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天気の子

天気の子。

新海誠監督の作品は前作から観ていない。

言の葉の庭。

府中だったか、映画館に向かう途中に原付の尾灯が点灯していなくて、警察にお世話になったな。

確か雨の日を敢えて狙って観に行った。
作品の世界観に合わせるように。
だけど、向かう途中に雨が上がってしまって、それでも春とも夏とも梅雨とも言えぬ、雨上がりの空気感が心地よかったのを覚えている。

内容を語れるほど、批評できるほど、映画を観てきたわけでもない。

ただただ、ものすごいキレイな物語だなと。
美麗だ、これが新宿かと。

映画館の客席はまばらで静かだった。
余計な情報が目に入ってこないので、より没頭できたんだと思う。今でも映画の内容は鮮明に覚えている。

その後に友人宅で部屋を真っ暗にして、大きな画面で、DVD観賞もした。たこ焼きの匂いが残る部屋でもさながらシアタールーム。気心知れた仲間と、より特別な時間を過ごしているようで、そういう意味でも印象に残る作品だった。

君の名は。

世の中に急速に広がっていく新海誠監督。

どのジャンルでも、アーティストや監督、作家のファンになることはあまりない。

面白いだろう、素晴らしいだろうと上から目線で作品に接したくないからだ。

悪気はなくともオススメされるのは好きじゃない。

そこはこだわりとも言えるし、ただ偏屈なだけとも言える。

興行収入○億円突破と目にする度に、映画館への足は遠のく。
おそらく映画館はいっぱいだろう、カップルも多かろう、家族連れもいるだろう、話題作を観に行って声高に作品の感想を語るテレビプロデューサーみたいな服着たあいつと一緒と思われるのも嫌だなとか、観る前からあれやこれやと考えてどんどん億劫になって、遂には観に行かなかった。

ファンじゃないからと言いつつも、広く認知されるようになって、観に行きづらくなったなと思うのも事実。

有名になった途端に手を離れていく。
自分だけのものじゃないのは当然。
でもある事ないこと目にする機会は増えるし、古参新参論争もあるだろう。
純粋無垢じゃいられないのはなぜだろう?

そういうことはお構いなしに、感じ楽しむことができないのは自分がいけないのかと、とにかくごちゃごちゃ考えてしまうから、いっそのこと忘れる。興味を無くす。嫌だなと思うことを尊重する。

天気の子。

CMが流れる。

この頃、よく聴いていた
Galileo Galileiの「嵐のあとで」

自分にはこの曲が合っているような気がしていた。

突然強く降る雨に
びしょ濡れの僕らの心はすれ違って
それでも君は楽しそうだった
この雨が上がったら
君になぜって聞いてみよう

予告を観ただけだ。
内容は分からない。

観たい気持ちが募るけど、
暖めて暖めて暖めて。

世の中が忘れた頃に
答え合わせをしようと思う。

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