想や哲学を、じっくり咀嚼するだけの能力や余裕が、その当時の私になかった。しかも、その後再読出来れば良かったのだが、今に至るまでその余裕がなかった。そのため、ドストエフスキーについても、思想小説・哲学小説として、十分に論評することが出来る程の状況に、未だ至っていないということである。
但し、この種の記憶は、明示的でない形で、つまり言葉にならない形で、心のニューロンネットワークの中に記録されていると、考えられる。言葉で表現出来る記憶のみが記憶ではない。私が、感覚的に、何かを、感じるように、考える時、この種の記憶が発動されていると、考えられる。それは、しばしば「直観」等と言われる、「主観的」なものである。
 
最近の刑事物のドラマではよく、「直観」を振りかざす古い(昭和の?)タイプの刑事が、科学的な証拠・検証や言葉による明示的な説明を重視する新しいタイプの刑事に突き上げられるが、最後に、古いタイプの刑事が事件を解決し、新しいタイプの刑事の尊敬を勝ち取る、といった物語パターンがしばしば使用される。
結論的には、どちらも重要なのだが、この場合、新しい刑事に欠如しているものが、知識や記憶は明示的に表現されるものの範囲には留まらないという事実に対する洞察であるとすれば、一方の古いタイプの刑事に欠けているものは、直観や主観を言葉にすることによって、それはさらに磨かれ得る、という事実に対する謙虚な姿勢である。
 
この種の比喩で明らかになるのは、私が、この「膨張する小説類の記録」のシリーズを通じて試みようとしていることが、直観的に残っている記憶を、出来るだけ言葉で表現しようとすることによって、これらの個人的で主観的な知識や記憶を、より公共的なものにしようとする努力である。そんな風に言うことが出来るかも知れない。「公共的」という言葉が、少々言い過ぎであるとすれば、いくらかなりと、自分にとって、客観的な知識・記憶にするための努力、位に言っておいた方が良いかも知れない。
 
ここで私が取り上げたいのは、イワン・アレクサンドロヴィッチ・ゴンチャロフという作家の、『オブローモフ』という長編小説である。

この作品は、恐らくゴンチャロフの作品の中で最も有名なものであるが、その他にも、長編小説『平凡物語』や、大長編小説『断崖』を、我々は、翻訳で読むことが出来る。

『断崖』は、岩波文庫で全五巻であるが、アマゾンでは、第四巻がどうしても見つからなかった。

また、ドストエフスキーより十歳程年上のこの作家は、ロシア帝国の役人として生計を立てており、仕事の一環で日本に滞在したこともあり、日本旅行記も翻訳で読むことが出来る。

ゴンチャロフの旅は、日本の北方にも及び、北方領土について検討する私にとっては、読んでおくべき文献であるが、未読のままである。
 
『オブローモフ』という長編小説から私が学んだのは、「何もしない人物が長い小説の主人公になり得る」ということであった。
「行動しないこと」、簡潔に言って「無為」、「怠惰」、これらが物語の主要主題になり得るのだ。
何もしないことが、無為・怠惰が、数百ページに及ぶ長大な物語の主題になり得るのだ。
これは、その当時の私にとって、新鮮な驚きであった、と書きたいところだが、そのように表現するのは、少し憚られる。
確かに、新鮮であり、驚きであり、また衝撃であったが、謂わば、ポジティブな方向を向いたそれらではなく、もっとネガティブな方向を向いた、新鮮さ・驚き・衝撃であった。
決して積極的な喜びを感じていた訳ではないものの、しかし、この小説によって、私は、自分にとっての一つの武器を、獲得したと思った。
「無為の哲学」・「怠惰の哲学」を、この物語は、私に示唆してくれた。
 
小説という何でもありのごった煮において、何もしないことが主題になり、何もしない人物が主人公になる、ということは、その実、そんなに不思議なことではない。理論的には、可能性として、十分にあり得ることである。
しかし、理論的にどんなに可能であったとしても、それを実際にやってしまう、実践してしまう、ということは、別のことである。
 
ヘルマン・ヘッセの『車輪の下』を論じる以下の記事の中で、私は、私が『車輪の下』という小説から最も大きく学んだことは、「学校をさぼること」であった、ということについて述べた。

その後、「学校をさぶること」、より具体的に言えば、「学校の勉強をさぼること」・「学校の行事をさぼること」は、私の生活全体を貫く、基本的な哲学となった。
その、「行為しない」という行為による、周囲との齟齬や矛盾に基づく種々の苦痛を味わう位なら、もう少し適当にやっておいた方が良かったのではないかと、今になっては思うが、その当時の私にとっては、適当に調節するようなことは、到底無理だったと思う。
 
次のような小事件が、最もひどかったという自己評価と共に、記憶に残っている。
あまりにバカバカしいので、記念として、記録しておく。
 
・運動会の最後を飾るリレー競技に出ると(自ら)宣言
・ランナーとして選抜さる
・当日、朝から何処かの部室に籠り、行方不明となる
・部室において、「何もしないということが、現実にどういう帰結をもたらすか、見せてやる」と、取り巻きの人間に宣言
・何度となく、行方不明となった自分への、学内アナウンスがある
・「さすがにヤバい」と、取り巻きから、出場するように諭される
・時間に遅れて、出現
・時間に遅れて、最終競技であるリレーが始まる
・何番目かは忘れたが、自分の番となる
・走り始めたが、ほぼジョギング状態
・「あの走り方は何なんだ」という周囲の怒声が聞こえる
・周囲に向かって英雄気取りで手を振る
・私のクラスは、当然ビリ
 
その後、担任の先生が、教室に全員を集め、私を前(所謂「教壇」の所)に立たせて、「ここで土下座して、みんなに謝れ」と言った。(決して、間違っていない。)
私が土下座しようとしたところ(あるいは、無視したか、開き直ったのかも知れない)、どうしてか、「土下座なんかする必要ねえよ」といった声が周囲から湧き上がり、逆に、先生が吊るし上げられるような状況になってしまった。
結局どうなったものか、正確には覚えていないが、土下座しなかったことは勿論、私の存在を超えて、私に土下座を強要した先生の方が、中心人物になってしまった、ような、幽かな記憶がある。
多分私は、そそくさと、教室の前という、特別な場所を、後にしたような気がする。
 
どうしてそういうことになったのかよくは分からないが(私の上述の「非行動としての行動」が、その流れに火をつけた、といった推測は、多分間違っているのだろう)、その後、その先生は、さらにクラス中の生徒の非難を浴びるようになって行き、結局、クラス担任から外される、という事態になった。
民主主義が機能していたのか、その先生をクラス担任から外してほしい、という決議も、当の先生が参加する場で、多数決によって行われた。
その時、どうしてか、私一人だけ、「反対」(つまりクラス担任から外してほしいと思わない)に手を挙げたのを覚えている。
先生は、私の顔を見て、ありがとう、というようなことを言い、話がしたい、という風に続けたが、私が迷っていると、いい、いい、というように手を振り、そのまま去って行った。
その先生の顔は、それっきり見ることはなかった。
 
上の小事件は、『オブローモフ』を読んだのと、確か同じ頃だったと思う。勿論、『オブローモフ』の影響でこのようなバカバカしいことをした、という直接的な関係はないと思うが、このようなバカバカしいことを平気でし得る、というその頃の私の精神状態に、『オブローモフ』という長編小説が、謂わばピタッと嵌ったことは、確かだ。
 
『オブローモフ』は、まさに、(その当時の)現代ロシアに棲息する、立派でない人物の、生涯の物語である。
オブローモフという人物は、魅力的でないことはない。
知力もある。社会的意識もある。自分が所属する、ロシアの貴族階級に対する、批判的意見も持っている。
「期待点」は、非常に高い人物なのだ。
 
私の身近な喩えでは、例えば修士論文等の審査がある。論文のテーマはいい。きちんと勉強している。手も動かしている(情報系では、それは大事だ)。しかし、質問への受け答え等、ピントを外している。よく理解していなさそうだ。それは分かるが、しかし、次に期待出来そうだ。そこで、期待点で合格とする。
そして次。何も変わらない。
これが、オブローモフ的、というものだ。
 
だからなのか、オブローモフという人物の周囲には、少数だが、魅力的な人物が集まって来る。
特に、オブローモフの真価を見抜き、自分がいれば、オブローモフは変われる、と思う、オリガというロシアの女性は、全く魅力的である。読者は、オブローモフが少しだけ進化して、オリガと結ばれて欲しい、と願う。
オリガ自身も、それを願っている。
しかし、オブローモフは、変わらない。
そして、そんな自分が、オリガを伴侶とすることが出来る人物でもないことをも、明察している。二人は、別れる。
オリガは、見方を変えれば、典型的な、ダメ男に惹かれる系の女性かも知れない。恐らく、オブローモフと結ばれなかったことは、オリガにとって、全く幸運であったのだ。オブローモフ自身の方が、オリガの、そういうダメな本質を見抜いていた、とも言える。
オブローモフとは、それ程に、賢い人物である。
だがその賢さは、人生の構築、という方向には、決して向かわない。
 
私自身は、上述のようなバカバカしいとしか言えない、「無為の実践」・「怠惰の実践」や、非生産的な読書(「受験勉強」とは全く関わらない)を通じて、その頃、「哲学」について、思いを巡らせていた。
その頃までに、デカルト、ニーチェ、古代仏典、福音書、フロイト、ヘーゲル、親鸞、道元、源信、その他の哲学書や哲学書っぽい本、宗教がかった本を、少しだけ、読み齧っていたが、特定の哲学者や哲学書等を、集中して研究してみよう、とか殊勝なことを思った訳ではない。
私自身の哲学を考えてみよう、と考えた訳だ。
『オブローモフ』も、それに直接の影響を与えた訳ではなかったが、「オブローモフ的な気分」が、ある影響を与えていたことも、確かなようだ。
 
殆ど、「気分」の言語化に等しくなってしまうので、今ここで説明しようと思っても、簡単ではない。その当時、日記の形を借りた「思索ノート」のようなものをかなり大量に書いており、保存しているので、それを見れば実際に思索の内容を確認することが出来るだろうが、ここではそういうこともしない。

無理矢理言葉で説明しようとすると、何とも面白くないことになってしまうのだが、要するに、まずは、

・私がいてもいなくても、世の中はあるように進んで行く。

ということが言える。
一方で、私の側の視点に立てば、

・私がどんなに怠け者であろうと、無為であろうと、世の中は、あるように進んで行く。

ということになる。
しかしながら、その事実は、その当時の私から見れば、一種の衝撃であった。何故なら、その頃の幼稚な私にとっては、私の視点から見えるものだけが世界であったからである。
それに対しては、無為の哲学・怠惰の哲学は、まず、私とは関わりなく、世界はあるように進んで行く、ということを教えた。
そのことは、やはり私の視点から見れば、仮に私が、無為の極致、怠惰の極限において、破滅したとしても、世界は、それとは直接関係なく、あるように進んて行く、ということを意味していた。
それは一見、思惟と世界との間での、二元論的対立であるかのように見える。
しかし、そこから少し回って、無為や怠惰が、それそのものの力によって、世界に何らかの影響を与えることが出来るなら、単純な二元論的対立からの脱却を図ることも出来るのではないか、という論理が、私の中に生じたように思う。
行動が、世界に影響を与え、世界の変化に寄与するのと同じように、非‐行動もまた、そのような機能を、この世界の中で果たすのではないか。
多分、この説明は、その当時の私自身の、ネガティブな気分を、そのまま反映するものからは、かなり遠いと思う。
もっと絶望的・ヤケクソな気持ちから、私は、自分なりの無為の哲学・怠惰の哲学を、考察していたように思う。
その気分の中では、世界が、人々の思惟とは別に、世界そのものとして、あるようにある、という、「絶対的な理性」のような、ヤケクソな理論があった気がする。
寧ろ、それに対して、ある撹乱を生じさせるところの、無為や怠惰の力への確信の方は、それ程強い力を持たなかったように思う。

その頃(1970年代の前半頃)の、現実的に、学校をさぼり、無為と怠惰の底に落ち込んでいた、私自身の哲学・思想を述べようとするのは、今回が初めてのことなので、なかなかうまく行かない。
次の機会に期すことにしよう。

50年近く前に読んだロシア文学についての最初の記事が、ドストエフスキーでもトルストイでもなく、ゴンチャロフの『オブローモフ』になってしまったのは、我ながら面白いが、「文学的影響」というものは、こんなものなのかも知れない。体に染みついた影響、といったものがあるとすれば、この種のものなのだろう。

最後に、蛇足であるが、私は今年の9月に刊行した以下の本の中、「ロシアの強さ」について少しだけ論じた。

この本全体は、ウクライナ側を支持する視点から書かれている。しかしながら、ロシアは絶対に侮れる相手ではない。そのような観点から、私は、一番初めの方に、「ロシアの強さ」に関する記述を付けたのである。
ロシアの強さは、ここ論じた、表面的には弱いものに見える、「オブローモフ的なもの」とっも関係しているのではないか。そんな風にも思う。
それは、決して、積極的に評価出来るような代物では、到底ない。しかし、厳然として存在することは確かなものであり、頑強で、鈍感で、ある意味醜悪なものである。
我々は、そのような相手と関係を持って来たし、戦って来たし、今も戦っている。










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