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「先生の働き方改革」とはいったいなんなのか(前半)

(本記事は一切の組織や団体との関連なく、あくまでも個人的な一意見として書くものです)

はじめに

9年前、僕は先生になりました。
正直に言うと、特別子供が好きというわけではなく、ただ先生なら「何となくできそうだな」と思って先生になりました。教育を変えたいとか、そういう強い気持ちもなかった。
実際に先生をやってみて、先生という世界はそう甘くはなかったことを痛感しました。「誰でもできる」と思っていたけど、そんなに甘くなかった。
ベテランの先生でも若手の先生でも、途中で学校に来れなくなる先生が何人もいました。自分自身も次第に心を病みました。4月に先生をはじめて、5月には残業が200時間を超えました。中学校で部活の顧問もやっており、休めるのは月に3~4日でした。けど、授業をするのは好きだった。授業を作るのも好きだった。大変だったけど、それが僕の生きがいでした。
ただ、続けられませんでした。自分の弱さと言えばそれまでかもしれないけれど、どうしてもこの先何年も、何十年もこの仕事を続けられるイメージが湧かなかった。そんな自分が生きているイメージが湧かなかった。
今ここで、目の前に乗る電車で、何か事故が起きればいいのになどと不謹慎なことを考える日々でした。暗いトンネルに吸い込まれていくような感覚でした。

先生をやめてから、全く別の仕事をしました。システムエンジニアをしたり、営業をしたり、コンサルをしたり。そうしていくつかの仕事を経てまた、教育に携わる仕事に戻ってきたいと思いました。ただ、自分が先生になることはイメージできませんでした。またあの暗いトンネルの日々に入ってしまうかもしれないという恐怖というネガティブな思いと、より多くの「先生」を支える仕事がしたいというポジティブな思いがあったからでした。

先生をやっている当時を振り返って今でも鮮明に覚えているのは、「良い授業」をするためには、自分自身の精神的、時間的ゆとりが必要であるということでした。
ゆとりをもってできる授業は明らかに楽しいし、クオリティも高い。子供のことを広い視野で見れるし、声の掛け方や表現も変わる。何より自分自身も楽しいし、モチベーションが湧く。逆に、余裕がなければネガティブなことを言ってしまうし、ピリピリした空気が出てしまう。授業が一方的になってしまい、おもしろくない。伝え方もどこか冷たくなってしまう。

そのことを考えたとき、僕が教育のためにしたいことは、目の前の子供に教えることよりも、一人でも多くの先生が精神的・時間的に余裕をもって授業ができるための環境を整える手伝いをすることだと思いました。
そうして、先生の働き方改革に関わる仕事に就きました。文科省や、教育委員会や、現場の先生と話す仕事。あれをやったらいいんじゃないか、これをやったらいいんじゃないか、これくらい成果が出た、あるいは成果が出なかった。これをやりたいけどこういうことが難しい、こうやったらできないか、実際にそうしている事例はないか。協力し、時にぶつかり。そんな仕事でした。本当に楽しい仕事でしたし、こういう仕事に一生携わっていきたいと思いました。
ただ、正直に言うと、この仕事ではなかなか自分自身の生計を立てるのは難しかった。「教育はお金にならない」とよく言われるけれど、身をもって実感しました。

自分自身が生活するためには、続けられない。なにか別の仕事をしなければならない。だから今は、本業は教育とは別のことをやりつつ、教育のために何かできることはないかを模索したり、ちょこちょことお手伝いをさせてもらったりしています。

という話をすると、「何を高尚なことを言っているのか。自分が生活する分だけのお金を稼げればいい。稼げない人は能力がない、結局勝ち組か負け組か、努力しなかったのが悪いのだから社会貢献なんて考えても意味がない。」と言われたことがあります。
僕の中では、この考え方を否定するつもりはなく、「そういう考え方もあるよなぁ」と思います。僕も別に、先生をやっていなかったら、あんな思いをしていなかったら、それでよかったんだと思います。「自分が生活する分だけのお金を稼げればいい」という、「個人」として幸せを享受する努力をすることに何ら問題はない。僕自身も、自分が生活するために「個人」としての努力をしているからです。

ただ一方で、「社会構造が原因で、未来に生まれ育っていく人々が緩やかに衰退していく社会を許容すること」は別の問題だと思っています。とても尊敬できる素晴らしい先生方。能力もあって努力もしている。子供のために日々向き合って頑張っていて、僕なんかは到底足元にも及ばない。その人たちが今なお、日本の教育の構造の中で苦しんでいる。こんなに個人として優秀で頑張っている人たちが、それでもなお苦しんでいる。
先生方が苦しむということは、僕の中では緩やかな社会の衰退を意味していて、結果的には未来の世界で幸せに生きていける人々が減っていくことだと思っています。それを僕は認められない。

先生の多忙は、何かひとつの問題に集約できるものではありません。国・自治体・学校現場・社会。いくつもの要因が長い時間をかけて複雑に絡み合って生まれています。そして、解決するためには絡み合った糸を少しずつほぐしていく作業が必要です。
「教員個人が意識を変えて幸せになる努力をすればよい」という「個人」の問題に矮小化するのではなく、大きな流れとしての衰退が起きている現状を受け止め、「社会構造」の問題としてどう歯止めをかけるか。ここを真剣に考える必要があると思っています。

「教育をよくしたい」といったときに、否定する人はまぁいないと思ってます。が、「先生の働き方をよくしたい」といったときに、それが「教育をよくすること」とどうつながるのかがよくわからないという人もまた、結構いる気がしています。「教育を知る」ことは「先生を知る」ということだと僕は思っています。まず、「先生」とはどういう仕事なのかを知ってほしいという気持ちで書きました。

僕は「未来の教育をよくしていくためにはまずなによりも先生の働き方を変えなければならない」と思っている人間です。
前半では、なぜそう思っているのかについて書きました。
(後半は、現場で先生の働き方を進めていくためになにをすべきかというコンサル経験をもとにした視点の話を書きました)

1.「教育」「先生」とはどういう存在なのか

教育と先生について知る上で、一旦数字の上から教育と先生を見ていきます。
先生(ここでは一旦小中学校のみ)の数は、全国に約65万人います。(*1)
そして、その教員が教える子供は約1,000万人います。(*2)
そしてその先にはほぼ同世帯分の保護者がいる。こうやって考えると、単純に考えて大体3,000万人くらい、人口でいうと4分の1くらいの人が、今この時点でも教育に関わる当事者になっていると捉えることができそうです。

雑な図

そして、特に義務教育は誰しもが通る道であり、人格の形成に非常に重要な時期です。その中でも「先生」という存在は、多くの子供にとって親を除いて最も触れ合うことの多い職業人ということができると思います。

先生は最も身近な職業人

これだけ書くと、教育とは「人口の4分の1が今も当事者」で、「誰しもが通る道」であり、「人格の形成に大きく影響する」、立派な社会のインフラと言えるのではと思います。

2.教育を「よくする」とはなんなのか

では、そんな当事者の大勢いる教育を「よくする」とはなんなのか。
誰しも大人になってから、「あんなことに困った、こんなことに困った、もっとあんなことを教えて、こんなことを教えて…そうすればもっとよかったのに。」と考えることがあるんじゃないかと思います。
日本の将来のためにもっと幼少期からいろいろ教えれば「次の時代に必要とされている能力を習得した子供が日本の未来を変えてくれるかもしれない」
それは間違っていないと思います。
ちなみに、先生が何を教えるかの大きな方針は文科省が出している「学習指導要領」に記載されています。(*3)
この学習指導要領は今、「新学習指導要領」という新しいものになり、以前のものよりも、「重視するポイント」が増えた状態となっています。


重視することが9つある


これまでの教科の学習にプラスされた部分でいくと、「プログラミング教育」「外国語教育」が大きく追加になりました。そのほかの項目も、追加で子供が学ぶものが増えました
これなら、子供に充実した教育が届きそうに思えます。

3.豊かな教育を「どうやって」実現するのか

今後必要とされる能力を踏まえて、「何を教えるか」の方針は決まりました。
ただ、これを「どうやって」実現するか、も考えなければなりません。
社会の仕組み上、「あれを教えたらいい、これを教えたらいい」という人が子供に直接教えるわけではないですから、誰が教えるか、となれば当然先生が教えることになります。
子供に何かを教えるためには、何にせよ「学校の先生」に委ねる必要があるわけです。


子供に教えるのはあくまでも「学校の先生」の図

本来であれば、「プログラミング教育」や「外国語教育」といった、新たに増えた内容を専門で教える先生が採用され、その方々が直接指導にあたることができればよかったのかもしれません。ただ、多くの学校では既存の先生がこれまでの業務にプラスして、こうしたことを教えなければならないケースも多いのが現状です。(さらに、学校の役割が拡大するなど学習指導要領の内容以上に増えた業務もあって、そうしたプラスの部分もあります)

4.先生はどれくらい働いているのか。

また、実態として先生が実際にどれくらい働いていて、大変なんだろうということを考えます。
「先生の残業時間がかなり多くて大変」という話を聞いたことのある人も多いと思いますが、実際どれくらいのものなんでしょう。
いろいろなところが調べたデータがありますが、一旦文科省が出しているデータを参考にします。(*4)

1週間当たりの残業時間なので、4倍くらいしたら1カ月当たりの残業時間くらい

ちょっと見づらいのですが、2018年時点のデータで月60~80時間以上の残業をしているケースが小学校教諭で60%以上、中学校教諭で75%以上いることがわかります。(実際には家に持ち帰りの業務も含むと、これよりもかなり多いという人もいます)

5.働きすぎると何が起きるのか。

先生に限らず、人は働きすぎると心身のバランスを崩します
厚労省によると、月45時間以上の残業は「脳・心臓疾患・精神障害」のリスクを上げるものとされています。また、平成32年度までに「週60時間以上の労働者」の割合を5%以下に下げる、というのが国の目標です。(*5)
上の文科省の表とあわせてみるとわかりやすいですが、この基準に照らしても小学校教諭で33.5%、中学校教諭で57.6%が国の基準をオーバーしていることになります。

つまり、先生全体としてみたときに、そもそも残業時間だけで鑑みても「脳・心臓疾患・精神障害」になりやすく、過労死を引き起こす可能性の高い職業なのが現状です。
疾患リスクもそうですが、働きすぎると脳が正常に動かなくなりますし、精神的にもイライラしたりします。本人がイライラしているつもりがなくとも、周りの人から見ると余裕がなくなったり言葉や態度が暴力的になったりします。

厳密にいうと、すごい先生やめちゃくちゃ働いても何ともない先生もごくまれにいます。
が、教育は社会のインフラであり、先生はその担い手です。人間の身体の基本的な構造上、多くの先生がこうした労働に耐えることができません。社会のインフラが壊れると、社会は崩壊します。「スーパー出来る人じゃなくても一般的な人間が耐えられる仕事」でなければならない仕事が先生です。
誰もが安定して続けられる仕事でなければ、社会のインフラとは言えません。

(余談。自分が先生になってはじめてわかった。厳しくてイライラしてる先生多いなーと思ってたけど、忙しすぎることと、厳しく統制しないと仕事が回らなかったんですね。なんてヒステリックな先生なんだとか思ってた時期もあったけど、本当にごめんなさい。という気持ちになった教員1年目の僕。)

ちなみに、下の図は教職員の病休者数です。(*6)

R3で病気休職者数がいきなりふえた。かなしい。

過去最多の病休者数になっています。
社会のインフラの担い手となるべき先生が今、業務過多になり、休職が増えてきています。
また、統計的には出てきませんが、通院しながら先生をやっている人も増加していると考えられます。(傾向としては増加している可能性が高そうです)

こうした影響は、教員を目指す学生にも出てきています。
下の図のように、志望者数が右肩下がりで減ってきています。(*7)

受験者数と採用倍率が下がっている。かなしい。

つまり、今の先生、ひいては教育を取り巻く現状として、現役の先生が休職し、そして将来先生を目指す学生が減っていることにより、社会のインフラの担い手が減ってきており、社会のインフラそのものが崩壊しつつあるのが、今の日本の教育です。

6.国際的にみて日本の先生はどうなのか

ちなみに他の国と比較してみたらどうでしょう。
日本の先生は国際的にみても、世界最長の仕事時間です。(*8)

48の国と地域の中で最長

そして、その長時間業務の割に授業・授業準備時間の割合は高くないという結果も出ています。(*9)

勤務時間(横軸)は長く、授業に関する時間(縦軸)は短い

つまり、授業以外のことに膨大な時間をかけているのが、日本の先生の現状です。
この点から考えても、子供に新しく何かを伝えるためにできることは、「授業・授業準備以外の仕事を減らすこと」と、「先生の数を増やして一人ひとりの負担を減らすこと」がキーになってきそうです。

7.先生をめぐる働く時間の考え方

先生の労働時間をめぐる考え方として避けて通れないのが、「公立の義務教育諸学校等の教育職員の給与等に関する特別措置法」いわゆる「給特法」です。
この法律についてここで賛否を問うつもりはありませんが、働く時間に対しての「コスト」の概念が、構造上含まれない状態にある、ということは認識してもらえるとよいかもしれません。

<給特法とは>
・教員の仕事は勤務時間の管理が難しいという特殊性を考慮し、休日勤務手当や時間外勤務手当などを支給しない代わりに給料月額の4パーセントを教職調整額として支払うことを定めている。
・法律が成立した当時(1971年)の平均残業時間が月8時間だったことから4パーセントが妥当とされた。
・学校長は超勤四項目以外で業務時間外の勤務を命じることはできない。

このため基本的には残業時間をつけてもその分の時間外手当が支給されることはなく、かつ、時間外労働が増えた場合に学校管理職や教育委員会などによって「時間外労働を増やさないように」という指導がはいるケースもあります。

つまり、時間外労働をつけてもやらなければならない仕事が減るわけではなく、つけるメリットがない(むしろ時間外をつけなければ指導が入らないというメリットがある)と先生自身が感じてしまうため、自然と「タイムカードの虚偽の記録」をしているケースもあります。(*10)

僕も先生として働いていたころは「どうせ残業代は出ないしタイムカードを切ってから働かないと始末書を書かされるよ」と言われて他の先生方と同じように、18時になった瞬間に儀式のようにタイムカードを切っていたものでした。残業時間を別でカウントすると大体100時間~多い月で200時間程度ありました。
本来は自分を守るためにも、現場の実態を示すためにも、労働時間はいかなる理由があれ正確に記録すべきですが、残業をしすぎるとそういった思考に至れないケースもあります。

なお、この法律にはここには到底書ききれないほどの様々な議論があり、この法律を変えればすべてがうまくいく、といった性質のものでもなく、いろいろな立場の人がいろいろな意見をもっている状態です。

8.先生に求められる責任

先生に求められる責任は更に大きく、時に裁判や賠償責任を問われるケースもあります。下記はその裁判の一例です。(*11)

(部活動中の事故)
 判決によると、男性は都立高の硬式テニス部に所属していた2011年7月、同大会にダブルスで出場。会場となった別の都立高(品川区)のコートには、ボールを打ち返す範囲として引かれたラインの後方約6.6メートルにコンクリートの壁があった。男性は後衛で、対戦相手から返ってきたボールを追い掛けて打ち返した後、勢い余って壁に顔をぶつけ、前歯2本を失った。治療のため、16年8月まで計39回通院し、手術を受けた。 大嶋裁判長は、現場のコートが国際テニス連盟規則などを外形的には満たしていたとしつつ、ボールを追い掛ける生徒が壁と衝突し得ることは予見可能だったと指摘。教員らはコートの使用を避けたり、壁の前に防護マットを設置したりする注意義務に違反したと判断した。男性側は請求額が十分認められなかったことなどを受け、控訴。都教育委員会も「判決に不服があるため、控訴した」と説明している。

【参考】高校生が壁衝突、都に賠償命令 テニス大会でプレー中―教員の注意義務違反認定・東京地裁(令和4年4月、時事ドットコムニュース)

このほかにも、部活動中や遠足中の事故の責任を問われるケースもあります。災害時には教員の誤った判断により子供の命に関わることもあります。
教員という仕事は、怪我の予見可能性をもっておく必要があるほか、防災や救急医療にに関する知識を持っていて正確に対応をしなければ子供の命にもかかわるし、その責任を問われる可能性のある仕事でもある、というのが現状です。

こうした状況をふまえた上で、先生の働く環境を改善するために、本気で考える必要があります。(後半に続く)


【出典】

(*1,2)【出典】文部科学統計要覧(令和3年5月、文部科学省)https://www.mext.go.jp/b_menu/toukei/002/002b/1417059_00007.htm

(*3)【出典】学習指導要領(平成29年3月、文部科学省)https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/1383986.htm

(*4)【出典】文部科学白書 (平成30年12月、文部科学省)
https://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/hpab201801/1407992_006.pdf

(*5)【出典】STOP過労死(平成29年8月、厚生労働省)
https://www.mhlw.go.jp/file/04-Houdouhappyou-11202000-Roudoukijunkyoku-Kantokuka/0000138040_1.pdf

(*6)【出典】令和3年度公立学校教職員の人事行政状況調査について(令和4年6月、文部科学省)
https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/jinji/1411820_00006.htm

(*7)【出典】令和2年度公立学校教員採用選考試験の実施状況のポイント(令和3年2月、文部科学省)
https://www.mext.go.jp/content/20210317-mxt_kyoikujinzai01-000013509-10.pdf 

(*8)【出典】我が国の教員の現状と課題-TALIS2018結果より-(令和元年6月、文部科学省)https://www.mext.go.jp/component/b_menu/other/__icsFiles/afieldfile/2019/06/19/1418199_1.pdf

(*9)【出典】日本の教員は世界一の長時間労働なのに、そのうち授業時間は半分以下-舞田俊彦(令和元年7月、ニューズウィーク)

(*10)【出典】「(校長の)信用失墜行為として懲戒処分の対象ともなり得る」との文科相発言で、教員は動くのか-前屋毅(令和4年5月、Yahoo!JAPANニュース)

(*11)【出典】高校生が壁衝突、都に賠償命令 テニス大会でプレー中―教員の注意義務違反認定・東京地裁(令和4年4月、時事ドットコムニュース)


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