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現代人の病

自分を表現するのが苦手なのかもしれない。そう気づいたのは最近のことだった。

他人が自分のことを気に入ってくれる。これによって自分はやっとその人と仲良くなっていいんだというような感情になることがある。なんとなく気持ちが悪い表現だが、この表現がしっくりくる。

自分のことを表現するのが苦手だから、(( 普段の会話で思ってないことを言っているわけではなく、(ほとんどの人がそうだと思うが)本当に本当の本音を話せる人はごく少数しかいない ))文章に書いたり誰かに直接言ったりすることはあまりできない。だから、小説とか詩とかといったものに任せているのかもしれない。


自分が【自我】を発見したのは高校生の時だったように思う。自我というのも、説明するのが難しいが、普通の自我ではないように思う。「自我をもつ」とは一般的に自分の意思で何か行動を起こしたりできるようになることだと思うが、自分の使う【自我】はそれとは異なる。


【自我】は自分と他人とは別に存在している"本当の自分"であると思う。というのも自分は普通、他人との生活の中で忖度をしたり、他人に合わせたり、世間な合わせたり。色々あると思うが、【自我】はそれとは独立した確固たる意思なのである。だからといって法律を軽視するようになったとかそういうわけではないから難しい。


だが、高校生のある時に、本当に自分は変わったと感じた瞬間があった。自分は他人とは違うという確固たる軸ができたのだった。


だが、自我がいくらあっても自分を表現するのは苦手だ。人間は皆そうなのかもしれない。だから、InstagramやTwitter、YouTubeにTikTok。さまざまな自分を発信できるプラットフォームが誕生し、それが受けている。そして、そこでは当然ながら他人の発信したものを見ることができ、それについて何かを感じるのだ。


そういったSNSを見て思うことは、真の楽しさや、幸福、満足なのか。自分以外の人が、自分とは全く関係のない空間で幸福になっている。これは、もし自分がその時辛かったり憂鬱だったりすると、あまり気持ちの良いものではない。SNSはそういった面において、現代の人間の心を知らずうちに疲弊させているのではないかと思う。


だが、自分を含め多くの人間は1日の間でSNSを開く時間は多少なりとあると思う。それをなかなかやめられない現代人の病は根深いものになってきていると、強く思う。

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