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小説:コトリの薬草珈琲店 1-3

 実は、琴音にはちょっとした秘密がある。いや、特に隠していないから秘密ではないのだけど、誰も信じないので勝手に秘密のようなものとなっている。それは、=植物の言葉を感じ取れる=というものだ。

 そう聞くと、いやいや、植物を育てている人の中には植物の気持ちが分かる人も結構いるのでは?と反論したくなるかもしれない。でも、琴音の能力はそれとは少し違っている。琴音は、植物の気持ちを“言葉として感じ取れる”のだ。

 琴音が植物に意識を向けると、植物が放つ淡い輝きを目で見れるようになる。それは植物が纏うオーラのようなものだ。他の人間には見えないその輝きに手を伸ばすと、琴音は、植物の気持ちを短い言葉で感じ取れるのだ。それは音を使わない言葉。琴音だけが感じられる植物からのメッセージである。

 4歳か5歳の頃だったか、琴音が初めて植物の声を聴いた記憶が残っている。幼稚園に咲いていた紫の花に何か気配を感じたので、花弁にそっと触れて「こんにちは」と伝えたら、その花も<コンニチハ。イイテンキネ>と答えてくれた・・・気がしたのだ。幼い琴音は嬉しくなって、「うん、いい天気だね」と返した。そして、そんな会話を色々な花に対しても試してみた。同じ花でも、語る内容は色々と異なっていた。<ミズ、タリナイ><カゼ、キモチイイ><タイヨウ、ドコ?>

 ただ、そのことを幼稚園の先生に伝えても最終的には「お花はお話しないよ」とたしなめられたり、幼稚園の友達にも「コトちゃん嘘つき~」と言われたりして・・・やがてそのことを他人に話すことはなくなった。

 いま現在も、琴音にそんな能力があるとは誰も思っていない。しかし、ここは大人の図太さの賜物か、琴音は自分の能力を特に隠さなくなった。目の前で植物と話をしていても、結局は誰にもバレないのだ・・まぁ、バレても何も困らないのではあるが。

 立ち並ぶ薬草のビンの前で「今日の凛ちゃんにピッタリの子は誰だ~、ん?おぉ、君か~」とつぶやいても、凛はそれが琴音の個性だとか、琴音が薬草を選ぶ時のクセや独り言だとか思うだけだ。それを佳奈が横から見ていたとしても、コトリさんは薬草を直感で選べてすごいなぁ、という感じで解釈するだけだ。ちなみに、採取されて葉っぱだけになっていたとしても、琴音はその言葉を感じ取ることができる。

 実は琴音自身も、これは自分の幻覚・幻聴かもしれない、と心のどこかで思ってはいる。彼女は大学で自然科学を学んでおり、いわゆる理系の人間だ。そのため、世の中の現象を科学的な根拠をもって説明するクセがついている。でも同時に、植物と話ができたほうがロマンチックじゃない?とも思っているので、その能力について深く疑うようなことはしないようにしている。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 奈良公園で燈花会を見終わった後、琴音はまっすぐ自宅へと向かった。現在の琴音の家は、少し傾斜のついた場所にある、庭の広い平屋の一軒家。庭が広い分、居住スペースが狭くなってしまうのは仕方がない。亡くなった母が残してくれたお金も使いながら手に入れた一軒家だ。庭では薬草珈琲の材料となる植物も、一部、育てている。

 玄関に小さな電灯が灯っている。その下に、丸みを帯びた多肉植物が小さなポットに寄せ植えされ、上から吊るされている。ちょうど、琴音の顔と同じ高さだ。その多肉植物に顔を近づけて「多肉さん、今日は問題なかったですか?」と聞くのが帰宅時の儀式だ。多肉植物は淡い輝きを放ちながら<モンダイナカッタ>と語ってくれる。琴音は「何もなかったんだね、ありがとう。」と小さな声で復唱する。そこまでが一連のセットだ。多肉植物はいわば、防犯システムの役目を果たしている。

 琴音の現在の住まいの間取りは長方形のLDK。長方形の長辺の真ん中に扉があり、扉を開けて右手にダイニング兼作業スペースと大きなガラス扉がある。そのガラス扉からは、自宅の庭を含む、坂の下の景色を見渡すことができる。天井からは複数の“かご”が吊るされている。一方、扉から入って左手にはベッド、その先にはキッチン・クローゼット・風呂場などが続く。薬草珈琲に関すること以外の欲望が薄いためか、自宅はとても簡素な印象だ。

 家に戻ると琴音はまず、母の形見となった黒い勾玉のネックレスを首からはずした。これは彼女がいつも身に着けているものだ。傷なのか、勾玉の表面の一部が削れてしまっている。その傷の存在を指先で確認しながら壁の定位置にかける。そして、カーテンを閉めてから手洗いとうがいを済ませ、今日はそのままシャワーをすることにした。燈花会でそこそこ歩き、汗をかいたからだ。

 シャワーを終えて部屋着に着替えた琴音は、「体が熱っぽいからビールかなぁ」と独り言をつぶやきながら冷蔵庫に向かい、扉を開けてビールの缶を手に取る。アルコールをたくさんは飲めないので、250ml缶がメインだ。ベッドに上がってあぐらをかきながら、ビール缶のタブを引く。プシュー。小気味良い音を確認してから、琴音はビールをひとくち飲んだ。

 いつものクセで、枕元の薬膳素材辞典を手元に引き寄せる。そして、ビールの項目をチェック。ビールはお酒の中でも珍しく身体を冷やす特徴があるのだが、それは薬膳の世界では有名だ。ただ、胃をはじめとした内臓の働きを整えることを琴音は忘れていた。「そうだった、健胃効果もあるから食前に飲まれているんだよね。」薬草や薬膳を提供する者の多分に漏れず、琴音もこんな感じで自分の知識を補強し続けている訳だ。

 しばらくして軽く酔いがまわってくると、琴音の頭には燈花会のことが浮かび上がってきた。さっき、凛と行った燈花会のこと。3年前に凛とお母さんと三人で行った燈花会のこと。さらに昔、お母さんと二人で行った時のこと。母、暁子は強くて優しい女性だった。自分に向けてくれた温かい眼差しを、一瞬、思い出す。それは頑張っている今の自分を褒めてくれたかのようだった。そして、その背後にはたくさんのロウソク。百千の夜の灯。

 ・・・そうだ、燈花会のような夢。琴音は最近の夢のことを思い出した。ここ数年、燈花会の風景に似たような夢を時々みる。無数の灯の中を走っているような夢。何かを訴えてくるような夢なのだけど、目が覚めて忙しい日常に戻るとそのことを忘れてしまう。あれは何なんだろうとぼんやりと考える。・・・が、答えも出ないまま、琴音の意識はまどろみの中へと向かった。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 しばらくして、はっと気づいたら、あっという間に22時になってしまっていた。酔いはもう醒めていた。少し喉が渇いたから何か飲もう。今日はデトックスもかねてスギナ茶かな、と琴音は思った。キッチンに向かう。

 乾燥したスギナを2つまみほど、茶こし付きのガラス製ケトルに入れてお湯を沸かす。沸騰が始まるとすぐに、スギナの緑がお湯へと移っていくのが見える。琴音は数分待ってから、温かい透明な緑のスギナ茶をガラスのグラスへと注いだ。

 スギナは生命力のある植物だと言われている。3億年前から生き延びてきた植物だけあって、琴音の目にも力強いオーラが見える。そんなスギナから少しエネルギーをもらって(=スギナ茶を一杯飲んで)、今日は寝ることとした。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 季節によって時間は違うけれど、琴音はだいたい朝の5時半から6時の間に起きる。簡単に着替えをして、庭の植物の手入れと、一部、珈琲店で使う分の収穫や、それらの陰干し作業まで。

 大和橘は苗木で植えてから二年半のため実はまだならないけれど、だんだんと力強い葉の付き方となってきている。同じ時期に植えたクロモジもまだヒョロヒョロだが、ゆっくりと成長中だ。その他、庭全般には薬草類も雑多にはびこっている。ヨモギ、当帰、ショウガ、ウコン、シャクヤク、カキドオシ、ホーリーバジル、ゲンノショウコ、スギナ、ほか。ミントなどは雑草レベルの生命力だ。

 どうやら朝は植物たちも忙しいらしく、口数が多い。「そうだね、暑くなったら大変だね」「ナメクジにかじられて嫌だったの?分かった、卵の殻のチクチクを撒いておくよ」「もう少し日光が欲しい?じゃあ、上の木を剪定しておくね。」といったように、返答するのも大変だ。

 ユキノシタなどは低い場所で葉を開き、他の植物の陰に隠れていたりするので、顔を地面に近づけて会話する必要がある。誰かに見られたらちょっと変な人に見えてしまうかもしれない。でも、そんな琴音の努力のお陰で、植物たちは健やかに育ってくれているようだ。

 収穫に関しては、植物と相談しながら必要分だけ分けてもらい、かごに並べて陰干しのセットをするまでが一連の流れだ。他のかごには、すでに陰干しを続けている薬草たちが並べられている。乾燥した植物たちからも少しだけ輝きを確認できるので、琴音はその言葉を感じ取ることができる。動物は心臓が止まってしまうとそれが生命の終わりであるのに対して、植物は一部を切り取っても、それをしばらく乾燥させていても、生命のオーラが残っている。これが、琴音の目から見た動物と植物の違いだ。明確な生の終わりがある動物と、明確な生の終わりのない植物。

 作業が一段落した後、メイクと着替えを済ませ、過去に陰干しした薬草を少し折りたたみながらビニールに包み、それらをリュックに入れて琴音は家から出発した。20分ほど歩き、自分の店に到着。

 店に入り、電気をつける。そして、「薬草の力で、たくさんの人を幸せにしよう」と心の中で念じながら、今日も琴音は開店準備に取り掛かるのだった。

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