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最近読んで気になった本

・唯一見るとしたら、どういう字を書くかだけ
・練習すれば、ある程度はキレイな字を書けるようになる
・字が汚いのは、努力を放棄した証拠

ゆえに字が綺麗な主人公のことは信用に足る存在として雇用することができる。

という内容のセリフと場面が出てきたのが、やはりどうにも許せなくて。
許せないなあと思ったことをそのまま残しておこうと思います。気が済んだらそのうち下げます。気が済むまで残しておく。

ネグレクトにあっていない僕からしたら、僕はその本を特に傷つくことなくふむふむと(貧困女子が貧困に陥っていくループ自体は決して他人事ではないというか現在進行形で我がことなもので、アイタタタタだと思いつつ)読めたのだけれど、被ネグレクト児童だった母親が読んだあとに調子を崩したので、どこに苦しくなったのかを聞きながら、客観的に再考していました。
そうして、初読の時に引っかかったところが、やっぱりどうにも気になってきた。

あ、でも一つの作品としては、面白かったです。読み始めて半日で読めたくらい。書店でもすごく目立つところに置かれていました。社会問題をテーマに据えている作品なんだろうと思うので、いろんな人が作品を通して描かれている社会問題に着目する上で意義深いですよね。
作中に出てくる境界性認知と思しき登場人物の描写もうまかった。

僕の知っている子に、
ものすごく賢くて、
僕よりも余程工夫する心に富んでいて、
時たまびっくりするような工作をして、物事をやりやすくしてくれる子がいます。
他者の心の機微を感じ取るのに長けているがために、職種柄クレーマーが発生しやすい現場においても、クレーマーを生み出さないでいるそうです。この人の手にかかるとどんなクレーマーもおとなしく穏やかになってしまうとか。
とんでもない人材です。
僕よりも十歳程年下で、いつでもニコニコしていてすごく可愛らしい。みんなから愛されている。
記憶力も凄い人で、僕が一度だけ、ほんのちらっとだけ話したことを覚えていて、後日「この間お話ししていたお店、自分も行ってみました!」なんて報告をくれたりします。凄い。僕だったらそんなの覚えてられないし、素直に行ったりなんて、しかもそれを相手に伝えたりなんてできない。
けれど、字が壊滅的に汚いのです。
おそらくなのだけれど、図形認識が不得手なんでしょう。人偏とこざと偏とりっしん偏の区別がどうもついていないように見える。しかも日によって。できる日もあるし、できない日も、ある。
その、できるできないの差が、じつは凄く意味があるように思うのだけど、誰も、本人も、それを解き明かす気はない。
多分本人も自分が練習をしても、字がキレイにならないことをよくわかっているし、おそらくこれまでの人生ですでに猛烈にそのことで傷ついている。「自分は出来が悪い」というのがこの人の半ば口癖です。
もし僕が想像をするように、図形認識が不得手なのだとしたら。そのわかりやすい表れが「漢字」に出るのだとしたら。おそらく他にもあるんです、苦手なところが。でも問題が無いように過ごしている。
この人の他の優秀さが、自分の不得手なところやできないと指摘されるところ、それら全てを補うための本人の必死の努力の結果だとしたら、そんな血の滲むような努力をそうそう見かけることって人生に無い。あるいは、僕が気づかずに見過ごしているだけで、みんなそんな血の滲む努力をして、一般社会に馴染むものに自分が見えるようにしているのかもしれません。

字のキレイさってなんだろうか。何がそこで推しはかれるんだろう。練習してもある程度のキレイさにも到達しない人はいることを、僕も最近になって目の当たりにしたのだと思う。それは本人の努力だなんだとは全然違う理由だ。

もちろん、そのセリフが、全て作者の意見だとは思わない。
これはあくまでも、作中登場人物のセリフなわけで、作中登場人物の言葉を全て作者の意見と思い込むのは良くない。作者とキャラクターは別人格なので。

ただ、このセリフを、主人公の運命をある意味ですくいあげる人物として位置付けられた人の、クライマックスに近い場面で語る言葉として出してほしくなかった。
この近視眼的な登場人物との出会いが、主人公にとって良いものに思えない。不穏さを残したまま人生には思い通りにならないものがこれからも付き纏っていくことの暗喩なんだろうか。

ひとまずどの作品なのかは伏せてみた。
作者の他の作品も読んでみたいと思ったのだけれど、結局根本的なところは合わないような気もしてはいる。

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